「スリランカの悪魔祓い」から考える

 上田紀行著「スリランカの悪魔祓い」(徳間書店)を読んだ。本書で、文化人類学者の上田氏は、スリランカの悪魔祓いの風習のもつ「意味」をフィールドワークによって明らかにしている。

 スリランカの悪魔祓いは、南部の農村地帯で主に行われている民俗医療行為のひとつである。「悪魔」に取り憑かれているとされるのは、一般的な近代医療でも治すことのできなかった人々。それらの人々の心には、いつも「孤独」が巣くっている。悪魔のまなざしは「孤独な人」に常に向けられている。

 悪魔祓いの儀式は、村をあげて、夕方から一晩かけて行われる。呪術師がそれを司り、多くの村人が参加する一大イベントである。

 儀式は、「悪魔へのお供え物」からはじまる。呪術師の進行によって、「患者」の心に巣くっている「悪魔」を外に出すことが試みられる。密教的で不思議な世界がそこにはある。

 続く後半部は、雰囲気はガラリとかわる。それまでおごそかに儀式を進行していた呪術師は、ダンサー兼お笑い役者になる。村全体が参加する、ダンスあり、お笑いありの、いわゆる「演芸会」。お供え物も、村人たち全員に振る舞われる。悪魔祓いの会は、前半部とはうってかわって、「村人たちの社交の場」と化している。患者を取り囲み、談笑がかわされる。そして朝を迎える。

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 一般に「病気」は「個人」に宿るものとされる。だから近代医療、いわゆる病院では、「個人」を対象に「治療」が行われる。「治療」はあくまで「パーソナル」なものである。

 しかし、そんな「治療」にも癒せないものがある。心身症的な「病い」は、典型的にそれに含まれる。
「病い」は「孤独」から生まれる。そして「孤独」とは、ある個人をとりまく「社会的関係」が機能不全に陥っている状況である。そうであるとするならば、その「病い」の改善はいかにして行われるべきか。

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 著者も指摘しているように、「悪魔祓い」で実施されていることは、機能的には、「共同体への再統合」である。別の言い方をすれば、患者を取り巻く「社会的関係」のもつれを解きほぐし、編み直す営みであるとも言える。

 呪術師が外部から介入することで、「患者」と周囲のあいだで失われた「つながり」を回復し、編み直す営みである。
 そして、ここが僕にとっては、大変興味深い。「悪魔祓い」といわゆる「組織開発」の理論の共通点を見いだせるからだ。

 会社や組織において、個人のパフォーマンスと信じられているものの多くは、社会的関係の網の目を通して達成されている。
 いわゆる状況的認知アプローチは、個人還元主義を廃し、個人の知的な振る舞いが、外界にある道具や他者によって支えられていることを明らかにした。

 そうであるとするならば、パフォーマンスの向上のために我々が外部からなしうる介入の「単位」はいかにあるべきか? それは個人なのか、それとも個人をとりまく「つながり」なのか。この問いが、非常に興味深い。

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 本書は、内容は専門的であるが、極めて平易な用語で書かれているので、一般の方にも楽しんでいただけると思う。なお、同書を編集した文庫本もでているようだ。