OECD PISA2006の調査結果(科学的リテラシー)

 OECD実施のPISA調査の結果が、「フライング・プレスリリース」のようです。今回正式な結果発表に先んじて漏れてしまったリリースは、「読解」「数学的リテラシー」「科学的リテラシー」という3カテゴリーのうちの「科学的リテラシー」の調査結果。

「理科の応用力」日本は6位 OECD調査
http://www.asahi.com/national/update/1130/TKY200711290407.html

 これによると、日本は参加した57ヵ国中6位の531点。1位のフィンランドは563点、2位の香港は542点。3位のカナダから7位のニュージーランドまで4点差、だそうです。2003年調査では、日本は41ヵ国中2位でしたね。

 フィンランド 563点
 香港 542点
 カナダ 534点
 台湾 532点
 エストニア 531点
 日本 531点
 ニュージーランド 530点
 オーストラリア 527点
 オランダ 527点
 リヒテンシュタイン 522点

 もちろん、この結果をもって、やれ「やっぱり学力低下だ」だとか、やれ「フィンランドは最強だから、日本の教育もそれにならうべき」とか結論づけるのは「早計」すぎるように思います。参加国も増えていますし、単純比較はできないように思います。

 個人的に一番興味があるのは、どんな問題ができて、どんな問題ができなかったかでしょうか。総合点云々より、こっちの方が興味深い。

 正式なプレスリリースは、12月4日夕方(日本時間)とのこと。「読解力」や「数学的リテラシー」はどうなっているかな。

投稿者 jun : 2007年11月30日 06:03


教職大学院

教職大学院、19校でスタート 指導力の向上図る
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200711270201.html

2008年から19校の教職大学院が、学生の受け入れを開始することになったという。その内訳は下記の国立15校、私立4校。

 愛知教育大学(50)
 京都教育大学(60)
 北海道教育大学(45)
 宮城教育大学(32)
 群馬大学(16)
 東京学芸大学(30)
 上越教育大学(50)
 福井大学(30)
 岐阜大学(20)
 兵庫教育大学(100)
 奈良教育大学(20)
 岡山大学(20)
 鳴門教育大学(50)
 長崎大学(20)
 宮崎大学(28)
 創価大学(25)
 早稲田大学(70)
 常葉学園大学(20)
 玉川大学(20)

 1)教員経験者、教育行政担当者らの、いわゆる「実務家」が、専任教員の4割以上を占めていること、2)修了必要単位45単位のうち10単位(400時間)以上が「実習」にあてられているのが「特徴」らしい。「授業や学校運営の能力のレベルアップ」をめざす。

 しかし、同記事によれば、「現職教員の学生について学校での実習を免除する計画」がある模様。「実習」がウリなのに、「実習が免除」というのはよくわからないが、どうやらそういう制度が計画されていたようだ。いずれにしても、僕は関係者ではないので詳しいことはわからない。

 いずれにしても、従来の教育学研究科との差異をどうつけるかが、今後問われるであろう。従来の大学院では学べなかった内容 - 「授業や学校運営の能力」を、どのような手法で、学んでもらうか。そのあたりをうまくデザインできると、よいリカレントの場になると思う。

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追伸.
 TAKUZO、発熱、41度。苦しいねぇ、、もう僕は見ているだけでも辛いよ。カミサマ、息子をあんまりいじめないでください。

投稿者 jun : 2007年11月29日 07:00


近況

 今年度の研究プロジェクトが、今、「ピーク」を迎えている。

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 マイクロソフト関連。

 望月先生、大浦先生、佐藤さんを中心に、週末金曜日に開催される「公開デモ授業」の準備が、進んでいる。

読解力育成ソフトウェア:e-journal plusのデモ授業
http://www.nakahara-lab.net/press_release/20071110meet.pdf

 このデモンストレーションでは、マイクロソフト寄附研究部門で開発した「読解力育成ソフトウェア:e-journal plus」を使った授業が行われる。講師は僕。昨日は夜6時から、そのリハーサルが行われた。

