博士論文とは「構造を書くこと」である!?

 中原研究室も開設5年。ようやく、研究室所属の大学院生も業績がそろい、ここ1年以内に博士論文を執筆できそうな人が、ボチボチ、でてくるようになりました。
 そうなれば、誠にめでたいことであり、指導教員として、気が引き締まることであります。

 博士論文というのは、指導学生と教員がタッグを組みながら、各種の段階の審査を通過していく「通過儀礼」のようなものです。「これから1年間は、忙しくなるべな」と思いながら、パンツのゴムをきつくしめなおしております。鬱血しない程度にさ。

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(下記は、あくまで中原の専門分野、状況による記述とお考え下さい。博士論文のあり方は学問分野によってもことなりますし、その作法は千差万別でしょう。下記は、あくまで、中原の指導方針であるとお考え下さい)

 ところで、博士論文を書いたことのある人ならおわかりだと思いますが、博士論文でもっとも難しいのは、「文章を書くこと」ではありません、、、たぶん。いや、それも難しいのよ。自分も、その執筆プロセスでは、何度か「悶絶憤死」しかけました。でもね、経験上、それ以上に難しいことがあります。

 博士論文でもっとも難しいのは「構造を書くこと」なのです。

 つまり、自分がこれまで行ってきた複数の研究を総括し、「ひとつの論文」としてまとめること、これがもっとも難しい。

 といいますのは、アカデミックの文章の鉄則は

「One paper, One research question, One conclusion」
 
 です。

 つまり、どんなに長い文章であっても、本であっても、ひとつの論文には、ひとつのResearch Question(リサーチクエスチョン)が提示され、Conclusion(ひとつの結論)がなくてはなりません。

 でも、一般に博士論文には、修士以降の複数の研究の知見(つまりは複数のRQと複数の結論)が収録されます。
 ということは、複数のRQと結論を「総括してくくりだすような」ような「より大きなメタなRQ」「より大きくメタな結論」が必要なのです。
 そして、この「大きなRQ」と「大きな結論」が、複数の「小さなRQ」と「小さな結論」ときちんと整合性を保ちながら、ほどよく調和し、マイルドでコクのある香りを漂わせていなければなりません。「ダバダー "違いのわかる男"はダバダー」という感じ(笑)。

 中原研では、修士一年生の頃から、ことあるごとにこの「構造」について下記のようなスライドを用いて、意識させながら、指導をしてきました。ちなみに、この図、よい指導方法かどうかは知りません、だって、まだ博士取得者がいないんだから(笑)これからなんだから(笑)。

 この図では、先ほどの話のとおり、博士論文をかけて追求する「大きなRQ」と「大きな結論」が複数の「小さなRQ」や「小さな結論」から構成されていることがおわかり頂けると思います。

 なお、この図では「小RQ」は2つになっていますが、学問分野や状況によっては、これが3つになっても、4つになっても問題はありません。また、この図は基本構造図であり、そこに変形が加えられてもかまいません。たとえば3章や4章が水平に併置されるのではなく、垂直に連続していても、問題はありません。
 しかし、いずれにしても、博士論文には、複数の「小さな研究」を「総括」してくくりだす「大RQ」と「大きな結論」がなくてはならないのは、変わりません。また、そこには「整合性のある論理構造」が必要なことは言うまでもありません。

hakaseronbun2.png

 でも、なぜ、この「構造図」をつかって修士一年から指導するかというと、修士論文を書いた時点で、4章で書けることがある程度決まってしまうからです。
 さらには、「博士論文のタイトル」は3章と4章を総括する概念 - 大学院生時代の研究を総括する内容 - となることが多いと思いますので、すなわち、修士のときの問題関心は、博士論文の内容や構造を暗黙のうちに「規定」してしまう内容となってしまうからです。

 修士の学生は、修士論文を書いているつもりかもしれませんが、それは見方をかえれば、違って見えるはずです。つまり、修士論文とは「博士論文の一部」「博士論文の構造」を知らず知らずのうちに書いているのです。修士のときの問題関心って、結構、長く尾を引くものよ、意外にね・・・・。
(修士と博士で分野や研究テーマを変えた場合には、これはあてはまらないです。また学問分野によっては、全く常識が異なるので、注意が必要です。あくまで中原の専門、状況に応じた話であるとお考え下さい)

 しつこくしつこく使っているので、大学院生の皆さんは、おそらく、「おい、またでてきたよ、いつもの構造の図が」と思っているかもしれないのですが。。。

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 ふりかえってみますと、
 
 修士論文は「はじめて文章を書く訓練」であるならば、博士論文は、「はじめて構造を書く訓練」であるといえるのかもしれません。

「足裏の飯粒」とか「ライセンス」とか、なんとか、いろいろ言われる博士論文ですが、その意味は大きいなと思います。だって、「構造が書けなきゃ」、大きな研究のプロポーザルは書けないし、ましてや研究書は書けないでしょ。一般的には、研究者としての経験を積めば積むほど、小さな研究をまとめるだけじゃなくて、「小さな研究をまとめて、大きな絵を描く(研究のビジョン)」が多くなりますからね。

 研究室の大学院生には、何とかこの通過儀礼を頑張って乗り越えていってほ欲しいねと思っているところです。大丈夫、終わらせよう。

 そして人生は続く


追伸.
 今日の話は、少し大上段にかまえたお話になりました。ごめんね、えらそうだったかな。すみません。「てめーみてーな若造ペーペー」が博士論文を語んじゃねー、と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、誠に、どうも、すみません。

 また、小生も今ではこうして冷静に語ることができますが、自分も執筆のあいだは、ほとんど「死にかけ人形」、ていうか、「意識を何度か失いかけたこと」を白状しておきます。辛いよね、苦しいよね・・・気持ちはわかるよ。

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■2012/11/28 Twitter

  • 19:11  (2)「学び」の世界は、特に聖性が働きやすいです。ともすれば「ドンブリ勘定」か「過剰なボランティアリズムの称揚」になる。きちんと努力している人に、確実にお金が回る仕組みをつくることです。それは「やましいこと」なんかじゃない。http://t.co/TBiBiYoc
  • 19:10  (1)「たかが報酬、されど報酬?」村上春樹さんのエッセイに触発され、6年前、こんな記事を書きました。若手が頑張ってもそれだけで食えない業界は、いずれ先細ります。でも原因、年配者のドンブリ勘定によって生み出されていることもゼロではない。http://t.co/OjdlcDig
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