パネルディスカッションの5つのトホホ文法 : 尻切れトンボ、みんな違ってみんないい、オレオレ質疑、過剰プロレス、リンダ困っちゃう!?

 パネルディスカッションって、そもそも「何」ですか?
 皆さん、パネルディスカッションって、「面白い」ですか?

  ▼

 最近よく思うことに、「パネルディスカッションって、そもそも、何だろう?」ってのがあります。
 別の言葉でいえば、「何があれば、パネルディスカッションなのか?」「何を失えば、パネルディスカッションではなくなってしまうのか?」これがさっぱりわからなくなっているのです。

 これに関連する問いは、実は、以前にも持ったことがあって、過去に僕はこんなことを言っています。

パネルディスカッション
http://www.nakahara-lab.net/blog/2008/05/post_1223.html

 上記の4年前のブログ記事では(4年前から、あんまり進歩ないねー)、グダグダと文句をたれていますが、要するに言いたいことは、僕は「パネルディスカッションというものが、あまり好きではない」のです(笑)。で、たぶん、それに不満を抱えている人も少なくないと勝手に想像する(笑)。だから「パネルディスカッションを、もう辞めにしませんか」ということです。

 なぜなら、全部とは言わないけれど、僕自身がパネルディスカッション全体で「知的にくすぐられた経験」が、あまりないから。

 誤解を避けるために言っておきますが、パネルディスカッションに参加する個々の登壇者の話には「なるほどね」と首肯してしまうお話もあるのですよ。いや、個々のお話しは、知的興奮を覚えてしまうことも多々あります。

 ただ、「パネルディスカッション全体」「場全体」としては、「面白いねー」と思ったことはあまりないのです。

 これは自分がパネラーとして登壇しているときも同じです。オファーをいただき自分で登壇していたとしても、「あー、かみ合わないな、オーディエンスの方々に申し訳ないな、カタジケナイな」と後悔することの方が多いのです。

 まー、「好き」とか「嫌い」とか言っていても、埒があかないので、一応「なんちゃって研究者」らしく、もう少し別の言葉で言い換えてみましょう。

 つまり、こういうことですね。

「パネルディスカッションという場、場のしかけ、相互作用の構成の仕方が、学びの観点から見て、優れているとは思えない」

 これだね、言いたかったことは。

 パネルディスカッションって、そろそろ、考え直しませんか?

  ▼

 繰り返して言いますが、パネルディスカッションがあまり面白いものにならない理由は、「パネルディスカッションに登壇する人の責任ではないこと」の方が多いように思います(小生、言い逃れをしているわけじゃないですよ)。

 厳しく自戒をこめていいますが、「登壇者の掲げる話題や発話」が、あまりにもクオリティが低い場合に、そうした事態も「ありうる」かもしれないけれど、多くの場合は、それが主因ではないように思うのです。

 というよりは、そもそも、パネルディスカッションというものが、「最初から話がかみ合いそうにない構成」「聴衆の心に刺さりにくい構成」によって実践されることが多いからではないでしょうか。

 言い換えるならば、一般的な「パネルディスカッションの実践・形式」が、学びの観点からすると「プア」であると言ってもいいかもしれません。

 「最初から話がかみ合いそうにない構成」ないしは「聴衆の心に刺さりにくい構成」のことを、僕は「パネルディスカッション文法」と呼んでいます。下記では、よくあるパネルディスカッション文法について説明しましょう。

  ▼

 パネルディスカッション文法には5つの形式があります。
 英語にも、そういうのあったよね、5文型だっけ。
 中学生の頃、覚えたな。

 文型1は、
「1. 聞く 2. 聞く 3.聞く 4.時間がなくなって、尻切れトンボで、帰る型」。
 
 これはわかりやすいですね。
 要するに、パネル「ディスカッション」といいつつ、登壇者のミニレクチャーないしは大放談が一方向的に続き、さらにはタイムマネジメントがうまくいかず、時間がなくなって、「えー、時間も押しておりますので、今日はこれでお開きにします」というかたちで、終わっちゃうやつです。

