猫も杓子も「留学」、十把一絡げに「留学」!? : 留学経験のデザインと内省

 ちょっと前のことになりますが、採用面接を担当なさっている、ある人事パーソンの方が、こんなことを口にしておられたことが、とても印象的でした。

「最近の学生さんは、面接で、みな、口を揃えて"留学経験があります"といいます。昨年からでしょうかね、"猫も杓子も留学"という状態になったのは。先日も、かなりの学生に面談したのですが、"留学経験がない学生を探す方が、少ないくらいです。

でも、よくよく、その内容を尋ねてみると、具体的に何をやったのか、何を学んだのかを、答えられない学生さんが多いですね。留学の内容を語ってというと、急に口籠もる。

それに、留学といっても、"十把一絡げ"で、目的意識も希薄で、大学がお膳立てして、数日海外で学んだものも留学。目的をきちんともち、自分でお金をためて計画して、単位や履修証などを取得してきたのも留学です。留学することが目的となって流行している印象です。もう面接で、留学の話は、聞き飽きてしまったんですよね」

 ICレコーダーをもっていたわけではないので、一字一句同じではないですが、だいたい、その方が口にしておられたことは、こんなことでした。僕は、この話、非常に興味深く伺っていました。

 第一の要点は、この会社への入社を希望する学生の間で「留学が自己目的化して流行していること」でしょう。これは僕は専門外なので、本当に一般的なことかどうか、他の会社にも当てはまることなのか、その実態はわかりません。
 特に、この企業は、純然たる日本企業ですが、海外のビジネスを展開している企業ですので、そこにおいてのみ通じることかもしれません。

 第二の要点は、「留学の内容」はさまざまであることですね。
 中には「大学(第三者)がすべてお膳立てしたもの」から、「自ら計画し、実行したもの」まで含まれているということです。つまり、留学の内容やクオリティには、相当の差があることですね。

 最後の要点は「留学」はしているものの、そこで得た経験に対してリフレクションが足りていないために、それを他者に言語化することができていないことでしょう。アクティビティはあるんだけど、言葉にならない。異文化には触れたんだろうけど、それがどんな意味かを伝えられない。おそらく、陥っているのは、そういう状態なんでしょうね。

 それにしても「猫も杓子も留学」「十把一絡げに留学」という事態が進行していくということは、「留学という記号」で、他者と差異化をはかることが難しくなることを意味します。下手をすれば、今後は、

「みんな留学するので、僕は国内で留学することを考えました。キャンパスで外国人の友達を積極的につくったんですよ。そうしたら、日常が留学状態になっちゃいました!」

 という方が、キャッチーかもしれません(冗談です、真に受けないように! でも、僕なら、そんなことを、ついつい考えてしまいます。人と同じことはしない!)。

(余談:3年ほど前、大学ー企業のリンケージを調べる研究で、実は、この問題を、舘野さん、木村さん、保田さんらと調べたことがあります。海外勤務へのモティベーションを従属変数にして、その規定因をロジスティック回帰で調べてみました。すると、規定因のひとつにあげられたのは、大学時代に外国人の友達や、外国人の先生との接触があっかどうかでした。このことを私たちは、半径3メートルの異文化体験と呼んでいました。もう3年前?時間がたつのは早い)

 もちろん、異文化に触れる経験、留学経験を積むことは、僕は、大切だと思っています。
 留学にもお金がかかりますので(特に留学は家計収入に依存しますので、それが常態化していく事態は、再生産の問題と絡んでくると思われます)、なかなか大変だと思うのですが、それはあったほうがよいのではないかと思います。

 おそらく、次の課題は、「質の高い留学をいかに自らデザインするか?」ということと、「留学経験からのリフレクションをいかにすすめるか?」ということにあると思いました。すなわち、 留学、「その先」は「留学経験のデザインとリフレクション」ということです。

 そして人生は続く