「他者からのフィードバック」を自らデザインする

 近況。
 
 早朝、大学研究室へ。
 せっせと自分の仕事をこなす。ここしか、僕の時間はない。

「職場学習論」(東京大学出版会)は書き殴り状態。何とかかんとか6章まで書き殴る。あと1章書いたら、1週目終わり。2週目以降は、加筆・修正モードに入っていく。ここまで書くと、以前の章で直さなければならないところが多々でてくる。何とか走り抜きたい。

 組織科学会、夏の学会発表の投稿原稿をつくる。手堅いけれど、結構、よい結果がでた。ようやくコツをつかんできた。

「経営行動科学ハンドブック」「学び学」(東京大学出版会)の原稿は、いまだ手つかず。引き続き頑張るしかない。

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 センタースタッフ会議。
 試験のCBT(Computer Based Test:コンピュータテスト)化が起こった場合の大学・企業へのインパクトについての議論。テストの変化は、「人物選定基準」の変化を意味する。そして、それは教育課程の内容にも、当然影響を与える。遠くない将来、大きな社会変動が起こるのかもしれない。

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 お昼、大島先生(静岡大学)とパワーランチ。大学と企業の関係のあり方などについて話をした。

 企業が必要な「人材スペック」を定義して、大学がその人材育成を「下請け」するような関係には陥らないためにはどうするか。大学が自信をもって教育的価値を社会に提案するにはどうするか、について。その場合の大学経営のあり方について議論をした。
 
 大学には、「社会に適応する人を育てる」という役割と、「社会には存在していない破壊的イノベーションを生み出す人を育てる」という、一見相反する二つの役割を担っているのかもしれない、なと感じた。どちらかひとつと言われれば、僕は後者に興味がある。

 考えさせられたランチであった。
 それにしても、この手の「大きな問い」を、信頼できる研究者の方、企業の方と、パワーランチで話すことが多い。
 そうやって、自分で機会をつくらないと、「デイリーなオペレーション」に追われてしまうから。
 残念なのは、時間が限られていることだろうか。もちろん、時間が限られているからこそ、真剣に話す、というのもあるのかもしれないけれど。

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 某大手IT企業、新人研修担当者の方が来研。数十名の新人を対象にして、自ら個別にコーチングを実施した結果、仕事をこなす能力が格段に向上した感触を得た、とのことであった。

 研修事務局として、新人の「頭」を後ろから眺めるのではなく
 新人の「顔」と向き合いたかった

 という言葉が印象的だった。
 
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 口に出せないシャドーワーク×2

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 夕方、大学院中原ゼミ。舘野君、脇本君、研究発表。

 英語文献、Bransford & schwalzの論文。専門家の熟達化と転移に関する総論を読んだ。

 ひとつの領域で熟達者になることは、その専門知識や技術を他の人に教えることにも長けていることを保証しない(Nathan & Petrosino 2003)。つまりは、専門性の高い人は、必ずしも、その専門性を教えることに得意ではない、という一文が印象的だった。

 もうひとつ印象的だったのは、専門家がフィードバックループ(自分の活動を修正するためのフィードバックを誰から得るのか)をいかにデザインするか、という話。

 よい学習者とは、自分自身の活動に対する他者からのフィードバックの機会を、自らデザインし、そこで得たフィードバックを自己の活動の変化に役立てることができる人をいう

 のかな、と思う。他者からフィードバックをもらう機会や関係を意図的に自分でデザインしなければ、自分の活動には、なかなか修正がかからない。

 ・・・ここまで考えて、これは、どこかで聞いたことがあるフレーズだなと感じた。

 自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ。

 某R社創業者の言葉である。
 厳密にいうとちょっと違うけれど、まぁ、細かいことは気にせず、学習研究とR社の理念に「つながり」のようなものを感じた。
  
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 フィードバックループといえば、そういえば、自分も昔、こんなことをブログに書いていた。自分は「緊張屋」「情報屋」「熟慮屋」という3タイプの人たちと一緒に仕事がしたい、という話。

緊張屋、情報屋、熟慮屋 : あなたの周りには「どんな人」がいますか?
http://www.nakahara-lab.net/blog/2009/05/post_1502.html

 今となっては「安息屋:ホッとさせてくれる人」という人にもいてほしいな、と漠然と思う(笑)。

 ゼミ修了。
 
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 大学院ゼミの飲み会へ参加。
 先日、修士論文を提出した皆さんの慰労をかねて、一献。

 そして人生は続く。

 明日は早朝、西へ移動。