東京大学 大学総合教育研究センター マイクロソフト寄附研究部門
http://www.utmeet.jp/

 終わってみた感想。「何とかメドがついた」という感じがした。だいたい授業の進行は、前もって僕が書いていたシナリオどうりにすすみそうだ。僕自身の最大の課題は、当日まで体調を整えることだろうか。

 このところ、ずっとノドが痛く、また微熱っぽいな、と思うことが多い。一家で「慢性風邪引きさん」になりかけている。何とか金曜日までは持ちこたえなくては。

 ちなみに、マイクロソフトのWさんによると、e-journalは下記の3点において、タブレットPCソリューションとしても、世界初のソフトウェアと言えるそうだ。

1.読解力向上のために具体的な思考過程までメスを入れたTablet PCソリューションである

2.XPSをインタラクティブなフレームワークとして独自に機能拡張し、「紙の文献にペンを使ってアノテーションを入れる」感覚を実装したPCソフトウエアである

3.e-journalはWindows Live Spaceと連携させることができる。これをもって、協調学習環境も可能である。

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 新日本製鐵株式会社×ウィルコム×東大の共同研究プロジェクト「なりきりEnglish!」は、実証実験期間3週のうち2週目にはいっている。東京大学大学院情報学環 ベネッセ先端教育技術学講座の研究プロジェクト。

なりきりEnglish!公開企業研修
http://www.nakahara-lab.net/press_release/20071109narikiri2.pdf

東京大学大学院情報学環 ベネッセ先端教育技術学講座
http://www.beatiii.jp/

 重田先生、事務局担当のSさん、Kさんらの尽力によって、実験参加者へのサポートが続いている。

 12月8日には、最終の公開企業研修。この日には、ネィティブを前にしてのプレゼンテーションを主眼としたワークショップが開催される。

 来週は最終週。
 いよいよ、こちらも忙しくなる。

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 「なりきりEnglish!」からスピンアウトしたプロジェクト「Fitcasting」が、いよいよ、2008年1月にベールを脱ぐことになる。

 東京大学×ベネッセコーポレーションの共同研究の成果で、「業界別の英語リスニング教材」を、広く一般に公開するというもの。

 今日は、その打ち合わせのため、ベネッセ担当者のAさん、Yさんと、某IT企業を訪問。

 一般公開は1月。ということは、残り1ヶ月の間に、コンテンツ開発にメドをつけなければならない。コンテンツ開発は、ベネッセのYさん、テクノロジーマターはAさんがディレクションしている。僕はプロジェクトの統括、監修などを担当。

 残された時間はそう多くない。次回の会議あたりがヤマだ。

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 ダイヤモンド社さんと今年進めていた「ワークプレイスラーニング調査」に関しては、調査に協力してくれた各社に対して、現在、メンバーで分析レポートを執筆している。この調査、結局14社1700名の回答を得ることができた。

 あと残されているのは、僕のレポート執筆部分だ。何とか、時間を見つけて、12月初旬にはお送りできるようにしたい。

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 今月、企業での講演×2。こちらの準備もしなくては・・・。
 フツーに講演すればいいのに、ひそかにちょっと案を練っている。プレゼンの最初で「ストーリー」を提示し、その中で「学習理論」について考えていただくというのはどうか、と。

 そして人生は続く。
 
 
 
追伸.
 今日はTAKUZOの1歳の誕生日。長かったような、短かったような。昨日の深夜には少し熱を出したみたいだが、朝にはケロっとしていた。今日も元気に保育園に出かけた。カミサンは、TAKUZOが食べられるように「手作り一口ケーキ」をつくった。

 1歳、おめでとう!
 パパもママも嬉しいよ。

cake.JPG

投稿者 jun : 2007年11月28日 10:31


人材育成を語る語彙

 昨日は「福岡」に出張でした。九州の企業人材育成担当者の方に対する3時間の研修です。

 言い足りなかったり、言い過ぎていたり。喋っている本人が、密かにハラハラしている内容でしたが、とりあえずは無事に終わりました。いやぁ、研修は「生モノ」ですね、難しい。

