「自分のメディア」を持ち、「自分の場」をもつことの意味

 ずーっと、ずっと昔のことになりますが、僕がまだ学部生だった頃、数名の有志をつのって、なんちゃって「オンラインジャーナル」!?をつくったことがあります。ジャーナルっていったって、なんちゃってだよ、なんちゃって(笑)。
 学習研究・教育研究を志していこうとしていた学部生数名が、数ヶ月に一回、自分たちの好きな原稿を書いて、ネットで雑誌を発行しようということになりました。

(ちなみに、この十数年後、この当時学部生であった僕たちは、大学の教員になっています。そのひとりが、先日、僕が共著を書かせて頂いた東京学芸大学の高尾隆さんですね。面白いですね。)

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 僕は「言い出しっぺ」の一人でしたが、そこには結構思い入れがありました。

 今となっては「アタリマエダのクラッカー」「ご冗談でしょ、ファインマンさん」かもしれませんが、当時の僕は、こんなことを考えていました。

 "今に、研究者が、自らメディアをもつ時代がくる。
 研究者が自らのメディアで、自分の研究知見を発信したりするようになる
 研究者がネットを通じて "場" をつくるようになりはじめる"

 僕は学部1年生・2年生の時代、ほとんどの時間を「情報処理棟」という、ワークステーションが並んでいるところで過ごしました。そこで衝撃的なものに出会った! それがネットでした。 
 もう愉しくて愉しくて仕方がなくて、寝食忘れてネットにどっぷりと浸かりました。自分でホームページ(これ、死語ですな)をつくったり、プログラミングをしていました。授業も上の空(内緒)、家にはネットがないので帰りたくない(当時は、ピーピーガーガーというモデムでつないでいたんです)。僕は、許された自分だけの時間を、ネットにささげました。

 そんなこんなで、結構、思い入れがあったのです。「自分のメディアをもつ時代がくる」というのは、そういう僕の原体験に根ざしたことかもしれませんね。こうした思いつき(!?・・・いつも思いつきで恐縮です)のもと、そこにオンラインジャーナルプロジェクトは組織されました。自分たちのメディアで、自分たちで情報発信を行う。それがめざすべきことでした。

 しかし、このアイデアは、一部で揶揄もされました。

"学部生みたいなペーペーが、人前で、教育のことや、学習のことを、語るんじゃない"

"人前で話していいのは、職業としての研究者になってから。クオリティの低いものをネットで垂れ流すのはいかがなものか?"

"学術は、インターネットとかいう怪しげな民間のサービスなんかで、語られるべきじゃない。きちんとした学会や研究会などで語られるべき"

 わかるよ、そう、言いたくなるのは、よくわかる(笑)。
 先達のご意見は、いつも貴重でございます。まことに大変ありがたいことに、何人かの人から、こんなことを対面でご指導された覚えがあります。ありがとうございます。
 今の若い人には想像すらつかないと思いますが、今から15年 - 20年前は、こんな感じでした。

 でも、僕は全く意に介しませんでした。 
 確かに今から考えれば、「クオリティは高いとはいえない(笑)」。
 そりゃ、ごもっとも。ごめんなさいね・・・いまだに耳が痛いわ。
 
 でもね、ネットで何を話そうが、何を発信しようが、それが道徳や法律に反しない限り、オラの勝手。それに、クオリティが低いか高いかを決めるのは、オーディエンス。読むか読まないかを決めるのは、読み手の勝手。いやなら、読まなければいい。これが「従来の"公器"としてのメディア」と、「ネットメディア」の決定的違いのように思います。

 さらには、学術に関する情報こそ - 特に僕たちのように現場をもつ研究であればあるほど - ネットの中で語られ、現場の人々に届き、そこでよいリレーションができることが重要ではないでしょうか。少なくとも僕は思います。

 僕は、当時、そんなことを考えていました。というわけで、懲りもせず、しこしこと、みんなで、言いたい放題、いろいろ書いておりました。たまに、上の先生から「中原君、こないだの論文、読んだよ」とか言われたりしてね。たとえ、学部生の書いたものであっても、ネットの広大な世界には興味を持って読んでくれる人がいる。つまり、読者ができる。それはそれは、愉しかったね。

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 結局、このプロジェクトは、メンバーが修士論文に取り組むようになってから活動を「自然休止」してしまいますけど(笑) - そのあたりがふんばりどころのないところですな - でも、僕にとっては、このときの経験と、それがもたらした意味は、非常に興味深いものでした。

 自分がメディアを持てるんだ、と。
 自分が言いたいことを発信すればいいのだ、と。
 そして
 志をもって発信すれば、必ず、見てくれる人がいるのだ、と。

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 なんか、こんなことを話すと、Twitterやら、Facebookやらが「日常ちゃはんじ」の現代の大学院生にしてみれば「プププ」という感じかもしれませんけど、確かに、そういう時代があったのです。誠に面白いですね。

 もちろん、すべての学問領域で、こういうことをするべきだ、とかそういうこと言いたいわけじゃありません。また、やるかやらぬかは、個人の問題ですので、わたしは殊更おすすめもしませんし、否定もしません。

 でも、もし、あなたに届けたい何かがあるのだとしたら・・・・
 あなたは、どんな「メディア」を持ちますか?
 そこに、どんな「場」をつくりますか?

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■2012/04/09 Twitter

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