それは○○先生だからできたんじゃないですか?

 先日、ある方々とお話していた際に、こんな話を聞きました。

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「実践報告とか、事例報告を主眼においた教育系のシンポジウムって、どこでも盛況なんですよね。たくさんの関係者が、集まっていますね。いつも、その人数にびっくりしてしまいます。

でも、そういう会に参加すると、いつも不思議に思うことがあるんです。

実践報告が終わると、それに対して、質疑応答がなされるじゃないですか。僕が不思議に思うのは、その質問なんです。

 "今の報告は、○○先生だからできたんじゃないですか"
 "その実践は、○○学校だからできたことですよね"

 とかいう「質問」が、会場からなされませんか?

 あれって、「変」な質問だと思いませんか? 僕だけでしょうか、ああいう質問を聞いて不思議だなぁと思うのは。
 さらに、この質問に対して発表者の方も、「まとも」に答えようとするのが、不思議です。「ええと・・・確かにそうかもしれませんね・・・」、と。なんで、この質問に答えなければならないのでしょうか。

「変」に聞こえるのは、これだけではすみません。
質疑が終わり、会場を出たあたりで(笑)、参加者同士、お互いにこう言いあっているのをよく聞きます。

"あの実践は、○○だからできたんだよ"

この発言で、お互いに溜飲を下げあっているんです(笑)。

なんか「変」なんですよね。いったい「何」をしに、遠方から会場まで足を運んだのでしょうか。「目的」は、いったい何だったのでしょうか?

僕は教育畑出身ではないので、よくわかりませんが、他の領域だったら、絶対になされない質問だし、絶対に聞かない感想なんですよね。

他の領域の事例報告のあとだったら、"うちは、もっとオモシロイコトをやっている"と、うそぶくか、あるいは、"あれは、こうやればうちに活用できる"という会話がなされる方が多いんですけどね。

教育の世界って、なんか不思議なんですよねぇ・・・」

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 ICレコーダをもっていたわけではないので、一字一句同じではなですが、発言のご趣旨は、このようなものであったと思います。
 そして、この指摘は「非常に鋭い指摘」だと思いますし、全くの同感です。

 それでは、考えてみましょう。

 なぜ、教育の実践報告では、上記のような「質問」がなされるのでしょうか。
 この「質問」に対しては、厳密に答えることが可能なのでしょうか?
 発表者は、こうした「質問」にまともに答えなければならないのでしょうか。

 さらに、

 「○○だからできたんだよ」という発言は、いったい何のために行われているのでしょうか。
 この発言から、どうして、溜飲を下げあうことができるのでしょうか。

 そして、

 こうした質問を可能にしている背景には、教育の関係者がもつ、どのような「背後仮説」があると考えられますか?

 とにかく、その質問、外から見ると、相当"変"に聞こえるらしいですよ。

 「ここが変だよ、日本人」じゃないけどね。

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追伸.
 炎天下の某デパート屋上。
 おそらく気温は40度近い。
 機関車トーマスの「乗り物」に乗ってご機嫌なTAKUZO
 ゆらゆらゆらゆら。機関車は右に左に揺れています。
 TAKUZO、楽しそう。

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 精いっぱい、「手動」で、乗り物を揺らしてあげる僕。
 楽しいかい?

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 100円くらい入れろよ>自分