プロフェッショナルをめざす「志ある歯医者さん」たちの「学びの場」:歯科医師の力量向上の現場をたずねて
「志ある歯医者さん」たちが、自らの技能・専門性を高めるための教育コースを、高等教育機関以外の「民間の場」につくる。
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過去30年にわたり、1500名以上の歯医者さんを、自らが主宰する研修会で育成してきた藤本順平先生に、先日お会いし、お話しを伺う機会を得ました。
僕は歯学にも、歯学教育にも全くの門外漢なのですが、非常に感銘を受けましたし、藤本先生のパッション、クラフトマンシップ、ジェントルマンさ、プロフェッショナルとしての誇りの高さに、衝撃を受けました。藤本先生、藤本歯科医院の皆様に派、貴重な時間をいただき、この場を借りて心より感謝しております。
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藤本先生が主宰する「歯医者さんたちの学びの場」は、「藤本研修会」といいます。
藤本研修会では、米国式歯学教育の「専門歯科医」を要請するコースを現在、4コース展開しており、1つのコースに平均で20名程度の歯医者さんたちが学んでいるそうです。藤本先生自身も月に1度教壇にあがられ、講義をなさっております。この講義、僕も見学させて頂きました。
藤本研修会
http://www.fujimoto-dental.com/kensyukai/
藤本先生は、日本の歯学部を卒業後、大学院で博士号を取得。留学のためのお金をつくるため、実家の歯科医院で働きながら、家族をともない、清水の舞台から飛び降りる覚悟で(!)、米国インディアナ大学大学院に留学なさいました。
米国インディアナ大学では、「補綴学:歯牙の修復治療」をご専門に学び、その専門医になられました。
これは僕もよく知らなかったのですが、米国の歯科診療は、専門医制度をはやくからひいており、たとえば、補綴専門医、矯正専門医、歯周病専門医、歯内療法専門医といった具合に、専門がわかれているのだそうです。
よく詳しいことはわからないですが、クラウンブリッジを専門にする人、矯正を専門にする人、歯茎を専門にする人、根っこの治療を専門にする人という風に、治療部位によって、専門がわかれているということですかね(もしテリこいてたら(北海道弁?でウソのこと)、どなたか捕捉して下さい)。
実際の歯科治療は、これら専門家によるチーム分業制度をひいていることが、日本の歯科治療と全くことなるところなのだとか。そして、こうした専門医資格のためには、歯科医師免許取得後、数年間、プロフェッショナルスクール(専門職大学院)にてトレーニングを積む必要があるそうです(日本の現状は専門外なので、僕にはわかりません。こちらもどなたか捕捉して下さい)。
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藤本先生は、インディアナ大学で「補綴学」をおさめられました。
ひとつひとつのテクニックをステップバイステップで学び、実際の患者さんを割り当てられ、治療を行う。治療に際しては、最新の臨床論文をエビデンスとしてのせることが求められ、ファカルティを前にしたカンファレンスで徹底的に批判される。そういう数年間の徹底的なトレーニングを通して、藤本先生は専門医になられました。
その後、フロリダ大学で教鞭をとり、日本に帰国。
日本に帰国後は、大学教員には敢えてならず(いくつかのオファーを断り)、臨床の現場でクリニックをもちながら、当初は5名から6名の人数で、米国式の「理論に基づく臨床」を学ぶ研究会を立ち上げました。
その当時、藤本先生の技術の高さは、全米でも素晴らしいレピュテーションを獲得なさっており、世界でもっとも読まれる「補綴学」の教科書のひとつを執筆なさるくらいでした。
しかし、先生は、それでも帰国後、日本の大学の教員にはならなりませんでした。そして、民間で「学びの場・技能向上の場」を立ち上げた。これが、先ほどの「藤本研修会」ということになります。
当初5名から6名ではじまった藤本研修会は、次第に規模を拡大しました。卒業生の中には、藤本先生と同じように、海外の大学院で専門医資格を取得する方々もでてきて、彼らがまた新たなコースを立ち上げました。そして、30年の月日が流れた、というわけです。
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藤本先生のお話をお聞きしていて、いくつか興味深かったこと・思ったことがあります。
ひとつめ。
それは、現在の日本の歯医者さんの、一般的なスキル形成はどのようになっているのか、ということです。これは自分の研究柄ということもありますが、一般の「患者」候補(!?・・・患者にはなりたくないよなぁ・・・)として非常に気になるところです。だって、皆さんだって、いつどこで歯が痛くなって、歯医者さんのお世話になるかわからないでしょう? そのとき、できることなら、スキルのある歯医者さんに見てもらいたいと思うのではないのでしょうか。
