ヴィジョン、ソリューション、データ

 ひょんなことがきっかけで、今から6年前に実施していた「学習科学に関する研究会:SIGLES (Special Interest Group of Learning Science)」の資料を読み直しました。

 SIGLESでは、中京大学の三宅なほみ先生にショートレクチャーをいただき、当時産声をあげたばかりの「学習科学」について、みんなで勉強し、ディスカッションしようという会でした。

 メンバーは40名ほどでした。研究者、大学院生、現場の先生、民間教育企業の方々、テレビディレクターの方々。今日も、様々な領域で、「学習」に関係した仕事をなさっている方々が、参加していました。

 読んでいた資料の中で、トロント大学のカール=ベライターさんの言葉が妙にひっかかりました。
 ベライターは、ICLS2002(学習科学に関する国際会議)の閉会の挨拶で、下記のような趣旨のことを述べているのです。

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「学習研究者は、研究を通して、ヴィジョン、ソリューション、データを、社会に提出しなければならない。

学習とはこうあるべきなんだ、人間の学びとはかくあるべし、というビジョン。

日々、不確実さと混迷を深めていく世界の中で、このように学んでいけば人間は生き延びていける、という智慧、つまりはソリューション。

そして、人間の学びには、こんな隠れた側面があったのか、こんな結果は誰しも予想しなかったといったようなデータ。

ヴィジョン、ソリューション、データ、この3つが揃ってこそ、社会(Social movement)を、人間らしい方向に導くものがそろう。

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 この言葉を聞いた当時の僕のノートには、「ヴィジョン」「ソリューション」「データ」という単語が繰り返し書いてありました。

 ヴィジョン
 ソリューション
 データ
 ヴィジョン
 ソリューション
 データ
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 確かにこの3つのどれが欠けても、社会につながる説得力のある議論はできないようにも感じます。

 たとえば、データなきヴィジョン、ソリューションなきビジョンは、単なる絵空事でしょう。
 逆に、ヴィジョンなきソリューションは、「こんな問題が起こったから、こんな技術がでてきたから、こうやってみました」的な「モグラたたき研究のサイクル」につながってしまいます。

 2002年のレジュメを見ていて、ちょっぴり「鬱」になりました。

 この6年、僕は何をやってきたのだ?

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 しかし、僕がどんなに嘆こうが、わめこうが、今日も、明日も、あさっても、教育という活動は続き、学習は繰り返されます。人は教えることをやめません。もちろん、学ぶことは続きます。

 近い将来、この3つをセットにして、何かを述べたいです。
 そして人生は続く。