 僕の研修の半分くらいはグループディスカッションです。もちろん、皆さんがディスカッションしている間、僕は、「お鼻ほじり虫」になっているわけではありません。

 わずかな時間のあいだに、聴衆の反応を見ながら、用意していったパワーポイントの順番や内容を、どんどん変更します。かっこよくいえば、ジャズのインプロビゼーション(即興)。悪く言えば、ドタバタ。

 まぁ何とかかんとか、準備している内容を、皆さんの理解や関心にあったかたちでお伝えできるとよいのですけれども。中原、まだまだ修行が必要なようです。

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 それにしても、このところ、とみに思うことがあります。

 企業人材育成の領域に、もっと「人間の学習を語る共通の語彙」を増やしていかなければならないな、ということです。

 それまでの経営学を主体とする人材育成の語られ方では、

 OFF-JT、OJT、自己啓発
 新人教育、階層研修
 
 などがあるでしょうか。どの人も知っている用語ということになると、このくらいが「上限」であるように思います。

 しかし、これらすべての用語は、あくまで「マネジメントサイド」の視点にたった用語です。しかも、それは「人材育成の制度を表現する用語」ですね。決して、それは「人間の学習を語る語彙」や「人間の成長を語る語彙」ではないように思います。

 OFF-JTといっても、その意味するところは様々ですね。人がよりよく学べる研修もあれば、そうでないものもある。研修といっても、いわゆる座学で、徹底的にモノゴトを暗記させられるものから、ワークショップに近い協調的な活動が中心のものもある。そこで生起する学習も様々です。

 学習要素がこれだけ複雑なのに、OFF-JTという概念でキャッチオール(catch all)でよいのでしょうか。もう少し精緻な語彙が必要であるようにも思います。

 OJTもしかりです。「黙って背中を見て学べ」という形式の、いわゆる伝統芸能における「ワザの伝承」のようなものもあれば、コーチングやメンタリングのような関係もある。そしてそれに対応する学習も様々です。こういうものを、すべて「OJT」という概念でまとめるのは、やはり無理があるように思います。

 要するに、概念の意味するところは多様なのに、そこで起こっている学習を「十把一絡げ」にしてもよいのだろうか、そう思うのです。

 まぁ、言うのは簡単ですが、この問題はなかなかの難問であります。どういう風に「共通の語彙」を増やしていけばよいのか。少し考えてみようと思いますけれども。

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 ともかく、今日は久しぶりの出張でした。

 このところ、1)大学での仕事が本気で忙しくなったこと、2)幼い子どもがいるのであまり家をあけたくない、こともあり、なかなか出張することができないのですが、お招きいただいた九州生産性本部のTさんに感謝いたします。ありがとうございました。

投稿者 jun : 2007年11月27日 07:00


ニューヨークタイムズの統合編集室

 非常に興味深い記事を発見しました。ニューヨークタイムズの新社屋のビデオ。従来の「新聞」をつくっていた編集オフィスと、デジタルの部隊の仕事環境が「統合」されているという話です。

NYTimesの新編集室をビデオ公開,紙部隊とネット部隊が統合
http://zen.seesaa.net/article/69188393.html

 メディアインテグレーション(メディアの統合)をはかるのなら、まずは「働く環境を統合せよ」ということなのでしょうか。

 かくして、かの国では、「あちら」と「そちら」の世界は、どんどんと「ひとつ」になっていますね。日本のマスメディアは、どう動くのでしょうか。

投稿者 jun : 2007年11月26日 22:26


「ソファから降りる」

 人間の「学習」とは「すさまじい」ものです。

 たとえば、つい1日前まで、TAKUZOはソファから「アタマからダイビングすること」でしか降りることができなかったのですが、次の日には、「足から降りること」ができるようになっている。

kodomo1.JPG

kodomo2.JPG

 考えてみてください。もし、この動作が「人間」ではなくて、「ロボット」によって行われるのだとしたら、どうなるかを。

 確かに、やっていることは「ソファから降りる」だけです。でも、一見単純な動作ですが、これができるようになるためには、おそらく「長いプログラム」か、あるいは、長い「試行錯誤学習」が必要になるのではないでしょうか。