「おいおい、ディスカッション、どこいった?」

 って感じですね(笑)。

  ▼

 文型2は、
「1. 観点 2. 観点 3.観点 4.みんな違ってみんないい型」

 これは、パネルディスカッション全体に「イシューがない場合」に起こりがちです。
 要するに、パネルディスカッションと称して、異なる観点・学問領域・立場の登壇者の意見発表が続くが、その後で、みんなで話し合うべきイシュー(問題)が「ない」ために(あるいは設定されていない)、最後は「みんな違ってみんないい」というオチになってしまう。

 あの観点もいいよね
 この観点もいいよね
 その観点もいいよね
 そうか、みんないいんだよ
 みんな違って、みんないい
 ふむふむ、幸せ。

 いわゆる「文化相対主義」というやつですね。それぞれの「観点」の論者は、「相互不可侵」「相互不交流」である場合に、このタイプになりがちです。
「相互不可侵」で、「相互不交流」であるならば、なぜ、このクソ忙しいのに、全員で集まってパネルを行う意味があるのか、僕にはわかりません。

  ▼

 文型3は、
「1.発表 2.あさって質疑 3.発表 4.オレオレ質疑」型です

 通常、パネルディスカッションでは、会場にオープンに場を開かれます。聴衆の中には、「自由に誰もが発言できる質疑の機会は絶対にあるべき」と強固に思い込んでいる人もいて、もし質疑がないと、文句を言ってくる人もいます。経験上、これ、意外と多いです。質疑がないと、怒ってくる人。

 聴衆にはいろいろな方々がいます。同じ話を聞いても、人の感じ方・考え方は異なりますので、人がいろいろな疑問をもつことはあたりまえのことですし、それはそれぞれにリスペクトされてしかるべきです。
 ですが、そこに「場の進行を無視して、誰がどんな発言をしてもいい」という「疑似民主的な理念!?」が働いたとたん、質疑は、「脱線」というか「暴発」しまくることが多いのです。

 パネラーや司会者が

「えっ、何のことを聞いているのですか? そもそも質問の意味がわかりません」
「今頃、それを聞きますか? それ、さっき、話題が終わりましたよね」
「それって、人類の課題じゃないですか。そんなことを聞いても、答えられるわけないじゃないですか?」

 と思わずツッコミをいれたくなる「あさって方向からの質疑」が、突然投げ込まれたりします。許されるならば、こういう質問は「斜め45度の方向から便所スリッパでスコーン」とやってやりたいのですけれども、公衆の面前で、それもできません。

 あるいは、

「えー、登壇者はまことにけしからん・・・オレは昔、こんなすごいことをしていて、カクカクシカジカ(5分経過)」
「えー、そんなことは、前にオレが、研究・実践していたのであって、それを勉強した上で・・・・(5分経過)」

 という「オレオレ質疑」続くこともあります。
 「オレオレ質疑」とは、「質疑」いう名を借りた「主張」ですね。
 全然「質疑」じゃないんだ、実は(笑)。言いたいことはただひとつです。

「オレって、スゴイだろー」(笑)

  ▼

 文型4は、
「1.やらせ 2.やらせ 3.やらせ 4.やらせ 5.過剰プロレスで白ける」型です

 これは、ある意味、聴衆のことを考えて、パネラー同士が「やらせ」でケンカをふっかけたりするやつですね。僕も何度かふっかけられたことがありますし、ふっかけたこともあります。

 ある意味、パネルディスカッションには「プロレス的」な要素があって、「やらせ」も大切なのです。ですが、「やらせ」というのは「高度な演技力」と「練り込まれたストーリー」が必要なのです。つまり、問われるのは、登壇者の力量と、司会者の企画構成力が問われるのですね。

 そういうものがなく(自爆)、あまりにも過剰に「やらせ」を乱発するもんだから、かえって、聴衆が白けてしまうという現象が生まれます。

 個人的にいうと、僕は壇上で、「仕組まれた論争」なんかしたくありません。だって、バレるでしょ。僕、ヘタですし(笑)。

  ▼

 最後の文型5は、
「1.発表 2.発表 3.質疑 4.シーン 5.もうどうにも止まらない御大」型です

 要するに、パネリストの発表が続いたあとで、質疑を聴衆に等のだけれども、多くの人の前で発表するには緊張するので、誰も手をあげない。つまり会場全体が静まりかえり「シーン」となってしまう。で、安易に司会者が「切り札」に使うのが「御大:エライ人」カードです。

