共働きの子育てとは「システム」である

 何とか「ヤマ」をこえた。

 タクトは以前お腹の調子はよくないが、発熱と極度のゲリは「ヤマ」を超えた。カミサンは働き始めて1週間がたった。体調は本調子とはいかないが、何とか持ちこたえたようだ。僕も、一時は発熱、体調不良に悩まされたが、かなり元気になった。

 ふぅ・・・。

 皆様、お騒がせしました。
 いろいろな会議、会合に、ずいぶんと「穴」を開けてしまったことをお詫びします。申し訳ございませんでした。

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 今回、結局、奈良の妻の実家のお母さんにきていただき、いろいろとお手伝いいただいた。

 共働きの家庭で、自分たち以外に子どもを見ることのできる人が1人いていただけるというのは、こんなに助かることなのか、と痛切に感じた。ありがとうございました。

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 今回の風邪騒動をきっかけに、我が家の子育てシステムも、もう少しロバストに構築しなおさなくてはならない、と感じている。ユーリア=エンゲストロームは、アクティヴィティシステム理論の中で、「システム内に生じた矛盾が、システム発展の原動力である」と述べた。今回の一件は、家族がより幸せになれる「きっかけ」にせねばならぬ。

 局所的に生じたブレークダウンを、全体システムに波及させないための、セーフティネットをいかに準備しておくか。そして、万が一のブレークダウンのために、いかにリダンダンシーを確保しておくか。

「共働きの子育て」とは「システム」である。

「誰か」に生じたブレークダウンは、必ず、家族の「誰か」に波及する。「誰か」に「余裕がなくなれば」、誰かが「苦しむ」。反面、「誰か」に心の余裕が生じれば、それは全体に波及する。
「家族の誰一人」として「ひとり」ではない。すべては「つながっている」。

 以前、僕は、子育てにあたっては「家族みんなのハッピー度」を極大化するように、我が家の意思決定を行う、と書いた。

家族みんなのハッピー度
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/02/post_759.html

 家族みんながハッピーになれるシステムとは何か?
 「モデルなき模索」は今日も続く。