「守・破・離」と大学院
物事を修めることとは、いわゆる「守・破・離」。
---
「守」
師の教えを忠実に守り、基礎基本をかたどる段階。いわゆるモデリング。注意を払った反復学習が必要。
「破」
基礎基本の一部を自分なりに変更し、自分らしさや個性のもとを開花させる段階。
「離」
「破」をさらに勧め、師を「卒業」し、独自の芸やワザを円熟させる段階。
---
大学院教育にこれを当てはめてみれば、「守」が修士コース、「破」が博士コースにあたるのかもしれない。
「破」で大勢しうるかどうかは、「守」のプロセスでどれだけの型を習得できたかに依存する。
そして、何よりも大切なことは、博士コースを終え、博士号を取得したからといって、学問習熟のプロセスは全く「終わっていない」ということである。むしろ、「自分にしかできない研究に着手する」という意味では、スタートラインに立ったばかり。その頃には、師を相対化しなければならない。
終わりとは、まさにはじまり。
まだ、はじまったばかりである。