今ここの場所で、実物を感じつつ、学ぶこと
この年になって、まことに恥ずかしい限りなのですけれども、
「あっ、昔、学校で学んだ、あれは、こういうことだったのか」
「教科書にのっていた、あれは、今、まさに、目の前にある、これだったのか」
と思うことがあります。
当時は、受験や試験に出題されるから、「知識」としては知っていた。というよりも、人並み以上には「暗記」していた。
しかし、恥ずかしながら、それが実際に「どういうもの」か。それは「どんな場所にあるのか」はわかっていなかった。
あるいは、それを帰り道、路地で見ていたとしても、実物が、学んだものと一致することは、おそらくなかった。
こうした過去を吐露することは、ほぼ「懺悔」になりますが、そういうことが本当に多いのです。
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たとえば、下記のような、何の変哲もない路地の片隅にある雑草。この写真には「シダ」が映っています。先日、たまたま近くを散歩中に撮影してきました。
かつての僕にとっては、シダ植物とは「羊歯植物」であり「胞子体(2n)-前葉体(n)の生殖システムをもつ非種子系の植物」であった。そんなことは「暗記」しているのに、この植物が「どんなところにはえているか」については、ほとんど知らない。
この植物が、たとえば、水のしみ出すような、コケやアオガエルがともにいそうな場所、近くにいくと、少し「ひんやり」しそうな場所にはえていることは知らない。また、かつての僕は、路地でおそらく、それを見つけられさえもしなかったようにも思います。
つまり、かつての僕の学びには、場所、実物、感覚がない。
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たとえば、こんなこともありました。
ちょっと前のことになりますが、家族旅行でオーストラリア・ケアンズに出かけたことがあります。
ケアンズといえば、熱帯雨林。僕も、知識として、オーストラリア北部には熱帯雨林が広がっていることは知っていたので、そこに出向くのを愉しみにしていました。
が、実際に、そこに「入った」瞬間、おおお、と思った。熱帯雨林を「感じる」とでもいうのでしょうか。
そうか、熱帯雨林っていうのは、こんなに雨が多く、虫が多く、木々が争うように生えているものなのだ。こんなにジメジメとしていて、緑の匂いが強烈なのだ!
「知識」として知っていた状況とは、違ったかたちで、熱帯雨林を感じたのです。
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今日のお話は、ひと言いえば、「学ぶことの実物性、場所性」ということになるのかもしれません。また、「記憶することの肥大化」としてもまとめることができるのかもしれません。
いずれにしても、かつて、そんな「プアな学び方」、すなわち「場所、実物、感覚がない学び」をしていた僕が、いま、「学習・人材育成に関する研究」をしているのだから、これまた「皮肉」なものです。今日のブログは、ほぼ「懺悔」に近いですね。
しかし、そういうルーツがあるからこそ、僕は、人間の学習や人材育成の問題に興味をもちつづけていられるのかな、とも思います。そういうことに思いがあるからこそ、実践に興味をもつのかもしれません。
人間の未来なんて、まことに不思議なものですね。
そして人生は続く