ワークショップとは言わないワークショップ

 今、「働く大人とワークショップ」という本の原稿を書いています。

 最初は「企業人材育成とワークショップ」というタイトルだったような気もしますが、だんだん「働く大人とワークショップ」の内容が増えてきて、どっちにしたらいいか、悩んでおります。

 このままだと「企業人材育成と働く大人とワークショップ」になっちゃうよね、、、ちょっと、オクサン、どーすんの(笑)。
 僕ね、決められないんだよね、そういうの。思わず「まーまーまー、ここは、みんなで、ひとつ仲良く」なんて言っちゃいそうになる。
 でも、「と」が三回続くのは、「意味不明子ちゃん」だよねー。一瞬、「部屋とYシャツとわたし」みたいで、レトロでいいかな、とも思ったのですが(笑)。

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 閑話休題。

 書いていて、素朴に思ったことがあります。
 よーく考えてみると、世の中には「ワークショップとは言わないワークショップ」がたくさんあるということです。

 つまりですね、「ワークショップとは銘打っていないものの、やっていることと結果を見ると、ワークショップっぽく機能してしまっている場」がたくさんあるのですね。むしろ、そっちの方が数の上では、圧倒的マジョリティであるよ。あっ、タイプミス、いきなり国籍変わっちゃった(笑)。

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 例えば、某企業の事業部単位で実施されている場。会社がオフィシャルに支援し、三十年以上の歴史のあるそれは「懇談会」という名称です。職場単位で実施しているので、その内実は、職場長の裁量にまかされています。

 もちろん、職場単位の実施ですので、職場によっては形骸化している「場」もあるでしょう。でも、それが有効に活用されているところでは、職場のしかるべきメンバーが、ファシリテーターの役割を担い(自分がファシリテータなんて思っていない)、職場のメンバーに自分の仕事を見直す機会を与えたりしています。内容の構成も非常に、ワークショップ的です。

 もちろん、こうした場は、ワークショップという名乗っているわけではありません。でも、観察者の僕の目からみたら、すごく「ワークショップ的」に見えるのです。で、それをやっている方にお伝えすると、

「僕たちがやっているのって、ワークショップっていうんですか、、ははー。そんな風な領域があるんですねー、世の中広いですなー」

 ってな感じです。

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 今日の文章、だんだん、書いていて、どうやってオチつけんのか、わからなくなってきたけど(笑)・・・あのね、要するにそういうことですよ、、、感じてください、僕の言いたいことを(笑)。

 つまり、「企業人材育成とワークショップ」でも、「働く大人とワークショップ」でも、どっちでもいいんだけど、どこからどこまでを、「ワークショップ」の範疇に含めればよいのか、わからなくなってきたってことです。

 つまりは、ワークショップを「インプット」としてとらえる のか、それとも「アウトプット」としてとらえるのか、ってことなのかな。わかんねーけど(笑)。

 前者は、「ワークショップという手法を使って、●●したら、~なりましたよー」という風にとらえること。後者は、「●●というものが既にやられていて、そこでの活動と所産は、ワークショップ的でした」と書くということ、です。僕はこの本で、どちらの立ち位置で書けばいいのかな、と悩み始めました。たぶん、これが言いたかった。

 どない?

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 まぁ、少し悩んでみます。

 でも、いわゆる「教育畑・学習畑の人」からみたら、前者の書き方の方がすっきりすると思うんだけど、きっと「現場の人」からみたら、たぶん後者だろうな、と思う。

 まぁ、だとしたら、どっちの立ち位置に僕がたつかは、おのずと答えはでているよね。

 そして人生は続く。