適切な仕事なんて、ない!
一般に、人を熟達させるためには、「スモールステップで、難易度が向上する「適切な背伸びの仕事」を与え、即時フィードバックやサポートを行うことだ」という風に言われています。
様々な理論的な立場や言い回しの細かい違いはありますが、この「大枠」に関しては、大筋で合意できるのではないか、と思います。いわゆる「教科書的な解」としては、上記の命題はコレクトです。
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一般に「人がなかなか育たない」という場合によく言われるのは、上記のような「教科書的な解」を、マネジャーやメンターにあたる人が「理解」しておらず、行き当たりばったりで対応しているからだ、とされる傾向があります。
もちろん、そのことも「一理」はあるでしょう。そもそも「育成」という視点に理解がなかったり、「わたしの教育論」に呪縛されているマネジャーやメンターも少なくない、と思います。そういうマネジャーやメンターは、もしかすると、「人が学びための原理」「人が成長するための原理」について学ぶ必要はあるのかもしれません。
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しかし、実は、最大の問題はそこにはないのではないか、と僕は密かに思っています。
つまり、マネジャーもメンターも、上記のような「命題」はとっくに頭ではわかっている。しかしながら、現代のビジネス環境は、それが実現できないような環境に既になってしまっている。そこが問題ではないか、と思うのです。
つまり、こういうことです。
上記の命題を構成する二つの要素「適切な背伸びの仕事を与える」と「フィードバックを与える」のうち、後者の方は、マネジャーやメンターが心がけていれば、まぁ、何とかなることです。
しかし、前者の方はそうはいきません。
仕事は、そもそも、新人を育成するために存在しているわけではありません。
結局、今職場でこなさなければならない仕事のうち「適切なサイズの仕事」を、新人に切り分けて渡さなければならないのです。
しかし、問題は「適切な背伸びの経験」の「適切さ」にあります。様々なビジネスパーソンのヒアリングを通して見えてくるのは、この「適切さ」が脅かされている、という事態です。
現代のビジネス環境においては、
1)仕事の規模事態がかつてないほどの大きさになっている
(仕事の大規模化)
2)かつてないほどのスピードを求められるようになっている
(仕事のスピード化)
3)それぞれの仕事が相互に結びついていて、
そもそも切り分けできない
(仕事の複雑化)
のいずれかであることが多いのです。
かつてのビジネスの現場には、新人が担うべき「他の仕事とは独立した仕事で(つまりは新人のおかすエラーが局所に限定され職場全体に波及しない仕事)、適切なサイズと納期のある仕事」があったのかもしれません。しかし、それが、今、少なくなってきている。
仕事の規模が小さければ、納期を求められる
スピードが求められない仕事は規模が大きい
そもそも最初からチームでコラボするような複雑な仕事が多くて、適切に新人に案分することができない
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つまり、一言で言うと、
「新人に与える"適切な仕事"がないんだよ!」
ということです。
もちろん、こう言い切ってしまうと、話はそこから前には進みません。「だから、ごめんね、無理」とケツまくられても、新人は困ってしまいます。それで話が終わり、一生、新人は新人のままです。
結局は、大規模化・スピード化・複雑化している仕事の中から、どのように「適切さ」を切り出していくのか、ここがマネジャーやメンターの「考えるべきところ」ではないかと思います。
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誤解を避けるためにいっておきますが、人が熟達化するプロセスに関する知識が必要ない、といっているわけではありません。それが重要なことは、言うにおよばずです。人は常に「わたしの教育論」を相対化する必要があります。そのために、formal theoryの果たす役割は少なく兄でしょう。
しかし、本当に重要なことは、新人(僕の場合は学生)を育成しようとするマネジャーやメンターにあたる人々が、自分の職場の仕事を分析し、その構造を見極め、適切な課題を切り出すこと、つまりは「仕事を考え、見直すこと」にあるのではないか、と僕は思います。
そして、答えは、理論にはありません。
むしろ、答えは、それぞれの現場にあるのです。