アクティブラーニング・ジャングルをサバイブする

 先だって、あるところで、「アクティブラーニングとは何か?」を講義しなければならない必要にかられて、それについて、「既存の言説」を読みながら調べていました。

 昨今、教育業界においては、「アクティブラーニング」が「大学教育の重要なキーワード」、「大学改革の政策に出てくるまでのワード」にもなりつつありますので、一応、それについても、講義で取り扱わなければならないな、と感じていたのです。

 しかし、「大きな問題」がひとつ(笑)。
 恥ずかしながら、小生、「アクティブラーニング」については、もちろん用語は聴いたことはありますけれども、これまで一度も、関連する文献を深く読んだことはありませんでした(笑)。
 というのは、それは、おそらく、少なくとも僕がウォッチしている、学習科学、組織と学習研究の研究専門用語ではないように感じます。むしろ、大学教育改革のコンテキストにおいて、教育業界?において、2000年代後半くらいから、本格的に用いられるようになったのではないでしょうか。

 というわけで、右も左もわからぬ小生が、調べ始めたのが「2週間前」。
 このときの小生には、まだわからなかったのです。何気なく踏み出した、このときの1歩がきっかけで、「アクティブラーニングジャングル」に迷い込むことになるとは(笑)。

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 でも、「あっ、これはやべー、おいら、ジャングルに迷い込んだな」と気づくのは、早かったように思います。といいますのは、調べれば、調べるほど、アクティブラーニングの輪郭がぼんやりとしてくるので。本当に「アクティブラーニングジャングル」なのです。昨日のブログではないですが、本当に「ガチ熱帯雨林」。
 といいますのは、本当に「多種多様なラーニングの形態」が、アクティブラーニングという「ワンワード」で一括りにされているのです。国内外ふくめて、グローバルに(笑)。

 たとえば、こんな感じ。
 
 講義中、お隣同志でディスカッションや、教えあいをするのも「アクティブラーニング」
 ケンケンガクガクと、グループディスカッションをするのも「アクティブラーニング」
 一方向に伝達された情報を、個人がリハーサル(繰り返す)して、よりよく記憶することも「アクティブラーニング」
 地域に出て、地域の人々といっしょに、地域の商店街の課題を探究するのも「アクティブラーニング」
 大人数講義でクリッカー(携帯情報端末)を用いて、講師の用意した選択肢に答えるのも「アクティブラーニング」
 可動式の机と椅子のクラスルームで学ぶことも「アクティブラーニング」
 リーダーシップやコミュニケーションスキルを養成するのも「アクティブラーニング」
 守破離のプロセスをふみ、体験から学ぶのも「アクティブラーニング」

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 えーと、いったい、そもそも「アクティブラーニング」の定義って何でしょうか。もちろん、多種多様な定義が存在していることは百も承知していますが、それらにあまり共通項がない。別の言葉でいいますと、「アクティブラーニング」で「あり」、何が「アクティブラーニング」では「ない」のでしょうか(笑)。僕には、最初、どうもつかめずにいました。

 アクティブラーニングジャングルを彷徨い、途中で出会った何人かの先達(研究者)のアドバイスを得ながら、出した結論は、もっとも広くとるならば、

「講師が一方向的かつ長時間にわたり、情報を伝達するだけの教育機会」では「ない」ものは、アクティブラーニングということになるのかな、と思います。つまり、それは「知識伝達型の教育機会」や、ないしは、「モダニズムを背景とした教育機会・教育手法」の「アンチテーゼ」である。

 しかし、面白いのは「アンチテーゼ」ではあるものの、具体的かつ特定的な手法を明示しているわけではない。しかも、アクティブラーニングの言説空間は、お互いに異なる言説同志が、互いに他のあり方を批判したりすること「なく」、共存しつつ、増殖している。
 この意味で、ある意味で、アクティブラーニングとは、ある種の「カウンター・ムーヴメント」に近いということになるのかな、と思いました。
 しかも、それは、リーダーシップやコミュニケーション力といった、一般的に大学が取り扱うことを得意とする「教養の知」でもなく、かつ、「専門の知」でもない「オルタナティブな能力・知識・スキルの育成を行える」としており、そうした言説と「共振」ながら、現場においては「教育の具体的処方箋」として提唱されている。

 まことに興味深いジャングルですね(笑)。

(ちなみに、アクティブラーニングにおいて、ある特定の手法はどのように取り扱われているかと申しますと、特に、海外文献の場合、Active Learning Strategy / Active Learning Tacticsと概念化されていることがままあります。いずれにしても、現場において、そのつど、そのつど、ファシリテータになる人が、状況に応じて駆使する手法=ストラテジーとして概念化されています)
 
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 というわけで、何とかジャングルをかきわけて、先日、無事講義は終わりました。
 小生、何とかかんとか、サバイブできたことが嬉しいです(笑)。

 もちろん、授業では、ここまで私見を述べることはせず、定義が多種多様であることを述べ、それをどのように読み解けばいいかの方針については先行研究から簡便なフレームワーク示しました。かつ、「中規模の人数の授業をいかにインタラクティブにするか」について、実践・体験をまじえてレクチャーをしました。授業の目的は「アクティブラーニングの言説を読み解くこと」では「ない」ので、内容はあくまで実践的にまとめたつもりです。
 本当ならば、個人的にやってみたいのは、アクティブラーニングが想定している、ある特定の社会観、組織観、知識観、人間観、労働観を読み解くことも、非常に面白い課題なのですが、また、それは大学院の授業などでできれば面白いかもしれません。アクティブラーニングの論文の「枕」を分析し、アクティブラーニングがどのようなコンテキストにおかれ、主張されているかを概念化してみると、非常に面白く感じます。

 先日の授業は、完全ではないとは思いますが、少なくとも「アクティブラーニングジャングル」を「丸腰」で走り回らなくてもい程度の実践的内容は扱ったつもりですが、どうだったのかな、と思っています。

 今日は、アクティブラーニングについて、やや私見というか、ほとんど感想を述べました。僕は、その専門家ではないので、もっと深い定義がありうるのかもしれませんが、それを追えていなかったとしたらおゆるしください。少なくとも国内外のデータベースでサーチしたところでは、上記のような印象を持ちましたがいかがでしょうか。

 そして人生は続く