Twitter能力論!?:トイカケラビリティ、ツッコマラビリティ、ツナゲラビリティ、マメラブル
Twitterというのを本格的に使い出して、2週間くらいになります。正しくいいますと、ずいぶん前から使っていたのですが、その間はフォローなどをなるべくせず、また発言などもなるべくせずに、READ ONLYでした。時折、「みかん食ってます」とか、しょーもないことを、まさにつぶやいておりました(笑)。
年があけて、「一年の計は元旦にあり」ということで、本格的に使うようになりました。で、2週間くらいたって、ようやく、何となく、この世界がわかってきたように思います。
使ってみて、いろいろ思うところがあります。わたしはメディア論の専門でも、社会学者でもないので、Twitter論を論じる気はありません。それは誰かやってください。その能力はわたしにはありません。またもや、いつものように、勝手気ままに、責任をもたず、言い放ちます。
僕が最も印象深いのは「Twitterを愉しむために必要な"能力?"とはどのようなものか」ということです。
こんな風にいうと、
「愉しむ」とは何を意味するんじゃ、ボケ!
「能力」とは何のことじゃ、わりゃ!
と青筋をたてた人がでてきそうですね(笑い)。でも、ごめん、僕のブログごときで、真に受けないでください。世の中には他に、もっともっと、まじめに考えて、憤らなくてはならないことが、たくさんあるはずですから(笑)。
何が「愉しむ」なのか、何が「能力?」なのかを、精密に議論することはさておき、ここではそれを、「フォロー数・フォロワー数がある程度いて(孤立しているわけではなく)、Twitterの利用がある程度生活に浸透し、そこでのインタラクションから、何らかのメリットを享受していること」と仮に定義します、あくまで「仮」に。
上記の定義が、本当に「愉しむ」なのかどうなのかはひとそれぞれです、いろんな「愉しむ」があってよいとわたしは思います。またこの定義は、ややプロダクティブな感じがします。ここに息苦しさを感じる人もいるかもしれません。あとで何度も述べますが、Twitterの利用は人それぞれですから、「愉しむ」も人それぞれであってよいと思います。
ただ、「それぞれ」が続くと、話は先には続きませんので、ここでは「仮」にこの定義にしたがったとして、考えてみることにしましょう。
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結論から申しますと、僕は、Twitterでインタラクションから何かを得たいと思うのなら、
1.トイカケラビリティ(問いかける能力:問いかける+ability)
2.ツッコマラビリティ(つっこまれる能力:つっこまれる+ability)
3.ツナゲラビリティ(つなげる能力:つなげる+ability)
4.マメラブル(マメにレスをかえすこと:まめさ+able)
が重要だと思います。なんで怪しい英語?日本語?なのかは、問わないでください(笑)。なんか、この方が、僕の感性には、しっくりきただけです。
さて、先ほどの4点が重要だな、と思ったのは、なんてことはない、Twitterとは、僕の言葉でいうのならば、「問いかけるメディア」「つっこまれるメディア」「つなげるメディア」、加えて、「マメさが可視化するメディア」だからです。
つまり、相手の心や思考にいかに「問いかけ」、いかに、ここちよく「刺激」するのか。これが「問いかけるメディア」という意味です。
あるいは、敢えてボケて相手の反応を生み出すこと、つまりは「つっこまれること」を生むこと。これが「つっこまれるメディア」という意味です。
あるいは、この人の発言を敢えて取り上げて(RT)、他の文脈の話題と「つなげる」。これが「つなげるメディア」という意味です。上記3点を「マメ」に行うことが、まずは、求められているように思います。
そして、これら一連の「活動」によって、ツイートの連鎖、つまりは「多くの多様な人々が参加するインタラクション」を生み出すことができるかどうかが、たぶん、その「おもしろさ」のキモではないかな、と思います。
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一般に、Twitterでつくられるかかわりは、非常に「ゆるい」、と言われています。フォローし、フォローされることの敷居は徹底的に低いです。
