オフィスはコミュニケーションするところ

 先日、某コンサルティングファームのフリーアドレス制のオフィスを、研究室の大学院生と一緒に見学させていただいた。

 そのファームは、まだWindows95が出る前から、オフィスのペーパーレス化(書類のデジタル化)とフリーアドレス化に取り組んできた先進企業である(ちなみに、学問の世界では、こうしたオフィスをノンテリトリアルオフィスとよぶ)。

 プロジェクトのチームメンバーとのコミュニケーションは、テレカンファレンス、チャットなどを駆使して行われる。
 Know-whoを支援するコンサルタントのデータベースも整備されていて、世界中から、スペシャリストを探すこともできる。

 働き方は、完全フレックス。業績さえあげれば、職場には来なくてもよい。自宅で仕事ができる。もちろん、オフィスには来ないわけではない。しかし、オフィスの位置づけは、他社とは異なる。

「オフィスは、コミュニケーションしにくるところ」

 とのことである。

 面白いな、と思ったのは、池袋や渋谷などの都内の各主要ターミナルに、サテライトオフィスを持っていることだ。
 ノートPCのバッテリーが足りなくなったとき、プリンタを利用したいときには、サテライトオフィスを利用すればよい。これは非常に便利である。ぜひ、本学でもサテライトオフィスを準備してほしいな、と思った。

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 見学後、2人のコンサルタントの方々とディスカッションした。いろいろ考えさせられることが多かったけれど、「効率性」という観点から見た場合、「通勤時間」というものが、いかに無駄かを考えさせられた。

 たとえば、あなたが郊外の自宅から職場まで1時間かかるとする。行き帰りで2時間。それが週に5日だから、トータル10時間である。
 1日8時間労働だとして、実に、なんと1日分以上の労働時間を、電車の中で過ごすことになる。

 僕の場合は、電車の中では、ほとんどノートPCを広げている。メールを書いたり、連載記事を書いたり。
 時は、このブログの記事も電車の中で書かれている。これが仕事か、そうでないか、というのは判断が分かれるけれど(笑)。

 でも、電車の中でヘビーな仕事(ヘビーな知的生産)ができるか、というと、これは、僕の場合は、できない。
 たとえば、統計ソフトをグリグリ回すような仕事や、論文の原稿などは、やっぱり大きな机に、資料を広げて、あーでもない、こーでもない、とやりたい。
 そういう意味では、通勤時間は全くの「無駄」ではないけれど、どちらかというと、もったいないな、とは思う。
 
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 組織は、生産性や業績をあげろ、という。そして、典型的なホワイトカラーの場合、105500時間もの長い長い時間をオフィスで過ごす。それは一生の、約3分の1だ。

「成果をだせ」だの「業績をあげろ」だの檄を飛ばすのも結構だけれど、オフィスのあり方、仕事のやり方を、ぜひ、組織で見直してほしいと思う。実に、それがもつインパクトは大きいのではないだろうか。

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付記.
 見学を快く引き受けてくださった、Kさんに感謝いたします。ありがとうございました。