自分の歌を歌えばいいんだよ! :岡本太郎語録

 岡本太郎美術館に家族で出かけました。

 岡本太郎の痛快かつ鮮烈で、どこか切なさを感じる人生。Riskyで、Crazyで、Sexyなメッセージに、射貫かれた一日でした。
 そこには、リスクヘッジやら、アカウンタビリティやら、ハナクソやら、訳知り顔の世の人々が、慣れた口調で口にする世界とは、全く「真逆の世界」がありました。
 そして、僕は、そんな「真逆の世界」に深く共感し、心ひかれるのです。自分の歌をうたって、道のない人生を歩みたいと願うのです。

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 ぼくは、
 こうしなさいとか、
 こうすべきだなんて言うつもりはない
 僕だったらこうする、と言うだけだ
 それに共感する人、反発する人、それはご自由だ

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 危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ
 ほんとうは そっちに進みたいんだ
 危険だから生きる意味があるんだ

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 誰もが、あえて「出る釘」になる決意をしなければ
 時代は開かれない

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 他人が笑おうが笑うまいが
 自分の歌を歌えばいいんだよ

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 「お互いに」とか「みんなでやろう」とは、
  言わないことにしなければなりません。

 「誰かが」ではなく、「自分が」であり、
  また、
 「今は駄目だけれども、いつか、きっと、そうなる」
 「序々に」という、一見誠実そうなのも、ごまかしです。

  この瞬間に徹底する。
 「自分が、現在、すでにそうである」と
  言わなければならないのです。

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 芸術は爆発だ!

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 誤解される人の姿は美しい。
 人は誤解を恐れる。
 だが、本当に生きるものは当然誤解される。
 誤解される分量に応じて、その人は、強く豊かなのだ。

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 今までの自分なんか、蹴トバシてやる!
 そのつもりで、ちょうどいい。

 ふつう自分に忠実だなんていう人に限って、
 自分を大事にして、自分を破ろうとしない。
 社会的な状況や世間体を考えて、自分を守ろうとする。
 それでは駄目だ。社会的状況や世間体とも闘う。
 アンチであるのと同時に、自分に対しても闘わなければならない。
 
 自分に忠実に生きたいなんて考えるのは、むしろいけない。
 そんな生き方は安易で甘えがある。

 本当に生きていくためには、
 自分自身と闘わなければだめだ。

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 絵画の石器時代は終わった。

 西洋絵画が20世紀の初頭に獲得した自由の恩恵を、
 我が国も、やっと享受できる時代がきた

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 教祖だって? ふーん
 だとしたら、信者の一人もいない教祖だね

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 憤りを生きがいとして、つきだしていく。
 抵抗の火の粉を身にかぶる。
 楽しいではないか!

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 いいねぇ、この次は生まれてくるんだったら、
 ああいう鳥になりたいね。
 鳥には名前なんかないんだよ。
 俺は岡本太郎だ、なんて思って飛んでいるじゃないんだ。
 ただ、こう羽を広げて浮かんでいる。

 鳥には名前なんかないんだよ。
 オレは誰々だ、なんて思って飛んでいるんじゃない。
 これからどこへ行かなきゃとか、
 あの約束はどうしようとか、
 何にもそんなことはない
 いいなぁ。

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 孤独ということは、絶対に社会的だ。

 孤独者とは肉体的にも精神的にも
 他からの制約を誰よりも鋭く感じ、
 それに傷つきながら、
 なお絶望的に挑む人間なのである。

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 面白いねえ、俺の人生は。
 だって、道がないんだ。

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 最後は、小生、「太陽の塔」になってみました。
 眺めがいいなぁ。。。

okamoto_taro.jpg

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