「質疑がないようですね。それでは、○○大先生がお越しいただいているので、・・・○○大先生にお話しをきいてみましょう・・・・」
(エライ人の話が永遠に続く・・・もうどうにも止まらない。リンダ困っちゃう・・・笑)

 というパターンですね。

 無茶ブリされる御大もちょっぴり可哀想ですが、話は堰を切ったように続きます。
 しかも、司会者の方から話を振ってしまった以上、司会者自ら、それを静止することはできません。かくして、永遠とも思える「御大トーク」が続き、時間が流れます。

 御大だって、たぶん!?、困ってるんです。突然話を振られて、でも、何とか、立場上、「まとめ」なアカンやろ(笑)。だから「オチ」が見えるまで、話をやめるわけにはいかないのです。
 この場合、御大が悪いんじゃないのです(笑)。そういうところで「御大カード」を切ってしまった方の責任ですね。

   ▼

 このように「パネルディスカッション文法」には典型的には5つの異なる形式がありますが(話半分できいてね)、実際のパネルディスカッションでは、これらが複雑に絡み合っていることは言うまでもありません。こういう文法が複雑に「とぐろ」をマキマキと巻いて、パネルディスカッションという時間が構成されるのです。

 この背景には、下記のような問題がありそうですね。

 1)タイムマネジメントの難しさ
 2)イシューの設定をきちんと行うことの準備不足
 3)場をオープンにしたときの統制不能さ
 4)演技を行うことの難しさ
 5)静止することの難しさ

 などから、パネルディスカッションという形式は、なかなか場全体として、うまく理解を促進することが難しいのだと思います。

 個人的には、「パネルディスカッションという場の構成のあり方」を、そろそろ考えなおすことがあってもいいな、と思っています。特に学習系、人材開発系、教育系の会であるならば、なおさら。

 パネルディスカッション
 そろそろ、2.0を考えるときなのかもしれませんね
 Leafningfulなパネルディスカッションを「一発」ね(笑)

 ま、こんなことで、グダグダ考えているのは、ケ●のアナの小さい小生(暇人?・・・いや、暇じゃないんですよ)だけかもしれませんが(笑)

 ---

■2012/08/28 Twitter

  • 21:22  ((((((((((((;゚Д゚)))))))))))))) RT @YukiAnzai: ((((;゚Д゚))))))) RT @THE_LOWBROWS 今年も残すとこ後3ヶ月
  • 18:51  【ブログ更新】今年の夏のプチ挑戦 : プレゼンテーションスタイルを変えてみる http://t.co/TOZJucsw
  • 12:38  「自分が相手によって変えられるということに私が開かれているのでなければ、相手を変えたいなどと望む権利はない。」(マルティン=ブーバー)
  • 12:36  大丈夫。腹をくくると愉しくなるよ>RT @tatthiy 【ブログ更新】「そういうお前はどうなのだ?」を問われる学問:ブーメランを受け止める覚悟 http://t.co/H6MlDaUO  [in reply to tatthiy]
  • 10:21  Have fun! RT @tatthiy 基礎3とかの授業思い出すよね。まあお互いがんばりましょー!RT @fumituki85: お互い頑張りませう!僕もちょっと楽しくなってきました。 RT これまでで一番難易度高いかもしれん。楽しくなってきた
  • 10:19  なんで難しいかっていうとね・・・「合宿の課題」が「修論・博論の1章分を書くこと」と同じだからだよ。Have fun! RT @tatthiy これまでで一番難易度高いかもしれん。RT @fumituki85: 今回の合宿の準備は過酷ですね。全くまとまりません
  • 08:41  今年の中原研夏合宿は、ある概念の源流を辿る合宿、いわゆる源流合宿。皆さんの発表愉しみにしています。RT @tatthiy これまでで一番難易度高いかもしれん。楽しくなってきたけど。RT @fumituki85: 今回の合宿の準備は過酷ですね。まだ全くまとまりません
Powered by twtr2src.