「なぜ〜しなかったんだ?」は理由を聞いている言葉ではない!? : 言葉の背後にひそむ二重拘束

 昨日、お仕事で長く臨床の現場でカウンセリングにあたってきた臨床心理士の先生とお話する機会を得ました。
 僕は、カウンセリングも、よもや、臨床心理も、全くのズブのドシロウトでしたので、非常に学ぶことが多く、興味深くお話をうかがいました。

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 臨床心理士の先生とのお話は、どのお話も面白いものでしたが、最も印象的だったのは、

「なぜ〜しなかったんだ?」

 という言葉の「意味」です。

 こうした言葉は、部下がミスをしでかしたとき上司が、その理由を問い詰めたり、子どもが悪いことをしたとき親が用いる言葉です。僕もふくめて、一般に、よく使われるのではないでしょうか。

 「なぜ〜しなかったんだ?」という言葉は、上の立場、つまりは、問う側の立場から、文字通り解釈すると、「理由」を聴いているように思うかもしれません。文体上、「なぜ?」と問うているので、「理由」を聴いていると解釈できます。

 しかし、これを「言われる立場」、つまり「問われる立場」の方から見ると、それは「理由を聞かれている」のではない。むしろ「おいそれと、理由を答えられないような、無条件の叱責」に感じる、というお話が、非常に興味深いことでした。
「なぜ?」と問われていることは、もはや、どうでもよくて、「〜しなかったこと」を無条件に責められていると感じることが多いそうです。
 もちろん、「理由」を冷静に聞いている場合もあるのでしょうが、「そう、感じない」場合も多い、というのが興味深いことでした。

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 確かに、この言葉は、よく考えてみると、「二重拘束」を含む言葉のようにも感じます。

 なぜって?

 もし、仮に、怒られている方が、「なぜ〜しなかったんだ?」という問いに、簡単に「理由を答えて」しまえば、

「なぜ、理由がわかっているのに、やってしまったんだ!」

 とさらに怒られそうです。
 じゃあ、反対はどうか。
 今度は「なぜ〜しなかったんだ?」の問いに、「理由を答えなかった」とすれば「なぜ?答えない!」としても、さらに怒られる。

 要するに、どっちにしても、「さらに怒られる可能性」がある言葉なのです。だから、人は、その言葉に怯え、すくむ。

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 このようなことは、僕は、これまで一度も考えたことがないことでした。

「何気なく用いている言葉ひとつで、相手を追い込んでしまうんだな」

 学びの多いお話でした。

 そして人生は続く