別れても好きな人!?

 研究者が「現場」に関与しながら、そこで働く人々と「協働」しつつ、彼らとともにアイデアを出し合い、ともに実践を振り返りつつ、「現場の変革」をめざす実践研究スタイルを、「アクションリサーチ(Action Research)」という。学者によって、定義は様々ではあるけれど、最大公約数はこんなところだろう。

 学習研究では、これを「デザイン実験アプローチ(Design Experiment Approach)」と呼ぶこともある。いずれにしても、「象牙の塔にある実験室」を離れ、「基礎研究の知見」を役立てながら、「社会における問題解決」を重視し、それを発展させようとする立場をいう。

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 アクションリサーチを志向する場合、研究者は「既存の研究知見を参照できる存在」として、あるいは、実践者の「振り返り」の「鏡」としての存在を期待される。研究者は陰ながら、実践を支えることに徹することが求められる。

 ここで2つ気をつけておかなければならないことがある。

 ひとつめ。
 研究者は、ともすれば「権威的存在」として振る舞うということである。
 研究者が、自ら提唱する「教育理念」を現場に「落とし込み」、それを現場に実践させ、現場での活動が「理念」に「準拠」しているのか判断し「指導」を行う、というのは、個人的な意見だが、アクションリサーチの考え方とは少し異なるような気がする。

 また、上記のような意図をもたなかったにせよ - つまり研究者が望もうと望まないとに関わらず、研究者は「権威的存在」として振る舞うことを社会的に要請されてしまうことがある。

 一般の人には見えない「何か」を知っている存在として - 知的権威者 - として振る舞うことが強く求められるということである。
 いずれにしても、そうした場合、「ともにアイデアを生み出すこと」「ともに振り返ること」は困難になる。

 ふたつめ。

 どんなにアクションリサーチがうまくいこうとも、

「実践者と研究者はいつかは別れなければならない」

 という事実を、受け入れなければならない、ということである。
(このことを僕に教えてくれたのは、I大学のS先生である)

 どんなに研究者が「ひとつの現場」に関与したいと願いつつも、永遠に関わり続けることは様々な理由で不可能になりやすい。

 卑近な障害としては、研究資金の問題もある。近年は、そのサイクルがさらに短期になっており、頭を悩ませる場合も少なくない。
 また、ファンドの問題がなかったとしても、学問の発展に従って、研究者は「研究するべき対象、研究内容」を変えていかざるを得ない。
 また、研究者も実践者も、彼らの属する組織も、それぞれ年をとる。組織の中での振る舞いも、年をとるに従って、違ったものが求められる。いつまでも一緒にいることが、組織の論理で阻まれることも少なくない。
 もちろん、その関係には程度の差がある。しかし、「実践者と研究者は、永遠に一緒にいられるわけではない」、このことはどうも真実に近いもののように思われる。

 そして、もしそうであるならば、 - つまり「いつかは別れなければならぬ存在」らば、研究者や「実践者」は「別れること」をそもそも折り込んで、実践現場で「協働」しなければならない。

 つまり、「協働活動の結果生み出した実践創造のプロセスが、実践現場の社会的慣習として位置づき、継続されること」をめざさなければならない。

 研究者が現場を立ち去るときには、そういう「消え方」をしなければならない。また、実践者は自律的な実践創造をいつかは「自分一人で行うこと」を意識しつつ、協働に向かわなければならない。

 しかし、これは多くの場合誤解される。
「いつまでもいっしょにいられる」と思いこんだり、「別れ」が突然訪れた際には「あの人ったらヒドイわ、アタイを裏切ったのよー、くやしい(片平なぎさ風にハンカチをかむ)」と考えがちである。僕の考えによれば、それは違う。「あのぉ、言いにくいんですけど、最初から別れる運命だったんちゃいますか?」という感じである。

(もちろん、別れたあとでも、「別れてもぉ~好きな人~」という感じで、お互いをリスペクトしあうのは全く問題ない。そういうかたちこそ理想かもしれない)

「実践」を行い得るのは研究者ではない。さらに「実践」を継続しうるのも、「実践者」でしかない。

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 もちろん、これ以外にも、アクションリサーチには気をつけておかなければならないことがいくつかある。

 実践者と研究者の間の問題は、いつだって「生やさしく」ない。それは「果てない緊張関係」であり、「別れることを運命づけられた切ない関係」である。しかし、それが成就したときには、一人では決して到達できない「幸せ」を享受することもできる。

 恋愛がそうであるように、それは「永遠のアポリア」である。

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追伸.
 今日の話は「研究者と実践者の話」であった。しかし、同様の問題は、程度の差こそはあれ「外部から現場の問題解決に介入するとき」にはかなりの確率でおこる。たとえば、外部から介入を行う「コンサルタント」と「実践者」のあいだなど。

 人は「いかに支援すればいいのか」という命題に関しては、関心をもつ。しかし、「いかに支援をフェードアウトするか」ということに関しては、あまり注目されない。

 自戒を込めていうけれど、我々は、ともすれば、支援をしなければならないときに足りず、支援が必要のないときに、それをする傾向がある。この頃合いがもっとも難しい。

 外部から現場に介入する人は、彼/彼女の掲げる理念が、どんなに美しく、どんなに協同的なものであったとしても、必ず、現場を離れるときがくる。
 おそらく、「ホンモノの介入プロフェッショナル」とは、「現場を離れたあとの状況」まで思いをめぐらし、様々な施策を考え、実行できる人のことをいうと思う。