激変するラーンスケープ(Learnscape - 学びの光景):TwitterとUST時代の学びを考える

 先日、土曜日。

 本間正人さんのやっておられる「NPO 学習学協会」が主催なさっている「学習学フォーラム2010」というイベントで、小生、パネリストをつとめさせていただきました。本間さんには、去年のワークプレイスラーニング2009で大変お世話になりました。

学習学フォーラム2010
http://www.learnology.org/LF/2010.html

 このフォーラムのテーマは「バーチャルとリアルの融合」。「ネットに拡大する学習空間」と、いわゆる「リアルな学習空間」の「関係」を考えることが、このイベントの目的であったと思います。

 基調講演では、「天空の魔法アイランド」という幼児向けの英語ビジネスをなさっているMoonshoot社の加藤さん、ビジネスブレークスルー大学院大学の炭谷俊樹さんから、現在の、ネットと学習のアクチャルな動きについてお話をいただきました。

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 前者、加藤さんのサービスは、ネット+絵本+リアル教室を連携させて、「一貫したコスモロジー(世界観をもったストーリー)のもとに、コンピュータがもっとも得意とする反復学習を可能にする学習時間を確保する試み」として非常に面白く聞かせていただきました。

 特に僕が興味をもったのは、「ネットの学習」は、いまや、「リアルの学習」を「補完」「代替」するものではなく、「リアルの学習」を「駆動」するもの、「形作る」ものになっているのではないか、ということです。

 かつて、Blended learningという言葉が人口に膾炙していたころ(2000年前半)、ネットの学びは「補完」なのか、「代替」なのか、ということで、ずいぶん議論がありました。

 しかし、おそらく、今、起こっていることは、「ネット」がきっかけで、リアルの場が構成されたり、促進されたり、することです。
 今日のUST中継のように、ネットのむこうのTwitter上の「あなた」の発言によって、「リアルな場」にいる人たちのコミュニケーションや講演、パネルディスカッションが、少なくない影響を受ける、ということが起こっています。
 少なくとも、「ネット」は、すでに、いわゆる「リアル」と相互作用しながら、わたしたちの「現実」、あるいは「学習経験」を構成するまでになったといえるのではないでしょうか。これが加藤さんのお話をお聞きして、僕が、考えていたことです。

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 炭谷さんのお話で印象に残ったのは、ネットの中の学習空間が広がることによっておこるサプライサイド(教育のサプライサイド:公教育以外の教育の提供側)の危機についてです。炭谷さんは、そのあたりのお話を前半なさっていました。

 ネットの世界では、「人気の寡占化」「評価の肥大化」「コンテンツの細分化」という問題がおこりがちです。

 つまり「同じ学ぶのだったら、誰でもいいわけじゃなくて、他ならぬこの先生に、学びたいということで人気が寡占化する」ということがおこりますね。つまり人気は集中してしまうということです。

 また、食べログやAMAZONのレイティングを見ればわかるように、ものの価値が、ネット上に流出した他者による評価によって決まるようになります。いったん評価がなされると、もれなく、その評価は一人歩きします。それは、被評価者が望むと望まないとにかかわらず、起こります。当然、そのことの弊害は多々あります。一人歩きする評価に信頼性や妥当性があるものなのか、については議論が必要でしょう。しかし、ともかくも、いったんくだされた評価は、「もれなく一人歩き」するのです。

 また、iTune Music Storeを見ればわかるように、アルバムを買うよりは、この曲だけが欲しい、という風に、コンテンツの細分化、モジュール化、あるいはマイクロコンテンツ化がおこりがちです。

 もちろん、こうした問題は、教育ビジネスだけに起こるわけではありません。しかし、重要なことは、こうした類の変革は、一度迎えてしまえば、「後戻りすることはない」ということです。
 炭谷さんのお話をお聞きして、この時代に、教育のサプライサイドは、岐路にあると思いました。サプライサイドが、今、どのような戦略とビジネスモデルを構築することができるかが、非常に重要であるように感じました。

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 基調講演のあとは、パネルに移行しました。
 パネリストの方々から、前半の2つの基調講演に対して、様々な意見が述べられました。ふだん、僕が耳にしないこともあり、非常に勉強になりました。

 僕の方は、「ネットと学び」について、最近、フツフツと自分が感じていることを、下記のとおり、3点述べました。
 誤解を避けるために最初に述べておきますが、1と2と3が「事実」であると述べているというわけではありませんし、1と2と3の事態が「望ましい」と言っているわけではありません。これらはあくまで、僕が最近感じていることであり、そこで進展している内容が社会効率性、合理性の観点から「望ましいこと」なのか、どうかは議論が必要なことです。

