小林弘人著「新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に」を読みました!

「新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に」を読みました。

 著者は、インターネット文化をつたえる「ワイアード」日本版を創刊し、有名人ブログ、ブログ出版などに火をつけた小林弘人さん。
 本書は、新聞社の業績不振、雑誌の相次ぐ休刊などの、いわゆるメディア不況を背景に、今後のメディア・出版業界がどのようになっていくのかを、インターネットの側面から論じたものです。

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 その主張を、僕なりに、僕の印象に残ったところを中心にまとめるとこうでしょうか(時折僕の言葉も入っています)。
 
 まず、著者は、インターネットの時代にあっては、「あらゆる組織がメディア化していく」と断言します。これを「誰でもメディア」という言葉で表現します。いわゆるマスメディアでなくても、個人から事業会社にいたるまで、あらゆる組織が「メディアになる可能性」を秘めているのです。

 そのうえで、マスメディアとパーソナルメディアの真ん中にあるような、いわゆる「ミドルメディア」、本書においては「マジックミドル」が勃興してくることを予測します。いわゆるロングテール理論でいえば、ちょうどグラフの中心あたり、トルソーにあたる部分のメディアです。

 ミドルレベルの「誰でもメディア」は、特定の分野、特定の領域を専門にした、数千人を対象としたメディアです。これまでのマスメディアが「一方的に情報を垂れ流すブロードキャスト」を志向していたのに対して、「誰でもメディア」は「ターゲットキャスト」を志向します。

 このメディアは、この数千人を対象としたコミュニティを組成し、コミュニティの「温度」を察知したうえで、コミュニティに「刺さる」コンテンツを生み出すことが求められます。また、関連する分野のメディア同士が、お互いをモニタリングしあい、ときにアライアンスを組むことが求められます。こうした連携によって、マスではなく、インフルエンサーをねらい、アテンションという資源を確保します。高度に情報が発達した時代にあっては、アテンションこそが「資源」なのです。

 他にもいろいろと面白い指摘、ハッとするようなインターネットのサービスについて書かれてありますが、だいたいこんなところでしょうか。

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 著者の指摘は、僕自身のメディアやインターネットに対して思っていることにかなり近かったですし、また、今、自分の身の回りで起きている「出来事」を説明しているような気がして、非常に共感できました。

 僕自身は、この本で取り扱っている「新聞や雑誌の死」というものには、実は、あまり興味はなく、本書を「誰でもメディアの時代を生き抜くための個人の生き方本」として読みました。

「誰でもメディア」の時代にあって、メディア化するのは、必ずしも「組織」ではなく、まさに「個人」であります。それでは、そういう時代を走り抜ける人々は、どのようなことに留意するべきなのでしょうか・・・僕自身は、本書をこういう視点から読んだということです。

 蓋し、特に「誰でもメディア」の時代にあって、さらに必要になるのは、高度な情報処理を行う能力、いわゆる「編集の力」であり、また、企画から配信までをトータルに行うことのできる「デジタルの能力」なのかな、という感想を持ちました。

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 これまではメディアというと、いわゆるマスメディアの人々だけの問題でした。しかし、「誰でもメディア化」した世界では、メディアやテクノロジーとどう向き合うのか、それをいかに利用するのかは、今を生きる「誰でも」の問題だと思います。

 自分や自分の仕事をどのようにメディア化するのか

 今、そのことが問われている気がします。