巨大な象を前にして
どこで読んだのかはすっかり忘れてしまったけれど、かつて、何かの本で「はじめて象に遭遇した盲目な学者たち」のお話を目にしたことがある。
細かいニュアンスや表現は原文とは異っているかもしれないが、(たぶん)大枠は間違っていないと思う。以下、僕の「創作・加筆」がかなり含まれているとは思うけど。
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あるところに「巨大な象」と、それとはじめて遭遇した「盲目の学者たち」がいた。
学者たちは、「象」を一度も見たことがなく、かつ、それが「どのような姿をしているか」について確かめるための「手段」を持たなかった。結局、誰彼ともなく、自分の手で「象」に触れてみることを試み始めた。
ある者は、象のしっぽを握り、それは「先に毛のついたブラシ」のようなものだとうそぶいた。
あるものは、象の大きな足を調べ、それを「そそり立つ巨大な柱」に喩えた。
学者のひとりは、象の「胴体」を触り、それを「絶壁」に似ているとした。
ある学者は、象の前足と後足のあいだに手を置いたため、象とは「虚無である」と結論した。鼻に触った学者は、象を「ホース」のようなものだと考えた。
どの学者も、「象」がどのようなものなのかについて、自分の体験したものにこだわった。
彼らがこだわったのは、それぞれの「発見」が「正確かどうか」であった。学者たちのイメージは、それぞれ「正確」なものであり、「象」のある一面を物語っていた。
学者たちは、決して譲り得なかった。「象」がなんたるかについて、それぞれの智恵を持ち寄り考える場は、最後までもちえなかった。
手に手をとりあい、両手をともに広げ、象を把握しようとすることもなかった。
中には、持説を「運動」に転換するものもいた。「運動」によって、彼は「熱心な支持者」と「弟子」を得た。「運動」は「内部」において盛り上がった。しかし、奇妙なことに「運動」の「外部」においては、「波風」がたつことはなかった。
熱心な支持者や弟子たちの中には希に、師の持説に、一瞬の疑問を感じるものもいた。彼らは言った。
「他の場所から象に触れてみたいのですが」
静かに、だがはっきりと学者は言った。
「裏切りはいけませんよ、場所を変えてはいけません」
もはや、彼らにとっての問題とは、「象を見ること」ではなかった。
かくして、盲目な学者たちとその熱心な支持者、弟子たちは、「象」がどのようなものかについて、最後までわかりえなかった。
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この寓話は、我々に何を語っているのか?
「学び」という、あまりに巨大で、かつ、複雑な現象を前に立ちすくむ我々は、このお話から、何を感じ得るか。