学習空間って大事なの? : 「フツーの教室」でも智慧をしぼって「学びの空間」に仕立て上げる工夫!?

「学びの場のクオリティ」は、その「物理的環境」や「人工物の配置」にも大きく依存します。

 座っていて快適で、自由に、フレキシブルに動かすことのできる机・椅子。綺麗なカラーマーカーや、書き味のよいホワイトボード。全員のノートを共有できる電子黒板といったライティングツール。そして、照明や音楽ですら、そこでの学習者、教授者の振る舞いに影響を与えるでしょう。

「物理的環境」の学習効果は、なかなか定量的に、その効果を説明できるお話でもないのですが、そうした研究が本格的に立ち現れてきたのは、2000年代前半であったと記憶しています。

 話は2004年の頃、ちょうど、その頃、僕は、マサチューセッツ工科大学に留学中であったわけですが、ある日突然、僕と同じ研究室で研究していたセンベン・リャオさん(博士)が、「僕らが創ったクラスルーム」を見てみるかい、と声をかけてきてくれました。

「それは嬉しいな、行こう! で、どんな教室なんだい?」
「見たらびっくりすると思うよ!」

 で、そこで、僕がセンベン先生に連れられて見に行ったのが、学習関係の研究者・実践者の方ならご存じの、スタジオ型クラスルーム(TEAL : Technology-Enhanced Active Learning Classroom)でした。

 グループ学習を可能にする椅子と机。歩き回りながら、パッションをもって教える教授たち。4面プロジェクタでダイナミックに展開される授業。一見して、すごいな、と思いました。

 先進的でラグジュアリーな教育環境もさることながら、大学初年次の学生が、初等物理を学ぶのに、テーブルトップで簡単な物理実験をして、議論し、プレゼンをしている、というのが、僕にはとても新鮮に見えました。大人数講義でも、いろいろ工夫すればできるんだね、と。

 たまたま偶然なのですが、同じ研究室にイスラエルからきていたジュディ・ドリさん(博士)が、この教室で行った授業の学習効果の測定をしていました(Journal of Learning Scienceに掲載されていると思います)。

 そこで、僕は、「物理的環境と学習」に関する研究が、どうやら「ラーニングスペースリサーチ」という名前で立ち上がりつつあることを知りました。

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「ラーニングスペースリサーチ」は、その後、実践フェイズを迎え、高等教育のみならず、初等教育・中等教育についても、様々な教室がつくられていきました。「グループ学習などに最適化された理想の教室環境」を追い求める動きは、その後、本格化したものと思います。ちょっと、小耳に挟んだところでは、最近、「アクティブラーニング」という言葉が「商標登録」された、とか。びっくりすることも起こることです。

 ・・・ともかく、教育環境がよりインタラクティブで、フレキシブルになること自体は、僕は大歓迎しています。そのことの社会的意義は増えることはあっても、減じられることはないと信じていますが、しかし、一方で、最近、僕は、

「フツーの教室を、実践者の智慧でどのように変えて、利用するのか? 最適とは言わずとも、ベターな学習空間をつくるのか」

 ということにも関心を持ち始めています。

 先日、アクティブラーニングを研究している東大教養学部の中澤先生が、面白い論文を研究報告してくれました。「Space Matters Experiences of Managing Static Formal Learning Spaces(学習空間って大事なの?:動かすこともできないフォーマルな学びの空間をやりくりして使う経験):」と題された、その論文で著者のMontgomery, T.は、

「理想的な学習空間なんて"憧れ"に過ぎない」

 と言い放ちます。
 アンタ、そんな、なんちゅうことを! 言いたい放題ですね、この人(笑)。

 Montgomeryは続けます。

「いまだ、学習空間はテーブルと椅子、黒板と窓があるだけの小さなセミナールームが多い」

 のであって、

「こういった理想的ではない空間を、実践者が、どのように(工夫をして)扱うか」

 を考えることが重要だ、といいます。で、この論文では、定性的なデータをもちいながら、そのことを論じています。

 データと論理的展開はやや甘いですし、「問いの立て方」が、やや消極的なのですが、いわゆる「ちゃぶ台がえし的な問い」は、面白いな、と思いました。

 もちろん、グループでの学習に最適化された空間が用意できれば、それにこしたことはないですし、そうした環境がもっと増えることが求められますが、Montgomeryのいうように、「いまだ学習空間はテーブルと椅子、黒板と窓があるだけの小さなセミナールームが多い」というのも事実です。今はそこからの移行期なのかもしれませんが、「Great place to learn」 が常態化する日まで、上記の問いは重要な気もします。

 だとするならば、

「トラディショナルで、もう救いようのないような(?)、ぺんぺん草もはえないような学習空間(どういう場所よ、それ)」を、実践者が見て、どのように限られた時間で手を加え、そこで授業をするか

 という問いを考えていくのも面白いな、と思っています。

 できることは限られている。でも、その中で何をするか?
 かけられるリソースも時間も限られている。それをどう活かすか?
 教えなければならないことは決まっている。その中でどう教えるか?

 そういう過酷な環境の中で駆使される「実践知」って、面白いな、と思います。

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 僕もこれまで様々な場所でワークショップや研修をしてきました。

「マジで、ここでやるんすか・・・と、思わず、ガクガクブルブルと、身震いしてしまうような場所」

 を、限られた時間の中で、事務局の方々のお知恵をいただきながら変えた経験は、1度や2度ではありません。でも、不思議なもので、やろうと思えば、限界はありますが、工夫できないことはないのです。もちろん、椅子も机もガタガタで、足に「段ボールを重ねて、足の下に、かませなければならない」ような環境は、どうしようもありません。あのね、そういうのを「衛生要因」というのですよ(でも、悲しいことに、そういう研修施設は少なくない・・・)。
 でも、机と椅子が動くなら、ベストではなかったとしても、(くどいようですが、それがあるにこしたことはありません)、ちょっとの工夫で、よりベターにはなる。

 今度、そのプロセスを、ある場所で「記録」してみたいと思います。友人の牧村真帆さんと今、一計考えているところです。もちろん、元祖「シャツ出し人間」「靴下ぽいぽい」「引き出し閉めない星人」の小生の実践を記録するのではありません。わたしは記録する側です。牧村さん、記録される側(笑)。

牧村真帆さん
https://twitter.com/#!/makimuramaho
 
 どこにでもあるフツーの場所を、智慧をしぼって、いかによりよく使うのか?
 どんな風に「学びの空間」として仕立て上げる(Tailoring)するのか?

 そこで発揮される実践者の智慧と改造のプロセスみたいなものを記録して、また皆さんでお楽しみいただけるとしたら、うれしいことです。マニアックな問いですが、個人的にはおもしろがっています。

 そして人生は続く。

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