ハチがブンブン飛んでる花束
先日、あるテレビ関係の方から、故・松田優作さんにまつわるエピソードを、ひとつ聴いた。その方が、まだ駆け出しのディレクターだった頃の、かなり昔の話である。
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今から二十数年前。
松田優作さんは、他人に花の贈り物をするときに、「綺麗な花束」を求めようとしなかった。「綺麗な花」ではなく「ハチがぶんぶん飛んでいるような花束」を好み、プレゼントすることを好んでいたという。
「綺麗な花束じゃなくて、ハチがブンブン飛んでる花束がいいんだ」
松田さんは、表現者としても厳しい人であった。その方は、松田さんが、こう発言しているのを聴いて、感じ入ったという。
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「温室で育てられ、品種改良された、綺麗ではあるけれど、あまり生を感じさせない花束」よりは、「野原で育ち、ハチがぶんぶん飛んでいる、生と性がむき出しの花束」の方が、魅力的なのではないか。
どちらの花束が「生きている」と言えるのだろうか。ハチがとんでいてリスキーな花束かもしれないけれど、人は、どちらの花束に圧倒され、魅了されるのだろうか。
贈与とは、自己表現でもある。おそらく、松田さんは、この花束をプレゼントすることで、「セクシーでリスキーで、クレージーで、エッジの切れた自分」を表現したかったのかな、とも邪推する。
本当のところはわからないけれど。勝手気ままな邪推だけれども、僕はそう思った。
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何かにつけて、自分に「問う」のは悪い癖だと思うけれど、ふと、考える。
僕は「綺麗な花束」を好むだろうか、それとも、「ハチがぶんぶん飛ぶ花束」だろうか。「今」はどちらを好み、これからはどちらを選ぶだろうか。
その答えは、まだでていない。
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追伸.
昨日の名言。
「後ろ指を指された数が、達成できた仕事の数」