写真家の熟達 - 公文健太郎さんとお逢いした!

 新刊「ダイアローグ 対話する組織」(2月26日発売予定)の著者近影の写真を、プロ写真家の公文健太郎さんに撮影していただいた。公文健太郎さんは、ネパールの小さな村で、村人と生活を共にしながら、長い長い時間をかけて写真をとったことのある方。

公文健太郎さん
http://www.k-kumon.net/

 撮影は、公文さんのリードと、ダイヤモンド社の前澤さん、井上さんのサポートにより1時間程度で無事終了。ありがたいことである。

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 撮影終了後、公文健太郎さんをまじえて、皆さんでコーヒーを飲んだ。そのとき、公文さんのおっしゃっていた言葉が面白かった。

 公文さんには、「作品の先生」と「仕事の先生」という二人の師匠がいるのだという。
「作品の先生」とは、公文さんが個人として追いかけているテーマをもった写真 - 例えばブラジルのストリートの子どもたち - を批評してくれる人のこと。

 対して、「仕事の先生」とは、雑誌や書籍などで利用するポートレートなどを撮影するときに一緒に仕事をしたり、アシスタントをやったりする人のこと。

 先生といっても、いわゆる「徒弟制」の封建的な関係 - ミスをしたら、三脚でぶん殴られてしまうような関係 - ではない。昔の師匠関係は、かなり厳しく閉鎖的なものであったようだが、今は、それでは「誰もついてこない」のだという。
 どちらかというと、コメントをもらう、一緒に仕事をする、という関係に近いのかな、と想像した。

 私たちは、ふだん、「徒弟制度」というと、「師匠 - 弟子」の1対1の固定的な関係を想定してしまいがちである。
 しかし、「人材育成をネットワークの問題としてとらえる」という立ち位置にたてば、師匠 - 弟子の関係も、複数の人々で分かちもたれていてもよいと思う(僕のいつもの主張である)。
 公文さんの話は、「現代の徒弟制度のあり方」を考える上で、とても面白いな、と思った。

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 最後になるけれど、公文さんの話で、もうひとつ印象深かったことがある。

「僕は、オフのとき、ビーチに行っても、どこにいっても、カメラのことや写真のことを考えてしまう、、、いっそ、カメラを置いてくれば自由になれるのかもしれないけれど、それもできません(笑)」

 これは僕も同じである。
 何を見ても、何を聴いても、何を感じても、僕には、この「世界」がすべて「学習の問題」に見える。誰と出会っても、その人がどのようなプロセスで「今、ここ」に至っているのか。他人の学習プロセスが気になって仕方がない。レストランに食事にいっても、コンビニにでかけても、その組織の人材育成システムが気になる。はっきりいって、僕はビョーキかもしれない。

 公文さんの言葉に、とても共感できた。