学びつつ変える、変わりつつ学ぶ
大学院授業「組織学習システム論」は、エデュアート=リンデマン、マルカム=ノールズ、ジャック=メジローという成人教育学の三大巨人の会を終えました。
成人教育学とは、「おとなを対象として、どのような教育手法や枠組みを用いれば、目標に照らした効果があがるかを研究する分野」で、1900年代初頭、アメリカで誕生しました。
成人教育学の研究者の中で、もっとも有名なのがマルカム=ノールズ。彼はリンデマンの思想をもとに、「大人の学習」の諸特徴を明らかにし、それを支援する方略をつくりだそうとしました。
専門家にアッパーラリアットをかまされるのを覚悟しながら、彼の主張を短く要約すると、下記のようになります。
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大人の学習と子どもの学習は本質的に異なっている。
大人は、自分が必要だと思っていることをベースに、自分のスタイルで、自分のやりたいもの、経験とともに学ぶ。
大人が学びたいと思うことの果てには、彼自身の「目的」がある。ゆえに、大人の学びとは、常に合目的的である。
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ノールズは、「おとな」という研究対象を、はじめてまともに、実証的にあつかった教育学者であったのと同時に、企業人材育成を、はじめて、教育学研究の射程にいれた人でもありました。
しかも、その著書は非常に実践的で、たとえば「ワークショップのときに、はじめてあった大人同士をリラックスさせる方法」とか、そういうプラクティカルなことまで、かなり細かく論じてありました。今のワークショップをやる人でも参考になるノウハウや智慧が満載でした。彼は研究者でありつつも、実践者であったのです。
しかし、ノールズの仕事は、学界全体の中で、決してポジティブな評価を受けたわけではありませんでした。おそらく、教育学研究者の中で、ノールズの著作を読んだことのある人は、そう多くはないと思います。
もちろん、よく批判されるように、リンデマン、ノールズの理論的骨格に無理があったことも事実です。彼らは「子どもの学び」と「大人の学び」を全く異なったものとして位置づけてしまうという誤謬をおかしてしまいました。それが後々まで尾を引くことになります。それは事実です。
しかし、僕個人としては、そうした理論的欠陥を差し引いたとしても、彼が「正当な評価」を受けたとはあまり思えないのです。
大人をはじめて研究対象と設定し、企業人材育成をはじめて研究の土俵にのせ、かつ、プラクティカルに現場にねざした実践から理論を構築しようとしたのに、その評価はあまりに淡泊です。
ここでは詳細には論じませんが、彼が「正当な評価」を受けなかった背後には、当時の時代背景や思想的対立があったことが、容易に読み取れます。
さらに、やや皮肉をこめて言いますが、彼の仕事は、学会で評価されるには、あまりにも「現場にねざしており」かつ「プラクティカルすぎた」のかもしれませんね。
その後、成人教育学の世界をひきいたのは、ジャック=メジローでした。彼は「ものの見方の変容」こそが、大人の学習である、という理論を展開します。
これまで、ノールズの描いた「大人の学習」は、どちらかといえば、ニーズに主導された「内容の学習」でした。しかし、メジローは、それに対して異を唱えます。
<ホントウ>の大人の学習とは、「大人がモノゴトの意味を解釈する、その枠組み」を変えなければならないのだ。メジローはこう考えました。
しかし、メジローの理論も、様々な批判にさらされます。その最たるものは、メジローの理論は「学習する個人の変容」しか扱っていないというものです。
つまり、こういうことですね。
ノールズにしても、メジローにしても、学習とは「個人の中に知識を蓄積すること」であり、「個人のものの見方をかえること」でした。これは、あまりにも一面的で、偏狭な学習の見方である、という批判が高まりました。
まぁ、これも「ないものねだり」ですね。人によっては、「やや、いちゃもん」に近い批判もある。だって、そういう批判をした本人が、その後で、ノールズやメジローを超えるものを提案したわけではないから。
ともかく・・・批判の背後には「学ぶことで個人が変わり、社会が変わる」「社会が変わることで、個人が変わる」という循環的で、再帰的な関係を視野にいれた理論が必要である、という考え方が見え隠れしていますね。これはのちに、「成人教育学」の「外部」で展開されることになります。
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授業は、ようやく折り返し地点に達しました。
これ以降、受講者全員で、ディスカッションしていく理論は「個人と社会を関係論的にあつかったもの」にシフトしていきます。いよいよ、組織学習システム論のはじまりです。
そして人生は続く。