この間、何名かの歯医者さんに、匿名でインフォーマルにインタビューさせていただきましたが、彼らの弁によると、一般的には、歯科医師の技能形成は下記の3点ではないか、ということです。真偽のほどは、門外漢の僕にはわかりません。
1.大学での歯学教育は、主に「歯科医師国家試験」向けの、知識習得を主眼としたものとなっており、臨床で必要になる技能を身につけることは極めて困難である。たとえインターンをやったとしても、研究の現場である大学で、それを行うことは難しい
2.結局、大学を卒業したあとで、どこで働いたか、その最初の勤め先で、どのように教えられたかで、歯科医師の技能形成やキャリアはある程度決まってしまう。最初の勤め先が、大病院であることは希であり、多くは小さなクリニックか、父親のやっている医院ということになる場合が多い。そうした小規模の医院が、まずは「スキル形成」の基盤になる。しかし、一般に組織規模が小さすぎること、また、同時に歯科医が複数の患者に対して治療を行っているため、そこでスキルを習得することはそうやさしいことではない。実際には、院長の診療を横や後で見るか、ないしは、自分の症例を診断終了後に先輩にみせることになる。しかし、特に、昨今、歯科医の経営難が続く中で、体系的かつ網羅的に技能を習得するのは難しく、できたとしても、自分の担当する患者の抱える課題に対する、場当たり的なスキル習得になりやすい。
3.民間の勉強会などで学ぶ歯医者さんもいるが、それも一部である。歯科医師免許は終身免許なので、スキルアップしない人はそのままである。ただし、若手医師に関しては、近年、学ぶモティベーションが高まっている。
(要するに教育機関では、仕事で必要になる技能は教えることが難しい。しかし、職業領域においても、それを教える余力がなくなってきている、ということですね。だとしたら、歯科医師は、どこで高度な技能形成をすればいいのか、という問題が残ることになりますね)
僕は、歯学教育や歯学の実践については、全く門外漢ですが、こうしたことをおっしゃっていました。
まぁ、とはいえ、この記事を書くために、いくつかの都内の大型書店を回ったのですが、医学教育学や看護教育学の専門書は、当然のことながら、見つけることができるのですが、歯学教育学の専門書、一般書を見つけることはできませんでした。専門の学会はあるようですので、論文として流通しているものはあるようです。
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ふたつめ。
それは、藤本研修会が、テクニックだけでなく、いわゆる「倫理」を伝えることを重視なさっていたことです。
専門職研究の泰斗、エツィオーニやスローカムの定義を敢えて引用するまでもなく、専門職(プロフェッショナル)とは、1)理論的基礎、知識的基礎をもつこと、2)専門職団体が発達していること、3)専門家としての価値観・倫理観をもつこと、4)コミュニティに対する献身を旨とすること、5)専門家としての自律性をもっていること、いった基盤をもつ職業です。
このうち歯医者さんの場合には、「倫理」の部分は、さらに大切である気がします。
なぜなら、藤本先生の言葉をそのまま引用すれば「歯科診療とは、医学とは異なり、なかなか命にすぐにかかわる事象が生まれにくいからです」。
ミスをすれば、すぐに重大事象につながり、かつ、そこまでのフィードバックが早い領域ですと、いつも緊張した仕事を強いられます。
しかし、「ミスをしても、数年間たたないと、なかなか結果がわからない」ないしは「歯科医療の場合、仕事の成果があらわれるまで時間がかかる」ないしは「不具合が起こるまでに長い時間がかかるために、それが治療のまずさによるものなのか、本人の不摂生のせいによるものかは、判別不能であること」という状況にありますと、歯医者本人が「高い倫理」をもっていなければ、「仕事の緊張感」を失ってしまうか、あるいは、自分の力量を高めようという意欲を失いがちです。もちろん、多くの歯科医師の方々は、そうではないでしょう。しかし、そういう可能性が合理的判断として生まれうるということは認識しておく必要があるようにも思います。
本来、経営学習論風に述べるならば、初期キャリアのごくはやい時期に、患者本位の信念を早期に獲得し、自らのスキルを常に高める習慣を形成しなければなりません。しかし、歯科医の仕事に関する場合、それが阻害される可能性はゼロではない。
その意味では、まことに門外漢ながら、歯科教育における「倫理」の果たすべき役割は大きいなと思いました。
みっつめ。
それは「大学とは何か」ということです。
藤本先生が帰国なさったとき、藤本先生は、敢えて大学ではなく、在野で臨床を行い、民間の教育コースを立ち上げました。
それは、今から30年前の当時は「自分のやりたい臨床を大学では教えられなかった」からだとおっしゃいます(現在、藤本先生は東京医科歯科大学・臨床教授として教鞭をとっておられます。状況は今は変わっているのだと思います)。
大学での学問のあり方が、いわゆる「リサーチ」、それも「臨床とは関係のないリサーチ」に偏りすぎていて、ともすれば、当時は「臨床」が軽視される傾向があったのだといいます。今のことは知りません。
「患者さんの歯を治すことを教えなくて、なぜ、歯科教育とよべるのですか?」
