なぜ、このあたりを探しているのですか?
先日、面白い寓話を聞いた。下記、うろ覚えになるけれど、紹介する。
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ある男が、深夜、道を歩いているとき、大切な鍵を誤って落としてしまった。はっと気づいたときには、鍵が地面に落ちた音だけが聞こえた。
鍵は本当に大切な鍵だった。男は熱心に鍵を探した。
そこに、親切なお巡りさんが、通りがかかる。
お巡りさん「どうしたんですか? いったい何をしているのですか?」
男「いえ、大切な鍵を落としてしまったので、探しているのです」
お巡りさん「どれどれ」
お巡りさんは、鍵を、一緒に探してあげることにした。幸い、男が鍵を探している場所は、街路灯の真下であった。
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しばらく探してみても、いっこうに鍵は見つからない。
街路灯が、二人の顔と手元を照らす。
いっこうに鍵は見つからない。
「おかしいですね、見あたりませんね。どのへんで落としたのか、全くわからないのですか?」
お巡りさんは、男に、そう尋ねた。
男は答えた。
「真っ暗で、何も見えないところで、鍵を落としました」
この答えに訝しがりながら、お巡りさんは、男に尋ねました。
「真っ暗なところで鍵を落としたなら、なぜ、あなたは街路灯で照らされている、このあたりを探しているのですか」
憮然とした顔で、男は答えました。
「だって、このあたりは、街路灯に照らされているので明るいじゃないですか・・・探すには最適な場所ですよ」
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有名な「エレベータの話」も、なかなか考えさせるけど、こちらも趣深い。ストーリー好きの小生としては、気に入った。
エレベータの話
http://www.nakahara-lab.net/blog/2008/08/post_1312.html
「私たちが見ることができるもの」と「私たちが本当に見なければならないもの」は、実は、別のことであることが多い。しかし、時に、私たちは、そのことに無頓着になりがちだ。「見ることができるもの」を「見なければならないもの」としてしまう。
想像力をふくらませて、換言する。
「私たちが解決できる問題」と「私たちが解決しなければならない問題」が、よく考えてみると、別のことであることが多い。しかし、わたしたちは、「解決できる問題」を「解決しなければならない問題」だと見なし、問題解決を進めたがる傾向がある。かくして、本来解決しなければならない問題は、いつまでたっても、解決されない。
なぜか?
「問題解決しようとしている、その問題」は、「本来解決しなければならない問題」ではないからである。
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「あなたが見ることのできるもの」は、本当に、「あなたが見なければならないもの」ですか?
「あなたが解決できる問題」は、本当に、「あなたが解決しなければならない問題」なのですか?