なんとかりょく、ほにゃららリーダーシップ

「教育」と「経営」の実務の世界は、ある意味で、非常に似ているところが多いな、と思う。

 両者の「中心」にいる方にとっては、「ウソー」と思うかもしれないけど、両者を垣間見る僕としては、そんなことを感じる。
 よいところも、そうでないところも、可能性も制約も、教育と経営の世界には共通点があるように感じる。このことの詳細に関しては、また別途論じる。

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 両者の相似点としてあげられるもののであり、ぜひ、克服しなければならないと思えるものに、「言説空間における概念の安易な鋳造」という問題がある。

 たとえば、教育の実務の言説空間であれば、

 "なんとか力(りょく・ちから)"

 ビジネスの実務の言説空間であれば、

 "ほにゃららリーダーシップ"

 というコンセプト、である。

 それぞれ、前者は教育の世界で、後者は経営の世界で、最もよく使われている言葉であろう。

 この二つは、容易に誰にでも「鋳造」ができ、また、その真偽の妥当性も検証されぬまま、人口に膾炙するという意味において、非常に似ている。

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「鋳造」はいかに行われるか?

 例えば、今、「あなた」が仕事をしていく上で、あなた自身を優位にすると思えるワンワードを思い浮かべよう。
 あるいは、人文社会科学の中で、最近、よく使われているが、教育やビジネスの領域では使われていない「ワンワード」でもよい。

 この二つの領域の言説空間を制するためには、あなたが選んだその言葉の後に、「りょく(ちからでもいい)」と「リーダーシップ」をくっつけるだけでよい。

 たった、これだけだ。
「あらよっと、いっちょあがり」というわけである。

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 たとえば、仮に、今、ワンワードを「対話」だとしよう(僕は、下記のことを死んでもしない)。対話のあとに「りょく」をつける。対話のあとに、「リーダーシップ」をつける。後者の方は、英語にしよう。
 これで終わり。
 あらよっと、いっちょあがり。

 対話力
 ダイアローグリーダーシップ

 それぞれの言葉をじっと眺める。もし、時間のある方は、プリンターで大きなフォントサイズで打ち出して、本の背表紙につけてみるとよい。

 そうすると、不思議なことが起こる。

 「あらよっと、いっちょあがり」な割には、あたかもそんな「りょく」や「リーダーシップ」が存在するかのように錯覚してしまうから不思議である。
 そんなものが重要であると、主張できそうに主張できそうだから、不思議である。
 そして、さらに驚愕なのは「あらよっと、いっちょあがり」でつくられた概念が、口当たりと耳障りさえよければ、「流通」してしまいそうだから、さらに不思議である。

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 例えば、今、心理学で最近注目されている言葉に「ポジティブ」がある。これにも、「りょく」と「リーダーシップ」をつけてみよう。

 ポジティブ力
 ポジティブリーダーシップ

 ポジティブ力は、「ぽじてぃぶか?」という感じで、なんか「ヘロヘロ感」は漂う。そんなときは簡単。「りょく」を「ちから」にすればよい。

 ポジティブになる力

 ちょっと語呂は悪いけど、「ぽじてぃぶか」よりはマシだろう。

 ポジティブリーダーシップの方は問題ない。

 どちらも、こういうのがあってもおかしくないな、と思えてしまうから不思議だ。
 また、そういうものを「正当化」できそうに思えてしまうから、不思議だ。
 しかも、このまま、流通して、一ヶ月後には同名の「書籍」が、誰かの手によって出版されていそうだから、三度、不思議である。

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 要するに、悲しいかな、「何でもあり」なのである。

 かくして、今日も、明日も、あさっても、いろんな「りょく」や「リーダーシップ」が「鋳造」されていく。
 様々に鋳造された「~りょく」や「~リーダーシップ」が、本当に存在し、パワフルかどうかは問題ではない。
 その言葉を使って権力やイニシアチブを握りたいと願う人々の手によって、容易に、それはつくられる。

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「りょく」や「リーダーシップ」という「接尾語」自体に魅力がなくなくなるまで、こうした事態は、今日も、明日も、あさっても続く。

「わかりにくいもの」のもつ「深さ」や「可能性」を犠牲にしながら、「接尾語」は今日も消費される。いつか、その言説空間自体が色褪せてしまう日まで。

 それは、言説空間の悲劇であり、喜劇である。