自分のコスモロジーをつくる
自分のコスモロジーをつくりなさい
ちょっと前のことになるが、ある先輩研究者に言われた一言である。「そろそろ、次の発達課題が君にはある。それはコスモロジーをつくることだ」、と。
ここでいう、コスモロジー(cosmology)とは、いわゆる「宇宙論」のことではなく、「世の中の万物を見る視座の集合」のことである。
人間観、組織観、政治観、世界観といった、様々な複数の「観」が、個人の内面において一貫して整合的である動態を「コスモロジーをつくる」という表現しているのだと理解している。
その先生は、僕に、自分自身のコスモロジーを構築する努力を忘れるな、というアドバイスをくださった。それを構築していれば、どんなに多様な実践や研究をしていても、いつかはつながってくるはずだから、と。長期的には、自分の研究をより豊かにできるはずだから、と。
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コスモロジーは、万物に対する視座の集合である。その中でも最も大切なのは「人間観」だろう。
結局のところ、「人間をどう見るか」という問題は、「それ以外の観」、たとえば「組織観」や「世界観」に強い影響を与えてしまうと思われる。
例えば、ある人が、「人間を怠惰な存在」だと見なしてしまえば、その人が描く理想の組織とは、「怠惰な人間を合理的に管理するものが組織である」ことになってしまう。そしてその人が描く「世界」は、怠惰な人間を、そうではない一部の有能な人間がいかに統治するか」という世界になってしまう。
反対に「人間が主体的で挑戦的な存在」だと見なした人がいるのだとすれば、その人が描く組織の最大の課題とは「人間にいかに主体的かつ挑戦的な課題を与えるのか」ということになる。それに応じて、世界観も当然のことながら変化する。
「人間をどのように見るか」 - 換言するならば、僕を含めた私たち自身が「人間をどのような存在として見なすのか」という問題は、私たちの認知、私たちの行動、あなたが世界にたいして及ぼすもの、すべてに影響を与えてしまうものである。
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蓋し、コスモロジーについて重要なことは、3つある。
第一に、それは、自分が意識せずとも、既につくりあげている、ということである。つまり、コスモロジーはアプリオリに存在している。
人は、意識せずとも、様々な経験や生活体験を通して、コスモロジー、あるいは、コスモロジーの断片を自ら、既に、つくりあげている。
コスモロジーをつくろうと願う人にとって、まず第一にするべきことは、自分自身がすでにもっているコスモロジー、あるいは、その断片を自覚すること、意識することである。そして、それらのあいだに不整合が生じているならば、それをUnlearnし、つくりかえる必要があるだろう。
Unlearnや作り替えには、先人の知恵を借りる必要もあるだろう。僕にとっての「教養とは、自分のコスモロジーをつくるためのリソース」である。だから、僕たちは読む必要がある。そして、知らないことを知る必要がある。
自戒を込めていうと、僕は、まだまだ、自分が知らないことをわかっていない。
第二に、コスモロジーは、その人の「生産性」と必ずしも相関するとは限らないということである。
生産性が高くても、プアなコスモロジーしか持たぬ人はいる。反対に、コスモロジーが立派でも、生産性が低い人もいるかもしれない。
しかし、長期的な視野にたてば、コスモロジーをつくることは、その人の研究の魅力の向上に寄与するのではないか、という先輩研究者の言葉 - 否、もしかすると、壮大な仮説を、僕は信じたいと思う。
少なくとも僕は、「どんなに生産性が高くても、プアな人間観しかもたぬものの言葉に、おそらく、僕は魅了されない」だろうと予想されるからである。もちろん、この仮説には、同意できない人がいてもいい。人それぞれ、僕は僕である。
世の中は常に変化し、一時の流行が今日も明日も生まれてくる。それとは距離をとっていくことは、今を生きる私たちには難しい。変化の中で即時に適応すること、場合によっては、急激な変化を自らつくりだすことが、求められている。
しかし、とかく場当たり的対処が求められる局面であっても、何か、ひとつ「筋の通ったもの」「ブレないもの」を個人の内面にもっていたい。それが、コスモロジーではないか、と僕は思う。
第三に、これは一見、前言とは矛盾するようにみえるけれど、ブレないもの、筋の通ったものであるはずの「コスモロジー」には「完成形」はない、ということである。つまり、コスモロジーをつくることには終わりがない。このアイロニーを僕たちは受け入れなければならない。
短期的にみれば、不動のものに見えるコスモロジーであっても、時間の縮尺を長くしてみると、それは常に変動の中にある。コスモロジーはつくっては壊し、壊してはつくるものである。
比喩的な言い方が許されるならば、コスモロジーとは「プロダクト」ではなく、「プロセス」である、ということになる。
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今日の話は、「研究者にとってコスモロジーをつくることの重要性」という話だったけれど、実は、この話は、研究者だけに限られるわけではない。
上司、経営者、リーダー、専門家、否、この世に生きる多くの人にとって、コスモロジーをもつこと、それを自覚し、時には作り替えることは、重要であると思う。
最近になって、僕には、なんとなく自分のコスモロジーが見えかけてきているような気がする。しかし、もちろん、それは「幻影」であるかもしれないけれど。
あなたは、「人間」をどう見ていますか?
あなたにとって、「組織」とは何ですか?
あなたの描く「世界」は、どんな「人間」が生きる世界ですか?
あなたは「コスモロジー」を持っていますか?
これら一連の問いは、すべてブーメランのように、僕自身のもとに返ってくる。
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