パブリックカンヴァセーションプロジェクト:膠着した議論をいかに打開するか?

 先日来、ケネス=ガーゲンの「あなたへの社会構成主義」を読み直している。その中で、ガーゲンがとりあげている「パブリックカンヴァセーションプロジェクト(public conversation project)」というプロジェクトが大変興味深い。下記、同書p229から一部を加筆・修正しながら引用する。

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 パブリックカンバセーションプロジェクトは、1989年、マサチューセッツ州にて行われた。家族療法の分野で発展してきた技法を、いかに「意見の膠着した議論」に適用するか、ということがめざされた。
(僕は家族療法の専門家ではないので、この手法がどのような手法で、どれほど一般的なものなのかはよくわからない・・・どなたか教えてください)

 具体的には、「中絶」について正反対の立場にたつ政治家や活動家を、一つの場所に集め、会話を行わせる。
 一部の米国人にとって中絶問題は宗教問題を含む問題であり、議論が平行線をたどり、どこにもたどり着きそうもない問題の典型である。対立するそれぞれの人々が、既に、それぞれが全く異なる「現実」や「道徳」を構成しているからである。

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 そんな彼らに会話を行わせるといっても、「議論」を行わせるのではない。仕掛けはこうだ。

 まず、この問題について話し合いたいと考えている政治家や活動かを「小さなグループ」に構成させる。プロジェクトを主催する側は、「もし居心地が悪ければ、活動に参加する必要はない」とあらかじめ伝える。

 会合はビュッフェ形式のディナーではじまり、参加者たちは、中絶問題に関する事柄「以外」のこと、たとえば、自分の人生や生活について話し合うことが求められる。

 ディナーが終わると、進行役は、参加者に「ある立場の代表者としてではなく、個人として自分の経験や考えを語り、また、自分以外の人々の話を聞いて考えたり、感じたりしたことを話し合い、興味をもったことについて質問する」ように求める。

 その上で、下記の3つの問いを話し合うことが求められた。

1.どうしてこの問題にかかわるようになったのですか。この問題とあなた自身との関係や、その経緯について聞かせてください。

2.中絶の問題に対する「あなた自身の」展望や信念について、もう少し聞かせてください。あなたにとって最も重要なことは、いったいどんなことですか?

3.私たちがこれまで話してきた多くの人々は、この問題に対する自分たちのアプローチに、曖昧なところ、自らの信念に関するジレンマ、矛盾点があるということがわかったといっています。あなたはどうですか。半信半疑な部分、今ひとつ確信がもてない点、心配事、価値に関する矛盾、誰かに理解してもらいたい複雑な気持ちなどはありますか?

 この3つの問いのあとは、お互いに質問し合う機会もアタえっられる。「あなたがたが心から興味をもったことについて、"個人的な経験や信念について知りたいから質問するのだ"という気持ちで、質問をすること」が求められる。
 最後に、参加者が重要だと考える幅広いテーマについての話し合いが行われ、さらには「会話を今までのように進めてくるため」に、自分たちは、いったい何をしてきたのかについてリフレクションさせる。

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 このセッションの結果は、非常に良好なものであったという。
 参加者は、セッションを通して、この問題に対する深い理解が得られ、「他者」を自分と同じ人間として見られるようになったと感じていたそうだ。

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 パブリックカンヴァセーションプロジェクトは、一見、単なる「対話の会」に見える。
 が、しかし、この場を構成した研究者は、幾重もの「仕掛け」をここに張り巡らしている。あなたならは、そのいくつに気づくだろうか。

 ひるがえって、このブログの中心的テーマである「教育」の問題に戻る。
 再三にわたって強調するように、教育現場とは決して「一枚岩」ではない。その場における学習者の成長や学習を保証するためには、その場を取り仕切る人々のネットワーキングや利害調整がかかせない。

 そして、パブリックカンヴァセーションプロジェクトには、「マルチステークホルダーたちのネットワーキング、相互理解を促進する場をつくること」に関する、いくつかのヒントが隠されているような気がしている。

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追伸.
 密かに「社会構成主義をもう一度味わう会」というのをやりたくなった。こんなとき、大学院生の誰かが主宰してくれると嬉しいですね。