二足のわらじをはきなさい
中央公論2月号特集「崖っぷち、日本の大学」は、なかなかオモシロク読むことができた。
中央公論
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特に大変興味をもって読むことができたのは、加藤尚武先生(東京大学特任教授・元京都大学教授:倫理学)の「京大オーバードクター生一掃記:二足のわらじをはきなさい」という論考である。
加藤先生は、「従来の倫理学のメニューにはなかった応用倫理学という研究領域を開拓し、オーバードクター生に参加させ、応用倫理学の領域でも研究業績を採用側に示す機会」を与えた。そのことがきっかけで、オーバードクターの学生が就職することが容易になったのだという。
こういうと、
「伝統的な学問をやっていては就職できないから、流行モノを追えってことね」
と訝しがる方もいるかもしれない。しかし、それは違う。加藤先生は言う。
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いわゆる「伝統的なアカデミックな研究」というのは、19世紀に大学制度ができて、学問の自由が認められたときに、純粋な知性、象牙の塔というような、純粋な知こそが本質的な真理を担うというアカデミズムに固有のイデオロギーがつくりだした「虚像としての学問像」である。
真実の学問は、現に国民が選択の前に立たされているような大きな難問を解くことに寄与してこそ存在理由がある。そのような寄与を通じて、「純粋な学問」が陥る独善を批判することが研究者の本来の責務なのだ。
学問批判を忘れた学問は必ず腐敗する。学問批判を可能にする試練の場が応用倫理学である。
(p47より引用)
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アカデミズムの世界には、
「研究者は学問さえできればいいのであって、就職とかお金のことなんて考えること事態が不純である」
という学問原理主義者もいないわけではない。しかし、そういう人は、たいがい「既に職をもっていて、決して、自分自身は生活を脅かされない状況」にいる場合が多いように思うのは気のせいか。
「学問で食えること」、それは、その学問の未来を考える上でも、非常に重要なことだと僕は思う。