対話とは「違い」であり、「非対称」である
ずっとずっと前に読んだ柄谷行人氏の著作を今日ひょんなことから読み直して、偶然、下記の記述を見つける。
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私は、自己対話、あるいは自分と同じ規則を共有する者との対話を、対話とはよばないことにする。対話は、言語ゲームを共有しない者との間にのみある。そして、他者とは、自己と言語ゲームを共有しない者とのことでなければならない。
「探求I」柄谷行人
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対話とは、予定調和の、お仕着せの会話ではない。また、それは仲良しクラブの雑談ではない。
対話とは「違い」であり、「非対称」である。
そして、他者とは抜き差しならぬ「異人」である。