 僕が述べたことは3点です。

1.バーチャルとリアルという言葉は、もはや、「死語」である

2.学びのイニシアチブが個人にうつることが可能になってきている

3.フリープラットフォームの出現で、内容知をもった専門家が直接学習者とつながる時代が到来しようとしている

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 まず、1の「バーチャルとリアルという言葉は、もはや、死語である」という言葉は、ややメタフォリカルな表現です。正しくは、「バーチャル」と「リアル」という二分法で、「学習」を語ることができなくなってきている、ということでしょうか。

 現在、あらゆるデジタルアプライアンスが「いつでもどこでもネットにつながる」時代に突入しています。もはやネットはアンビエントな存在になってきました。また同時に、デジタルアプライアンス自体が「パソコン」「PC」から、携帯電話等にも移行した「モバイル化」も進展しました。

 このような「アンビエント化」「モバイル化」の流れによって、かつてわたしたちが「バーチャルと呼んでいた世界」 - パソコンの前にすわって、ポチポチと、画面をみつめるという学習の姿 - が必ずしも支配的ではなくなってきているように感じます。

 たとえば、愚息TAKUZOは、欲しい英語のソフトを、iphoneで無料でダウンロードして、マルチタッチスクリーンで遊びます。
 「触ることができること」が「リアル」で、「触ることができない」というものが「バーチャル」だとおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、マルチタッチが当たり前の彼の前では、その区別は、あまり意味のあることではありません。

生まれてはじめて描いた文字は、iphone上
http://www.nakahara-lab.net/blog/2010/03/post_1666.html

 また、愚息TAKUZOにとっては、僕らの定義でいう「バーチャルな世界」は、圧倒的に「リアル」です。といいましょうか、生まれながらにしてタッチスクリーンに囲まれていた世代にとっては、「バーチャル」と「リアル」を区別することは、僕らよりはあまり意味がありません。僕が言いたいことは、たとえばそういうことです。
 これは、今の若い世代のみならず、程度の差こそはあれ、さまざまな人々が感じていることではないでしょうか。

 かくして、アンビエント化し、モバイル化が進む現在のネット環境においては、かつてのように「バーチャル」と「リアル」によって、学習を語ることは、難しくなってきているように感じます。

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 次に「2.学習のイニシアチブが「個人」に移ってきている」とはTwitterのことをさして言いました。
 かつて「ネットと学習」の世界の話、ということになりますと、「いわゆるeラーニング」の話ということになり、それは、「サプライヤ」が主導するシステムから提供される「パッケージ化」された「教育コンテンツ」のことをさすことが多かったように思います。そして、「eラーニングの言説」は、サプライサイドが圧倒的にパワーをもっていた世界でした。それは、多かれ少なかれ、今も、なお、そうでしょう。

 しかし、Twitterのように、もともと学びを志向するために作られたサービスではないものが、場合によっては、個人の学びを加速させるツールとして用いられるようになってきました。
 もちろん、Twitterをやっている方は、「I don't think I am learner」というでしょう。俺は、別に、「Twitterを愉しんでいるのであって、学びをしているのではない」、と。

 しかし、そこには確かに、

「学びとは言わない学びの機会」
「学びとは言わない学びの空間」

 が広がっているように感じます。正確には、それを「学びの道具」として位置付けて利用する人が少なくとも僕の眼からみると増えている、ということです。

 これはそういうことを志向する人にとっては、ポジティブな側面をもちます。しかし、物事はいつもDouble edge swordです。同時に、「ネットと学習」の「ダークサイド」を生み出します。
 つまり、インターネットのリテラシー、あるいは、学習技術の差によって、「よりよく学べる人=さらに成長できる人」と、そうでない人の格差を加速度的に拡大するのです。自由化、オープン化時代の幕開けは、新たな格差時代のはじまりを意味します。

 個人的には、公教育においては、そうした格差を是正するための措置(フラットな学び)をとっていくことが求められると思っています。そこで教えられるべきことは、おそらく「自分で自分の学びをデザインすることを、みんなで学ぶことを通して、つまり協調的な学習過程を通して獲得すること」、つまりは「他律的な支援とコミュニケーションによって、学び手を育成すること」ではないか、と僕は思います。

 もちろん、「格差」の問題は、公教育だけで担うには重すぎる課題です。その場合には、福祉を含めた様々な領域、さまざまなエージェント(行政、NPO)の連携と役割分担、政治主導による解決が不可欠です。

 一言でいうと、

 ネットと学習のダークサイドは、公教育だけで解決できる問題ではありません

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 ちなみに、「学ぶ個人」の肥大化に関して、最近、とみに、実感するときがあります。

 僕は仕事柄、若いビジネスパーソンやマネジャーにお会いすることが多いのですが、彼らのTwitterでフォローしている人を見せてもらうと、そこには、いつかのパターンがあることに気づかされます。

 1.ただたんに有名人をフォローする人

 2.新聞社やお天気などの「1次情報」をフォローする人
   =情報収集としてTwitterをとらえている人
 3.1次情報に付加価値をつけて発信する人をフォローして、
   =収集する情報の選別を行っている人

