企業内教育とお金

 信濃町・明治記念館において開催されたシンポジウムで講演を行った。グローバルナレッジネットワーク社主催の「IT人材育成」に関するエグゼクティブ向けのシンポジウム。

グローバルナレッジネットワーク
http://www.globalknowledge.co.jp/

 講演は、オリックス会長の宮内義彦さん、インドのIT企業「インフォシス」のベンカタラマン・スリラムさん、中原の3名。中原は「教育学者が覗いたIT人材育成」というお題であった。拙い講演ではあったが、何とか無事終えることができたことを嬉しく思う。

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 今回のシンポジウムで個人的に印象深かったのは、インフォシス社のスリラムさんの話であった。

 1981年たった7人の創業者、3万円の資本金で始まったインフォシス社は、いまや8万人の従業員が勤務し、売り上げ高4000億を稼ぐ企業に成長している。

インフォシス
http://www.infosys.com/japanese/default.asp

 売り上げの98%は海外、インドはわずか2%でしかない。正真正銘のグローバル企業である。従業員の雇用は100万人のアプリカントの中から毎年3万人を雇用しているという。
 
 興味を持ったのは、その教育費。なんと、売り上げの5%、200億円を投じている。この200億には、企業内大学のキャンパスの建築費などは含まないそうだ。
 スリラムさんによると、「IT企業は結局人しかない、だから我々はこれに投資する他はない」

 おそらく日本のIT企業で、売り上げの5%という数字を教育にあてている企業は、そう多くないのではないだろうか。通常は1%、ないしは、ゼロケタ台というのも関の山だと思う。いかに、教育のために投資されている予算が少ないか、この数値である程度は推察できる。

 ちなみに、少し調べてみると、おそらくグローバルで最も教育予算を使っている企業のひとつであるGE社は、年間の教育予算が1120億円である。
 対して、日本における人材育成ビジネスの「総額」は、おそらく6000億弱だと思われる。

 いやはやグローバルというのはケタが違う。

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 講演のあとは、日経BP社・田口潤さんの司会で、パネルディスカッションが開かれた。僕からもいろいろな問題提起をしたけれど、「教育とお金の問題」にも触れた。

 思うに、「日本ほど、教育に多くを期待しながら、そこにお金をかけない国は珍しい」。一言でいうと、「やい、教育、この問題何とかせい!、あっちでも問題が起こったから何とかせい、おっと、こっちでも問題勃発、何とか、せい! 金は出さないけど、頑張れ」。そうした風潮は企業内教育であろうと、公教育であろうと、そう変わらない。

「それって、教育の人たちだけが頑張れば、本当に、解決がつく問題なのですか?」

 という素朴な疑問を差し挟む間もないほど、「やい、教育、この問題何とかせい!、金は出さないけど、頑張れ!」のオヤヂたちの声は大きい。あまりの声の大きさに、素朴な疑問はかき消される。

 たとえば、日本の教育への公財政支出は、年間国家予算の3.5%である。これは、OECD加盟国30ヵ国最下位(2003年)。
 もっとも公財政支出の大きいアイスランド7.5%は別格にしても、フィンランド6.0%、米国5.4%、にも間をあけられ、スロバキア4.3%、チェコ4.3%、アイルランド4.1%、にも負けている。

 それなのに、教育に対する社会的期待は、日に日に増大するばかり。何か問題が起これば、「やれ教育は何をやっている」「やれ、教育のせいだ」という風に「教育」に原因帰属が行われる。「やい、教育、しゃんとせい、何とかしろ」ということになる。

 ちなみに、高等教育の場合はどうか。我が国の高等教育に対する公財政支出割合はGDPの0.5%。米国は1.0%、イギリスは0.8%。OECD平均は1.0%。そのくせ「大学では、あれも教えろ、これも教えろ」となる。ここでも、いかに金をかけないで、多くを望んでいるかわかる。

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 もちろん、これは「教育を提供する側」にも問題がなかったわけではない。
 これまで「教育を提供する側」は、自分たちがやることをキチンと外部に、外部の人が「わかる言葉」で「説明」し、そこへの投資を促すよう、熱心なリクエストを行ってきただろうか。場合によっては、様々な人々を巻き込み、アクターネットワークを形成するといった活動を引き受けてきただろうか。
 むしろ「教育に携わる者」が「お金のこと」を持ち出すことは、ある種「品のないこと」「タブー」という「内部ルール」をいつのまにか形成してきたのではないだろうか。教育は「聖なるもの」であるから、黙っていても、お金は投資されるはずである、という思いこみはなかったか。

 誤解を避けるために言っておくが、「お金」だけが「教育のクオリティ」を決定している要因ではない。そして、お金のことをギャーギャー言っている僕は決して「守銭奴」ではない(笑)。

 しかし、「教育のクオリティ」を考える上で、お金は「重要なリソース」のひとつであることもまた事実である。お金があれば、人も雇えるし、より大きなビジョンをかかげる教育プログラムが開発できる可能性がある(あくまで可能性である)。

 決して、この問題は侮ってはいけないと思う。

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 最後になりますが、このような機会を与えてくださったグローバルナレッジネットワーク社 金木社長、菅原本部長に感謝いたします。今回の講演は、IT企業を実際に取材し組み立てたものでした。大変お世話になりました。

 そして人生は続く。