また、もし、あなたが、どうしてもあわない人がいるのだとすると、そのかかわりを相手に知らずのうちにブロックすることもできます。「フォローはしているけれど、ブロックしている」という曖昧な関係を相手に知られることなく保ち、直接的なかかわりを避けることができる。このあたりが「現代人的な感覚」、あるいは「やさしい!?人々の感性」にマッチするのかもしれません。
Twitterのコンテンツも非常に敷居が低く「つぶやき」に他なりません。きちんと意味のまとまっていないこと、断片化していることでも、「つぶやき」として投稿することがよし、とされます。
対して、ブログは異なります。ブログは、ある程度の長い文章を書くことを求められます。起承転結といったら、大げさかもしれませんが、いちおう、ツカミとオチのある文章を書かなくてはなりません。ヤマなし、オチなし、じゃつらいでしょう、ブログは(笑)。
しかし、Twitterは、「ゆるやかさ」の背後に「厳しさ」ももっています。フォロー数、フォロワー数というかたちで、自分にかかわる関係が「定量化」されます。また、興味深いつぶやきには、すぐに多くのフィードバックがかえります。これも「数」でババーンとかえります。
その「ゆるやかさ」と「厳しさ」の中で、いかに「140字」という短い言葉で、相手の思考を促すのか、相手の興味を刺激するのか、あるいは、相手の「つっこみ」を受けるのか、あるいは、あるものとあるものを「つなげて」、ケミストリーを生み出すのか。
そうした「問いかけ」やら「つっこまれ」やら「ケミストリー」やらを「マメ」に生み出すことが重要なのではないかな、と思います。もし、あなたにとっての「愉しむ」が、人々のインタラクションを促すことや、そこから「何か」を積極的に得ようとすることにあるのだとすれば。
だから、僕は
1.トイカケラビリティ(問いかける能力:問いかける+ability)
2.ツッコマラビリティ(つっこまれる能力:つっこまれる+ability)
3.ツナゲラビリティ(つなげる能力:つなげる+ability)
4.マメラブル(マメにレスをかえすこと:まめさ+able)
なのではないかな、と思うのです、まとめると。「トイカケラビリティ」「ツッコマラビリティ」「ツナゲラビリティ」が高く、「マメラブル」な個人ということになるのですね(笑)。
最後に、誤解を避けるために行っておきますが、もちろんTwitterをどのように使おうと、その人の自由です。 誰も、なんらその利用を制限することはありません。人生いろいろ、Twitterの利用もいろいろです。
「トイカケラビリティ」「ツッコマラビリティ」「ツナゲラビリティ」が低く、「マメラブル」じゃない個人、、、でも、そこは全然問題ありません。そこがTwitterの包容力であり、敷居の低さです。
事実、わたくしがそうでした。ちょっと前まで「今、みかん食ってます」ツイートの連発で、愉しんでおりました(笑)。そのようなわたくしも、排除されず、時折利用できたことが、Twitterのよいところなのかもしれません。
でも、このメディアから、あるいは人々のインタラクションの中から「何か」を得たいのだとすれば、もしかすると、上記のような能力!?が必要になってくるのかもしれませんね、、、と僕は思うのです、、、なんちゃって。
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さて、今日は、のっけに宣言したとおり、言い放ちました。なんだか、こう書くと、このリストにあがっている「能力?」は、Twitterだけに言えることではない気もしてきました。うーん、どだろね(笑)。
もしかすると、この4つ以外にも他にもあるかもしれないですね、、、ていうか、あるね、これは(笑)。絶対にあるよ。
あるいは、敢えて対照をつくって、ブログに必要な能力を考えてみるというのも面白いかもしれませんね。
というわけで、、、「皆さんの思考」を刺激したところで(笑)、わたくしめは、そろそろ仕事に戻ります。
今日も一日健気に生きてみようと思います。
投稿者 jun : 2010年1月19日 08:24
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