「オクサンリフレクション」と佐々木常夫著「ビッグツリー」
先日、共同研究者のある先生がこんなことをおっしゃっていた。
「僕は一日あったこと、感じたことを、帰ってからオクサンに全部話しますよ。オクサンの方は、もう眠いとかいって、あんまり聴いてないけれど・・・」
名付けて「オクサン・リフレクション」。オクサンを通じて、一日を振り返り、新たな意味を発見する。
オクサンにとっては、「ひゃー、また、うっといのが来たわ」という感じで、あまりというか、全く嬉しいことではないのかもしれないが(少なくともウチは)、何を隠そう僕もその「迷惑者」のひとりである。カミサンは密かに思っている。
「アンタ、人の話はぜんぜん聞いてないくせに、ホンマ、えーかげんにしーや」
話がズレた。
とにかく、話をする相手がオクサンであろうとなかろうと、「一人で孤独にリフレクションすることは難しい」。
根拠レスではあるけれど、リフレクションは、人工物や他者などに支えられた方が、より効果的であるように思う。
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先日の「ガイアの夜明け」で紹介されていた佐々木常夫さんの本「ビッグツリー:私は仕事も家族も決してあきらめない」を読んだ。
佐々木さんは「大学卒業後、東レ入社。自閉症の長男に続き、年子の次男、年子の長女が誕生。妻は肝臓病が元で入退院を繰り返すなか、うつ病を併発し、何度か自殺未遂。すべての育児・家事・看病を自分が、こなさなければならない過酷な日々の中でも、仕事への情熱をすてず、同期トップの取締役になった」という経歴をもつ方である。
この本のすべてを一言で語ることは難しいし、そこで実践されていることを、すべての人ができるわけではない、と思う。しかし、佐々木さんの下記の言葉は、「なるほどそうだよな」と思った。
「私は、ただやみくもに長時間労働をしている人や組織を見ると、生理的嫌悪感さえ感じる。
単純に長時間労働がダメだと言っているわけではない。(中略)しかし、上司のつまらない考えややり方によって、どれほど無駄な残業をさせられてきたのも事実である。
したがって、まず形から入ること、つまり夜6時で仕事を終えるのにはどうするか、ということにトライするべきだろう。」
(同書 pp66)
すべての仕事を、規定通りの時間に終わらせることは、必ずしもできない場合もある。しかし、少し仕事のやり方をリフレクションしてみると、工夫できるところがないわけではないわけではないことに、誰しも気づかされるのではないだろうか。
僕も、少し考えてみよう、と思った。