 こういう現実を目にしますと、おいそれと、「学ぶ」とか「学び」とか、そういう言葉を使う気にはなれません。
 僕らは生まれながらにして「学べる存在」である。そのことを素直に喜び、さらにはその機構に「畏敬の念」を持たなければならないのではないでしょうか。

 学べるということは、「とてつもないこと」なのではないか。
 「学ぶこと」に心を奪われ、10年以上研究を続けてきましたが、僕は、ようやくそのことに気づきはじめているのです。

投稿者 jun : 2007年11月26日 07:00


時間差育児

 連休だというのに、TAKUZOは容赦がない。朝5時30分になると決まってゴソゴソ起き出して、グズグズしだす。起床である。「どこぞのジイサン」並みに朝が早い。

 しばらく無視しているけれど、さすがに「我が子」。全く聞き分けがない。僕の顔をかっちゃいたり、寝ているところにダイビングしてきたり、あらゆる手を使って親を起こそうとする。

 ここ数日、僕とカミサンは「時間差育児」をしている。
 朝の部は僕の担当。6時頃にTAKUZOを連れて居間へ。栗ジャムのサンドイッチ、ミルク、ヨーグルトの朝ご飯を食べさせる。食べたらすぐに出す、便×2、なんちゅう「快便君」だ。

 TAKUZOに油断は禁物。つい10分前も、目を離したすきに、ティッシュをすべて箱から出されてしまい、気が狂いそうになる。「あれっ、なんだか静かだなぁ」tと思ったら、大抵、「大人の嫌がること」をもれなくしている。そんなこんなで、3時間、遊ばせる。

 9時頃にはカミサンと交代。それから僕は寝る。

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 こうすると、最低3時間は誰にもじゃまされず、ゆっくり眠れることになる。もし二人とも6時に起きていたら、結局、眠れる時間はほとんどない。

 育児とは「エンドレス」である。
 何とか工夫したり分担したりして、少しでもカラダを休めないと、やっていけない。

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 それにしても、一度でいいから昼頃まで、ベッドでゴロゴロしていたい。TAKUZOが生まれてから1年、そんなことは一度もない。このささやかな願いが叶えられるのは、きっと、ずいぶん先のことになるんだろうな。

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追伸.
 先日Youtubeで見つけた。いつのまにか終わってしまっていましたね、まんが日本昔話。懐かしいなぁ。子どもの頃、毎週欠かさず見ました。

まんが日本昔話オープニング
http://jp.youtube.com/watch?v=gu4p8vjvKOM

まんが日本昔話エンディング
http://jp.youtube.com/watch?v=whQPj0jz6Oo&feature=related

 ついでにこんなのも見つけた、「もったいないお化け」。うーん、懐かしい。食べ物を残すたびに、親に脅されてたなぁ。

もったいないお化け
http://jp.youtube.com/watch?v=Zg1NCZVS5Q4&feature=related

投稿者 jun : 2007年11月25日 07:42


ベネッセ、NINTENDO DSで進研ゼミ

ベネッセコーポレーション、WebやDSを使った次世代「進研ゼミ」「進研ゼミ中学講座+i」と「得点力学習DS」を発表
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20071122/bene.htm

ベネッセコーポレーションがニンテンドーDSを使った新しい家庭学習のスタイルを提案
http://www.famitsu.com/game/news/1212087_1124.html

ベネッセ:ニンテンドーDSで「進研ゼミ」
http://mainichi.jp/photo/news/20071123mog00m100031000c.html

投稿者 jun : 2007年11月25日 00:20


話題のルー語変換

 Y先生曰く、

「流行の「ルー語変換」で、中原さんのブログを変換してみました。なかなか楽しいです(笑)」

僕のブログのルー語変換
http://lou5.jp/?url=http%3A%2F%2Fwww.nakahara-lab.net%2Fblog%2F

トゥデイ、ある先生とトゥギャザー、ある省庁のヤングパースン職員をオブジェクトにトレーニングをする!?

