成熟した社会・組織に失われやすいもの:Do Experiments? or not 実験すること、将来のキャリア

 僕のような研究をしていると、よく学生さんから、投げかけられる「素朴な問い」がこちらです。

「どんな企業に就職すればいいですか? おすすめの企業とかありますか?」

 僕も答えは割とシンプルで「わからないですし、おすすめも見あたりませんね」です。
 むしろ、僕が知りたい(笑)、「わかるのでしたら、教えてほしいですし、こちらがオススメしてほしい」というのが、偽らざる実感です。
 しかし、中には食い下がってくる方もいらっしゃいます。その場合には「僕の話なんか聴いても一銭の得にもならないけどいいの?」とお断りし、事前に了承を得たうえで、「今の世の中にとって大切だ」と僕が勝手気ままに思っていることはお伝えします。

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 ひと言でいえば、僕が大切だと思っていることは「実験(Experiment)」です。
 もし、今、就職という節目にあたって、自分の将来を考えるのであれば、さまざまな「実験ができる場所」に身をおいた方がいいと感じますし、あるいは、自分のたっている立ち位置を「実験をさせてもらえる場所」に変えていく努力をした方がいいように、僕には感じます。

 もちろん「実験」といっても、ビーカーやフラスコをユラユラさせるのではありません。「社会実験」であってもいいのです。それでは「実験」とは何か? 科学哲学や科学史的には、様々な定義があるのでしょうけれど、わたしは専門外なので、定義の多様性については知りません。
 一般的には、実験とは「予測困難なことに対して結果を予想し(予測困難性)、リスクをとって実際に試み(実践性)、新しい知識を生み出すこと(創造性)」だとされるのではないのでしょうか。
 敢えて要約するならば「予測困難性」「実践性」「創造性」をあわせもつものが、「実験」であると、今仮にここでは、そう考えることにしましょう。

 それでは、なぜ、この3つが大切だと僕は思っているのか。
 それは「実験的な場所」というものは「本人の能力やキャリアを伸ばす場所」になりうるからです。そして、今のように変化の激しい外部環境においては、「実験的であること」が、「将来を保証する」とまではいかなくても、将来を考える上で「少しの足し(屁のつっかえ棒的かもしれませんが、少しは、役立つ支え)」には、なりうると考えるからです。
 単純に考えてもすぐに想像できることですが、「変化が激しい」ということは、別の言葉でいいかえるならば「予測困難なことが、今まで以上に、皆を襲う」ということです。ですので、若いうちは、せめて、その「備え」をしておきましょう、あるいは、「練習」をして、「基礎体力」を鍛えておきましょう、といいたいのです。

 実験とは、リスクをとって、やってみることです。一見、それはとても「リスキー」に見えるかもしれない。失敗することを恐れてしまうかもしれない。しかし、一見、リスキーに見えることをやってみることが、中長期的には、リスクを減じることにつながるのではないか、と僕には思えます。

 世の中というものは、まことに不思議なもので、「一見、安定していて、リスクのないように見えるもの」が、中長期的には、最も「リスキー」であること。「一見、リスクだらけに見えるもの」が中長期的にはもっとも「安定的」であることが、ままあるものです。そんな禅問答的循環の中に、実験もまさに、あります。

 しかし、悲しいかな、「実験のできる場所」は、世の中には「限られて」います。
 特に社会が「成熟」したものになればなるほど、物事がルーティン化し、事物は制度に縛られるようになります。そうした環境では、「実験の出来る場所」は急速に失われるか、限られてくるのが必定です。組織とて同じです。未知の事柄は、効率をあげるために、組織学習されます(先週の大学院講義でやりましたね! 組織学習曲線のことですよ)。組織学習されるということは、組織はスマートになり、効率はあがりますが、「実験のできる場所」は失われることと同義です。
 そのことに「不平不満」を言っても仕方がありません。また「成熟」自体を嘆いても仕方がありません。
 あなたが革命家や経営者でないかぎり、世の中や組織は、そう簡単にはかわりません。そして、もしあなたが本当に革命家や経営者であるならば、就職という問題で悩むことはないでしょう。
 だとするならば、「所与の条件」を受け入れ、それにどう対処するかを前向きに考えることの方が、僕にとっては、リアリティのある選択のように感じます。

 また、「実験のできる場所」は、企業のうわべや、組織の枠だけを見てもわかりません。

 大きな組織であるならば、ぎちぎちに管理されているので、イコール、実験ができない
 ベンチャー企業であるならば、イケイケドンドンなので、実験ができる

 というほど、世の中は単純ではありません。

 大きな組織であるならば、比較的余裕があるので、実験ができる
 ベンチャー企業であると、自転車操業なので、実験ができない

 という可能性にも開かれているからです。

 つまりいいたいことは「組織の枠」はあまりあてにならない、ということです。

 その「見分け方」には、僕にはわかりません。
 でも、もし企業訪問なので、すでに、その企業に働いている先輩などがいたとしたら、聴くべきことは僕ならば、「あなたは実験してますか?」「あなたの組織のメンバーは、実験できる機会がありますか?」です。「会社は実験してますかね?」でもいいかもしれません。「実験」という言葉が奇異に聞こえるならば、他の言葉でどうぞ置き換えていただければと思います。
 どんな些細なことであってもいいのです。未知の事柄に対する何らかの工夫、そして実践。それがあれば、「実験」とまではいかなくても、実験マインドがあると考えていいのではないでしょうか?

「福利厚生どうですか?」とか「休みはとれますか?」という問いも、大切至極だとは思いますが、僕ならば、「実験できるか、できないか」が、最も関心事になります。あくまで僕にとってはですけれども。

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 とまぁ、最初に戻りますと、学生さんには、こんなことをお応えするのですが、たいていの場合、ポカンとして、「こいつに聴いたのが間違いだったわ」という顔をなさいます。だから、嫌だったんだ(笑)。だから、最初に「僕の話なんか聴いても一銭の得にもならないけどいいの?」とお断りしたのですが(笑)。

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 そこは、実験できるか、できないか(Do Experiments? or not)

  言葉を換えるならば

 そこは、能力が伸びる環境なのか、どうか
 将来に関する「資本」を得られる場所なのかどうか

 他人のことはわかりませんが、僕にとっては、非常に大切な価値です。

 そして人生は続く

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追伸.
関連するブログ、こんな記事も書きました。こうしてみると、同じようなことを言葉をかえて言っていますね。

「何かに挑戦している大人」と「何をやってもつまらなそうな大人」 : 「素朴概念」と「組織の枠」をはずして考える
http://www.nakahara-lab.net/blog/2013/03/post_1969.html

経験獲得競争社会を生きる!? : 資源化・資本化する直接経験!?
http://www.nakahara-lab.net/blog/2013/04/post_1995.html

ともすれば忘れがちな「実験マインド」を思い出す - 皆さん、最近「実験」してますか?

http://www.nakahara-lab.net/blog/2012/10/post_1886.html