研究者と実務家、ソーシャルメディア、その不易流行

 ソーシャルメディアは「研究者と実務家の関係」をどのように変えたのか? 何が変わり、何が変わらないのか?

「研究者 - 実践者の関係」といっても、あくまで、僕の専門領域に関することなので、それ以上に、他の分野まで、過剰に一般化しようとは全く思いません。それに、こうした問いは「変わったこと
」に焦点があたりがちで、「変わらないこと」に対する目配りはどうしても、失われがちです。
 そうした「2つの懸念」を抱えていることを承知しつつ、あえて、「上記の問い」に戻るのだとすれば、やはり決定的な変化は

「研究者と実践者が、簡単に、かつ、双方の自由意思によってダイレクトにつながるようになったこと / そのつながりが、維持される可能性が高まったこと」

 ではないか、と思います。

 両者のうちどちらかが「情報発信」を行っていたり、また相互にメディアを利用してさえいれば、学会や既存のコネクション「以外」に、興味関心をともにする人々が、ダイレクトに「つながる」可能性が格段に増えた、ないしは、実際にF2Fで逢ったあとに、そのコネクションが維持される可能性が格段に増えた、ということです。

 ちょっとかなり前のことになりますが、実は、このことを、僕とは一回り上の先輩研究者と話しました。その方がおっしゃっていたことが非常に印象的でした。

「昔は、なかなか、研究者個人が情報発信をすることは難しかった。メディアがなかった。だから、既存の団体の有するメディアや場をつうじて、間接的に実務家とのリンクをつくるしかなかった。自らメディアを持とうとすると、相当の負荷を覚悟しなくてはならなかった」

「(自分のメディアをもとうとして)研究が進んだり、イベントをするということになると、実務家の方々に、大量に郵便をおくったものだ。実践家の方々と関係づくりのために、お手製のニュースレターを、ガリ版でつくって、印刷して、切手をはって、郵送していた。月末の郵便局には、大量の郵便物を抱えた自分がいた」

 その方がこうした地道な活動をなさっていたのは、わずか20年前くらいのことです。それから20年、「切手」と「ガリ版」と「郵便局」は、「ブログ」「ソーシャルメディア」「スマホ」にかわりました。

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「変わるもの」の一方で、もちろん「変わらないもの」もあります。「変わらないもの」の最たるものは、実践的研究を志す研究者の側からすれば「信頼蓄積の大切さ」とか「現場感覚の大切さ」とか、でしょうか。

 いくら、「ブログ」やら「ソーシャルメディア」やら「スマホ」が発達していても、「信頼を蓄積する地道さ」をもち、コツコツと情報を発信しなければ、実務の方々には関心をもってもらえない。「関係づくり」とは一朝一夕で可能になるものではありません。

 「関係づくり」とは「習慣」なのです。

「現場感覚」も大切なところです。いくら、「ブログ」やら「ソーシャルメディア」やら「スマホ」が発達していても、取り上げる話題が、現場から遊離していてはいけない。なので、やはり、現場には足繁く通うこと、現場の声を聞くことが求められる。

 「現場感覚」もやはり、「習慣」なのです。

 こういう「変わらないもの」の大切さは、メディアが発達して、「誰もが、手軽に情報発信をできる機会」を手に入れた今だからこそ、なおさら、大切なものになっているのかもしれません。

 メディアは「万人に、一応、情報発信の機会を保証」します。しかし、「一発屋」ならともかく、「サスティナブルに情報発信」できる個人は、非常に限定的です。
 与えられたチャンスを活かすかどうかは、活かせるかどうかは、結局、情報を発信する人にかかっていることのように思います。

 そして人生は続く