と、先生はおっしゃっておりましたが、「非常に重い問い」だなと思いました。
だって、このような状況に陥っている分野は、歯学教育だけではない、と思うから。ここにも、そこにも、ほら、あそこにも(笑)
ここで僕は「臨床と基礎」という二元論を持ち出すこともしませんし、敢えて、他の分野が何かを言い出すこともしません。
しかし藤本先生のキャリアの話を聞くにつけ、僕は、心の中で「大学とは何か」を考えていました。
一般論として、よく、アカデミアでは
「方法知は、理論知よりも低級だ」
と言われます。
「教条化される方法知」「根拠・エビデンス・理論に裏打ちされない方法知」「思考停止に人々を導く方法知」は、確かに、便益よりもデメリットをもたらす可能性の方が大きいようにも思います。
しかし、少し立ち止まり、冷静に考えてみると「方法知は理論知よりも低級だ」という言説とて、中立の立場で発せされる言説ではないことに気づかされます。
それは、発話者たるアカデミアの人々によって「政治的に構築された言説」であるととらえられます。
なぜなら、アカデミアの中には「方法知を教えられるプラクティショナー」はなかなか少ないであろうから。「自分が教えられないものの価値」「自分が提供できないものの価値」を「高い」と位置づける人はいないでしょ。
少なくとも、方法知に関する上記のような言説を耳にするときには、私たちは、少なくとも、その政治的主張の部分を「割り引いて」聞く必要があると僕は思います。
いずれにしても、僕は、ここで、今後のアカデミアでは「方法知」をがんがんに教えるべき、だという主張をしたいわけではありません。そうした性急な議論は、アカデミアのレゾンデートルを失わせることにつながりかねない、と思います。
しかし、「方法知といかに付き合うか」それも「職業領域において必要になる方法知」について、アカデミアは、今後、どのようにつきあうのか。
これは、歯学教育を超えて、どの領域においても、考えていく必要のある問いだと僕は思います。それも、腰をすえて、考えていく必要のある領域だと思います。
アカデミアに残された時間は、あまり多くはない、と思うけれども。
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この企画、これは人事専門誌の僕の連載「学びは現場にあり」の取材として立ち上がりました。
藤本先生にお会いすることに関しては、中原がいつもお世話になっているサウジ歯科クリニック(目黒)の佐氏英介先生のご紹介で実現いたしました。小生、不摂生で奥歯を失い、サウジ先生のもとで、修行?もとい、治療に励んでおるのです。
サウジ歯科クリニック・ホームページ
http://www.sauji-dental.com/
サウジ歯科クリニック・ドクターズファイル・佐氏英介院長
http://doctorsfile.jp/doctor/hospital/23908/df/1/
佐氏先生も、また、この藤本先生の病院や、藤本研修会で学び、今は、個人でクリニックを経営なさっている先生です。とても誠実な方で、かつ、学び続ける先生です。患者本位の治療をやってくださいますし、早朝から治療してくださるので、小生、おすすめです。
滅菌された治療室、サウジ歯科にて
ここ1年ほど、僕は、ずっと歯について悩んできました。もともと不摂生をしていた僕が悪いのですけれども、おそらく10年くらい前にかかった歯医者さんの(たぶん)ミス?が原因で、奥歯を1本失ったからです。
だからというわけではないのですが、「歯医者さんの力量形成」について、興味がわいてわいて仕方がなかった(笑)。
あのね、半分「恨み節」でございます。
でも、転んでもタダでは起きないのです。
すべて自分の研究分野に引きつける。
どんなことがあっても、自分の土俵に引きつけて考える。
それが研究者魂です。
「学び続ける歯医者さん」を探して:歯科医師の能力形成・専門性向上・技術伝承
http://www.nakahara-lab.net/blog/2012/02/post_1832.html
看護師の方々の学び、歯医者さんたちの学び
http://www.nakahara-lab.net/blog/2013/01/post_1928.html
でもね、今回の問題は、僕だけのことではなく、世の中の多くの人々にとって、人ごとではないような気がします。
歯は僕たち一般の人々にとって、非常に身近です。だって、皆さん、毎日、歯を使っているでしょう。そして、時には問題が起きる。
しかし、そうしたとき、一般に、どこの歯医者がよいか、力量をもっているか、については、僕たち患者の立場からはなかなか見えません。
僕は、歯科教育について全くの門外漢ですし、それについては、よく知りませんが、いずれにしても、患者の立場からして、「力量とパッションのある歯医者さん」が増えてくれればいいな、と思うし、そういう歯医者さんがすぐに「わかる仕組み」が欲しいな、と思います。
そして人生は続く
投稿者 jun : 2013年1月26日 08:48
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