 確かに楽しかった!。お試しあれ。

ルー語変換
http://lou5.jp/

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追伸.
 前々から一度は食べてみたいと思っていた「モツ鍋」をお取り寄せした。昨日食べてみました。

motsunabe.jpg

 いいね。最近クソ寒いので、カラダが暖まります。ちなみに、モツは牛サーロインと比べてカロリーは半分だそうです。


投稿者 jun : 2007年11月24日 07:53


あと38日

 今年も、残すところ40日を切ったねぇ。

 昨日、ある人にそう言われて、ハッとした。

 今年一年、僕は、何をしてきたのだろうか。
 いろいろやってきたようには思うけど、にわかには思い出せない。
 
 それでも、今も時は過ぎていく。
 新年まで残り38日。

投稿者 jun : 2007年11月23日 11:35


文献をレビューするとは

「文献をレビューする」とは、「自分の研究に関連しそうな文献を集めてきて、それぞれの研究知見を数行に"要約"し、それらを"並列"にならべること」では「ない」。

 こうした活動は誰かに「よく勉強しているねー」と褒められるかもしれないが、「文献をレビューしたこと」にはならない。

「文献をレビューする」とは、

1) 自分の研究に関連しそうな文献を集めてくる
2) 各文献の研究知見を比較したり、要約したり、整理する
3) 2)のプロセスを通して、過去の先行研究に「共通する問題点」を指摘する
4) 3)のうえで、これまでは「触れていないオリジナルな「アイデア」や「分類の枠組み」を見いだすこと

 である。

 すなわち、「文献をレビューする」とは、難解な論文を読んでその内容を理解するだけでは決して完成しない。難解な論文を複数読んで、それらの研究知見の「関係」や「共通する問題点」を「考えること」なしに、レビューしたことにはならない。

 比喩的に言うならば、「文献をレビューする」とは「過去の知的遺産の消費」ではない。それは「過去の知的遺産を消費した上で行われる生産活動」である。

 しかし、既述したように、これがよく誤解される。

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 Aという研究がありました
 Bという研究がありました
 Cという研究がありました
 ---

 といった具合に、Aの知見、Bの知見、Cの知見を並列してしまいがちである。クドイようだが、これは「知見を並べただけ」で、何ら知的な「生産」を行っているわけではない。

「文献をレビューすること」は研究者にとって、最も基本的な活動である。しかし、その奥はなかなか深い。

投稿者 jun : 2007年11月23日 07:00


ファーストフードでアルバイト!?

 あるファーストフードで働くアルバイトの人材育成に関する共同研究を来年からはじめるべく、共同研究者のMさんと一緒に計画を練っている。今日の会議で、おおよそのメドがついた。

 世間一般では、このファーストフードの人材育成は、すべて「マニュアル」に従ってなされており、そこでの仕事は「マニュアルに書いてあることを単に実行すること」だと考えられている。

 共同研究では、アルバイトさんたちが働く「現場」をフィールドワークしたり、関係者にインタビューや質問紙調査を行うことで、実は、そうした「常識」が、事実のある一面しか切り取ってないないことを明らかにしたいと個人的には思っている。

「現場での仕事の配列と異動」「チームワークによる仕事」等によって、いかに新人のアルバイトが、「できるアルバイト」になっていくか。そして、そこでの仕事がいかに即興的かつ協調的に成立しているか。また、そのプロセスにおいて、彼らが何を学んでいるのか、について明らかにできればよいかな。もちろん、今後のことは、Mさんと打ち合わせながら詳細をつめる必要がある。

