すぐに仕事はさせません:菊池恭二著「宮大工の人育て」を読んだ!

 以前、僕は、宮大工棟梁の小川三夫さんと、あるシンポジウムの基調講演で一緒になったことがあります。

 その時、小川さんは「宮大工の世界では、一年かけて弟子の素質を見極める」という話をなさっていました。

 宮大工の世界では、すぐには仕事はさせない。親方や先輩の「食事の用意」をすることと、「掃除をすること」に、まずは従事させる。これは別に「いじめ」でやっているわけではなく、そこには理由がある。

「食事の準備」には「思いやり」「段取り力」というのが、如実にでてしまう。「掃除」をさせれば、その人の「丁寧さ」がわかる。そして「思いやり」「段取り」「丁寧さ」というものは、大工にとってとっても重要なことである。

 だから、一年かけて、弟子に足りている部分と、足りてない部分を十分見極めた上で、少しずつ本格的な仕事に従事させる、という話でした。深いなぁ、と思って感銘を受けたことを覚えています。

「一生を、木と過ごす」小川三夫さん
http://www.1101.com/education_ogawa/index.html

 というわけで、それ以来、小川さんの本だけでなく、宮大工について書かれている本を、本屋で見つけるたびに買ってしまいます。そうした本を通して、いわゆる「徒弟制の世界がどのようなものであるか」について、いろいろ知ることができるので。

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 宮大工棟梁・菊池恭二さんが書かれた「宮大工の人育て」を読みました。菊池さんも、小川さんと同じように、法隆寺の西岡棟梁のもとで働いた経験をもつ方だそうです。

 菊池さんも言います。

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「大工に弟子入りすれば、誰だって、はやくかんな削りなどをしたいと思います。ですが、実際問題、弟子入りしたばかりの見習いに大工仕事はできませんから、やることといったら、まずは掃き掃除や片付けなどの雑用です。

(中略)

しかし、弟子にとっては、これも大事な仕事のひとつです。掃除や片付けなどの整理整頓は、物作りの現場の「品質管理」や「安全管理」をはかる上で、とても重要なことなのです

(中略)

もうひとつ、弟子入りしたばかりの新入りにとって大事な仕事は、棟梁や先輩大工の手伝いです。「おい、そこの材木、こっちさもってこい」ときあ、「その道具、あっちさ持って行け」とか、棟梁や先輩大工の指図で動くわけです。いわゆる「手元」「手子」とよばれる補助的な役回りです。

これは大工仕事に必要な段取りや、材木や部材、道具類などの名前や用途、使い方などの大枠を覚えるのに、欠かせない作業です」

(同書p23より引用)

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 オモシロイですね。
 徒弟制といったら、学習研究者はすぐに「リベリアの仕立屋」を思い浮かべますね。いわゆる「正統的周辺参加論」で、人類学者のジーン・レイブらが観察したのが、そこだから。それが「状況に埋め込まれた学習」という本になって、それが広く読まれているから。

 でも、別にリベリアじゃなくても、徒弟制はあります。いろいろな職種で、それはまだ生きている。

 いろいろな職業の「徒弟的プロセス」を観察し、比較するというのもオモシロそうですね。共通点があるかもしれないし、ないかもしれない。業界によっては、それがもう崩壊しているところもあるかもしれないし、今も連綿と続いているものもあるかもしれない。

 とても、オモシロイですね。
 そういう視点で、いろいろな職種をのぞいていくと、いろんな発見があるかもね。

 あと、もうひとつとても興味を引かれたのが下記の記述です。

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 そもそも大工は、「この木が45度の角度でこう上がってきたら、この過度でこっちの木とこうやって出会って、こういう風に組み合わさる」というのが、正確にイメージできなければ、仕事になりません。パソコン上の三次元の立体モデルのように、頭の中で図面を立体像として描けないと、一人前の大工にはなれないのです

(中略)

 三次元の立体モデルを頭の中で描くと言うことは、図面を見ただけで、「水平、垂直、奥行き」の3次元の点と点を正確に結べるようになるということです。

(同書 p123より引用)

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 こういう立体知覚の能力も、いったいどのように獲得されるのでしょうね。本当に興味深い。

 「仕事と学習」の世界は、わからないことだらけですね。
 研究のネタなんて、ゴロゴロと転がっている。