リベラルアーツとは、学びほぐしである!?

 せんだって、あるシンポジウムに登壇した際、パネラーのお一方が、あるセンテンスを数時間にわたって連呼しておられました。

 曰く

 '''「これからの時代は人間力!'''
  '''そして人間力を向上させるためには'''
  '''教養を勉強すること」'''

 なのだそうです。

 そうなんだ、へー。
 「人間力」ね・・・「教養」を「勉強」ね。
 なるほど。

 ▼

 残念ながら、僕自身は、'''「人間力」という言葉を聞くたびに背筋が寒くなってしまう人間のひとり'''ですが、この言葉ほど、利用する人の恣意によって、多様に用いられる言葉はありません。

 ある識者は、それを「コミュニケーション力」「問題解決力」「決断力」と定義します。
 ある識者によれば、それは「学力とは対角線上にある、その人の中核的能力」なのだそうです。人によっては、それを「度量」といいかえる方もいらっしゃるそうです。

 '''要するに、言ったもん勝ち、新春大放談よ!'''
 '''誰だ、最初にこんな怪しい言葉を捏造したヤツは!'''

 くどいようですが、僕には、'''「人間力」という「概念」が指し示すところは、さっぱりわかりません。'''
 ただ、よくよく人の話をお聞きしていますと、どうも「人間力」という言葉で指し示されるものには、下記の共通点があるように思います。

 '''1)学力やスキルといったものではないということ'''
 '''2)でも、人が所有する「力」概念で理解されること'''
 '''3)計測は不可能であるということ'''

 人間力というコンセプトの「定義」の差異を論じることに興味はありませんので、ここではサラリと流します。皆さん、「人間力」の意味については、感じてください。
 わかるんじゃなくて、感じるのよ。
 要するに、人間力とは、その類の言葉です。

 ▼

 ただし、「人間力」については、定義を論じることに興味はなくても、気にかかることはあります。それは'''「人間力という能力らしきものを向上させるために、教養を勉強することが重要だ」'''という指摘です。先の識者は、この言葉を数時間にわたって連呼しておりました。

 どうも、僕は、ここに違和感を感じます。
 前段「人間力という概念」についても怪しければ、後段の「教養についての理解」も怪しい・・・ここに僕は違和感があります。

 結論からいうと、

 '''「教養」とは「勉強」するものか?'''

 と疑念をもちます。

 言葉を換えますと、
 
 '''教養とは、知識を頭に詰め込んで「能力を向上させる」的なメタファで語られるものじゃないんじゃないの'''

 と思うのです。

 ▼

 よく知られているように、'''教養(リベラルアーツ)の原義'''は、聖書(ヨハネ書)にあるワンセンテンス

 '''「真理はあなたがたを自由にする」'''

 という言葉にあると記憶しています。

 もともと'''リベラルとは「自分に力をつける」ものではなく、「自分を解放する」という意味'''です。

 つまり、'''日常生活で様々に獲得してしまった素朴概念、ステレオタイプ、思い込み、そして流行の言葉やコンセプトを解体し、疑い、、自分を自由にすることこそ、教養です。'''
 もちろん、相対化しうる概念のひとつには、たとえば、「人間力」といった「意味不明な怪しげな概念」も含まれましょう(笑)。

 '''教養(リベラルアーツ)とは、もともと、日常生活で獲得してしまった様々なドクサ(教条・因習・固定化した概念)を相対化し、ぶちこわしながら、「自己を解放すること」ができるということです。'''

 一言でいえば、

 '''教養とは、ステレオタイプをUnlearn(学びほぐし)、自己を開放すること'''

 ではないかと思うのです。

 あるいは、

 '''教養とは"自省の学"である'''

 といってもよいかもしれません。
 
 ところが、'''世間では、教養とは何か「お勉強チック」なもの、「力(能力)を向上させる」で把握されているそうです。'''
 博識などこかの経営コンサルタントが、「教養のお勉強」を全社で進めるべく指導をしているというから、驚きです。

 ▼

'''「教養ある人」とは、僕の持論によれば、「自由な人」です。'''
 '''自由とは「教条的なもの」ーすなわち「凝り固まったまなざし」からの自由であり、解放です。'''

 加えて、ルソーによると、自由とは

'''「自分の好きなことをすることではなく、自分のやりたくないことをしないこと」'''

 だそうです。

「終わりなき日常の中」で、色褪せていく「自分」に抵抗する。そして、曇りのない目で物事を見分け、自分のやりたくないことを拒絶しつつ、志高く生きていく。

 凡人小人野蛮人の小生としては、ため息がでてしまいますが、できることなら、かくのように、ありたいものですね。

 そして人生はつづく