事例検討会の難しさ
教育の世界では、よく「事例検討会」という会が開催される。「事例検討会」では一般に「ある教育現場での実践事例をもとに参加者でディスカッションを深める」といったことが、よく行われる。
その場合、もっとも悩ましいのは「誰の目から見ても素晴らしい、斬新で刺激のあるベストな事例」を「事例」として選ぶのか、それとも「コンセプトは凡庸だが、参加者にとっては親近感の感じやすい、だけれども、あまり知的興奮を感じることは少ないベターな事例」を選ぶのか、である。
どちらを選んだとしても、参加者からは「不満」がでる。参加者は気づいていないかもしれないけれど、運営者の立場からすると、この「不満」には共通点がある。
前者の「ベストな事例」を選んだ場合には、「あまりにも先端的過ぎて、うちの組織でできる気がしない」「あれは、○○の組織だからできたんだ」という感想が述べられる。
後者の「ベターな事例」を選んだ場合には、「コンセプトがアタリマエすぎて、何を学んでいいかわからない」「事例検討会では、シャバの悩み事ではなく、もっと知的興奮を得られる話を聞きたい」という感想がでてくる。
どんなにうまくファシリテーションを行っても、これらの不満はいつも共通している。言い換えれば、それは「ないものねだり」に近い。
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こういう事実を前に、運営者はどのような「心づもり」をもつべきか。
まず「事例検討会」とは、どんな事例を選んだとしても、程度の差こそはあれ、「参加者に不満が残る」という事実を認めなければならない。
そしてこうした「不満」に過剰に敏感になるよりも大切なことは、「どんな事例であっても、しっかりと参加者にリフレクションさせる時間を確保して、より一般的な持論や定石づくりを行ってもらうこと」である。
事例検討会でありがちなのは、「事例を聞くこと」に時間をかけすぎてしまい、その後のディスカッションや、参加者のリフレクションには、あまり時間をかけないことである。これを「這い回る事例主義」と、僕は呼ぶ。
教育とは、いつも個別・具体的である。
個別・具体的な事例を、「いい話聞かせてもらったわー」で済ませてはいけない。
だいたい -- 本当のことをいうと嫌われるけど、敢えて言っちゃうけど -- 「あまりにも先端的過ぎて、うちの組織でできる気がしない」「コンセプトがアタリマエすぎて、何を学んでいいかわからない」という「不満」は、事例をもとにキチンとリフレクションした人の口からは絶対に出てこない言葉である。
どんなにワンダホーな事例であっても、はたまたトリヴィアルな事例であっても、内省するポイントは存在し、学ぶべきことはある。
そこから何を持ちかえりうるのか、事例検討会の成否は、そこにある。