桂枝雀さんの落語に学ぶ「デリバラブル発想」:「誰かに何かを届ける視点」で自分の仕事を見つめる

 誠に残念なことに、今となっては、故人となってしまわれましたが、落語家の桂枝雀さんがよく使われた落語の枕に「地球滅亡」というものがあったそうです。
 先日、神戸大学の金井壽宏先生の授業で、先生からご教示いただきました(誠にありがとうございます。心より感謝いたします)。

 枝雀の「地球滅亡」に曰く(やや再現風に)、

「いよいよ地球も最後ということになってしまったのでございます。地球から脱出する宇宙船にはそんなに大勢の人は乗せられないのでございます。なぜなら宇宙船には定員というのであるのでございますからな。

というわけで、まず、宇宙船には、まず食べ物をつくる農民がいいりますね。次に家を建てる大工さんがいりますね。万が一、病気になったときのことを考えて、お医者さんも必要でしょう。そうやってどうしても、必要な人を選んでいくと、どうしても私みたいなのは残りますな。

あの方はどんな方ですか? ああ落語家です。落語家って何をしてくださる方ですかな? 右向いたり、左向いたりして、早口でしゃべるものですな。・・・それなら、別に、いなくてもいいですな、宇宙船には乗せられませんな。地球に置いていくしかないですな」

 元ネタを聞いたことがないので再現することは難しいですが、どうやら、どうやら、こういうネタであったようです。
 聞くところによりますと、やや自虐ネタがはいった、この枕は、お客さんに大変受けたそうで、ぜひ、僕なども、往年の姿を、この目でぜひ見てみたかったな、と思います。

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 ところで、この枕は、人材マネジメントの言説空間で言われる「デリバラブル発想」と「ドゥアラブル発想」を考えるうえで、非常に示唆にとむ視点を提供してくれます。

 デリバラブル発想(Deliverable発想)とは、ひと言でいえば「付加価値の提供」。「自分がいることで、何(どんな価値)を他者にもたらせるか」という発想です。

 対して、ドゥラブル発想(Doalble発想)は「自分が現在やっていること」「自分が現在やろうとすればできること」です。「付加価値を他者に対してもたらす」ということを考えるのではなく、「今、まさに自分がやっていること」を列挙する発想です。

 勘のよい皆様なら、もうおわかりですね。
 地球滅亡が近くなったときに宇宙船に「乗せてもらえる」のは、デリバラブルな仕事をして、誰かに何かを届けている方なのです。

 もちろん、落語家も、大勢の人々に「笑い」を届けているという意味では、十分に「デリバラブル」だと思うのですが、枝雀さんは、敢えて、その仕事を「右向いたり、左向いたりして、早口でしゃべる」という風に自虐的に喩えることで、「大受け」をとっておられました。

 まことに興味深いですね。

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 デリバラブル発想というのは、毎日、この発想で、自分に問いかけられるとシンドイものがあるのですが(その必要もないでしょう)、時々、この発想で、自分の仕事を「振り返る」と、よい刺激になってよいようにも思います。

 たとえば「全く宇宙船に乗せてもらえそうもない僕の仕事」の場合ですと、ドゥアラブルに答えますと、こんな風になります。

「原稿を書いています」
「プレゼンテーションをつくっています」
「会議にでています」

 金井先生もおっしゃっておりましたが、「やっていること」でよいのならば、こんな風に、たくさんたくさん列挙できる。しかし、うーん、このままでは、本当に「全く宇宙船には乗せてもらえそうにない」ですね(笑)。

 逆に、「宛先に対して付加価値を届けること」を重視するデリバラブル発想にもちたちえるのだとしたら、先ほどの例は、

「願わくば、現場の方々に呼んでもらえるような原稿を書いています」
「できるかぎり、現場の方々に考えて頂ける時間をつくれるようなプレゼンをつくっています」

 という風になりえるのかもしれません。

 最後の「会議に出ています」は、どうにもデリバラブルになりそうにないのが、やや苦しく悲しいですが、まぁ、組織の中にはデリバラブルな仕事ばかりではありません。むしろ、ドゥアラブルの方が圧倒的に多いくらいかもしれませんね。

 ただ、しかし、本当に時々でもよいので「誰かに何かをもたらすこと」を重視するデリバラブル発想にたち、自分の仕事をチェックしていくと、なかなかに考えさせられます。ドゥラブル的世界に過剰適応してしまった日にはよい刺激になるかもしれません。

 また、ドゥラブル的世界に疲れた日には、デリバラブルな視点で、日々やっていることを見つめ直せば、案外に、「宛先」や「届けている付加価値」が見えてくることなのかもしれません。「わたしの仕事は、単調だと思っていたけれど、本当は・・・の人に・・・・を届けていたのだ」と、自分の仕事の意味を再発見できるのかもしれません。

今日の話は、もちろんのこと自戒を込めて言いますけれど、そんな時間を、僕自身は時に持ちたいものです。

 ま、地球滅亡の瞬間、僕は地球で宇宙船を見送ることになるとは思いますが(笑)
 それも人生。

 明日も人生は続く。