 4.収集した情報をもとに問いをなげかけて、みんなと一緒
  に考え、自分なりの考えをブログにまとめている人
   =知のエコシステムをつくる人

 Twitterの利用の仕方は自由です、またフォローする人も自由ですので、僕がとやかくいうことはありません。しかし、このように、人によって、情報処理のあり方も多様です。学びのありかたやそれに付随する戦略を自ら考え出し、学びのイニシアチブを個人がもつ時代が到来しつつある、ということなのではないか、と思います。

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 最後に「フリープラットフォーム化」のお話をしました。これは、明らかに「UST」のことを念頭においてお話ししました。

 USTのようなフリープラットフォームが誕生すると、専門家(内容知や技術)をもった人が、直接、そのようなプラットフォームを利用し、直接、学習者とつながることも可能になってくる、ということです。USTはTwitterが連動しますので、そちらの方で、ローカルコミュニティを組織すれば、マーケティングだって可能になります。

 これは、学びたいと願う個人にとってはメリットの方が大きいでしょうが、教育のサプライサイドにとっては「中抜き」されるリスクがともないます。
 こうした「中抜き」を避けるためには、どのような試みがなされるべきなのか。今、まさに本当に考えている教育関係者は、このことを考えているように感じます。
 
 ワンセンテンスで問いかけるのだとすると、下記のようになります。

 ソーシャルメディアをもった専門家が提供する価値よりも、あなたがかかわることで、わたしたちが得られる付加価値は何ですか?

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 いずれにしても、上記は、僕の個人的な「雑感」であり、確証がある話ではありません。しかし、最近のメディア業界の動きを見るにつけ、そんなことをとみに感じています。

 もちろん、今回のお話はメディア業界の動きと教育業界を重ね合わせることで、「ネットと学習」の未来を見通してみましたが、教育業界には、この業界独自の社会的機能があります。ゆえに、単純に議論を進めることには慎重にならなくてはなりません。

 たとえば、資格・学位を付与する社会的機能は、教育業界に独自のものです。また、教育が提供する価値が「コンテンツなのか、インタラクションなのか」、そのちがいによって、上記の「重ね合わせ」は説得力を見失います。このあたりは、またややこしいことですし、専門的なことなので、また今度にいたしましょう。くどいですが、話は、それほど「単純」ではないということです。

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 ともかく、今回のフォーラム、個人的には最近、フツフツと考えていたことをまとめる機会にもなりましたし、最近、遠ざかっていた「ネットと学びの世界」について、アクチャルな動きを知ることができました。
 今日はどちらかというと、オーディエンスの方々を意識して、サプライサイドの話になりましたが、もちろん、学び手の方の変化もおっていく必要があるでしょう。それもまた、別の機会に。

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 いずれにしても、ネットは、今後も加速度的な速度で「変化」していくと思います。そして、あらゆる物事に「変化」を迫るでしょう。
 様々な動きの果てに、わたしたちは、どのような「学びの姿」を見るのでしょうか。
 それは、わたしたち個人にとって、あるいは、教育の担い手にとって、「よい時代」の到来なのでしょうか? それとも、リスクと隣り合わせの時代の到来なのでしょうか。

 しかし、少なくとも間違いないことがあります。

 今、ラーンスケープ(Learnscape : Learning + Scape : 学びの光景)が急速な勢いで動き出しているということです。そして、その真っただ中に、僕らは、いる、ということです。

 僕は、今、そう感じます。

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 今回のイベントの様子は、Twitterのハッシュタグで様々な方々が発言なさっていますし、USTには録画も存在するようです。もしよろしければご覧ください。

学習学フォーラムのハッシュタグ
http://twitter.com/#search?q=%23learnology

学習学フォーラムの録画
http://www.ustream.tv/recorded/6763092

Twitterでのやりとり:まとめサイト前半@benkyo_kaiさん作成)
http://bit.ly/learnology1

Twitterでのやりとり:まとめサイト後半@benkyo_kaiさん作成)
http://bit.ly/learnology2

 最後に、本間正人さんはじめ、関係者の皆様には、心より感謝いたします。ありがとうございました。

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※追伸
 中原もTwitterをやっています。もしよろしければ、またご意見お寄せください。

中原のTwitter アカウント
http://twitter.com/nakaharajun

中原研究室のTwitterアカウント
http://twitter.com/nakaharalab

もしよろしければぜひ、東京大学ナビ(公式)のTwitterアカウント
http://twitter.com/todai_navi

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※追伸2
 ちなみに今日はご紹介できませんでしたが、米国のOnline educationの現状がわかるSloan-Cの報告書は下記で読むことができます。

Online education in United States
http://www.sloanconsortium.org/publications/survey/pdf/learningondemand.pdf