 近いうちに先方と会い、具体的に研究計画を説明する予定である。また、出版社の交渉も、そろそろスタートしなくてはならないな。

 もちろん、研究の過程では、僕も「現場」に出向き、働いてみたいと思っている。やはり自分の目で見て体験しないことには、実態はわからないだろうから。

 それにしても、これって「兼業」になるんだろうか?よくわかんないけれども。

投稿者 jun : 2007年11月22日 16:38


なりきりEnglish!@ITメディア

 なりきりEnglish!の先日のワークショップの様子が、ITメディアに掲載されました。

なりきりEnglish!@ITメディア
http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0711/21/news009.html

投稿者 jun : 2007年11月21日 14:22


ママっ子とキャリア遭難

 先週一週間、TAKUZOは「高熱」が続いた。それがきっかけかどうかはわからないけれど、このところ、彼は、すっかり「ママッ子」になってしまっている。

 カミサンが抱いていなければ基本的に機嫌が悪い。僕などが抱こうものなら、すぐに逃げていこうとするし、カラダをそらして抗議する。

 あぶー

 確かに先週一週間は、僕も忙しかったし、体調を崩していたので、相手はほとんどできなかった。カミサンがほとんど彼の面倒を見ていたし、夜泣きもつきあった。そのような中、TAKUZOがはやくも、オヤジの「ふがいなさ」「頼りなさ」を悟ったことは、想像に難くない。

 ほんの一週間前までは、僕が手を差し出せば、笑顔で寄ってきたのに、寂しいものである。子どもは思い通りにはならない。

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 本日、ある先生と一緒に、ある省庁の若手職員を対象に研修をする。僕の役目は、サポーター役。敢えてボケたり、ツッコミを入れたり、机間巡視をしながらフォローするのが役割か。

 今日の資料の中に、下記のような3つの問いがあった。自分のキャリアを見直すための3つの「問い」だそうだ。

 1.自分がなにが得意か
 2.自分はいったいなにをやりたいのか
 3.どのようなことをやっている自分なら、
   意味を感じ、社会に役立っていると実感
   できるのか

 うーん。

 真剣に考えると、なかなか悩ましい問いである。

 うーん。

 中原、ただいまキャリア遭難中。
 研究者にも、キャリアを振り返る機会が必要なのではないだろうか。

投稿者 jun : 2007年11月21日 10:57


そこにボタンがある限り

 そこに「山」がある限り、決して登ることを止めないのが「登山家」ならば、そこに「ボタン」がある限り、「押すこと」を断念しないのが、「赤ちゃん」である。

 愚息TAKUZO、ボタンを見れば、狂ったように押しまくる。バスの「降車ボタン」だろうと、何だろうと。

botan.jpg

 もうすでに誰かが押して赤いランプが点灯していても、たとえ、自分はその停留場で降りないのだとしても。押せるものは押す。押してあっても押す。押せなくても押す。

 テレビなどの家電スイッチも、類にもれず「押しまくる」。ポチ、ピッ。ポチ、ピッ。ポチ、ピッ。そのたびにDVDはでてくるわ、テレビの電源は切れるわ、クーラーは動き出すわで、大騒ぎである。

「そんなにボタン連打してたら、壊れちゃうんじゃないの?」

 とツッコミたくなるほど連打。
 オマエは高橋名人か?

 新しい家電の機能として、僕は、「スイッチ無効機能」を提唱したい。あらゆるスイッチ操作を無効にしてしまう機能。親にしかわからないような「隠し操作」で「すべてのスイッチが無効になる」。これがあれば、いくら子どもがボタン操作をしても、「屁のカッパ」だ。

 この機能が実装された家電、我が家なら買う。「風呂沸かしボタン」を毎日10回以上連打されている身としては、切実だ。ニーズはあると思うんだけどなぁ。

投稿者 jun : 2007年11月20日 17:47


ミシュラン東京版が出版!

 いつの日か、機会あらば、虎視眈々と。

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○三つ星レストラン(8軒)
 ・神田(日本料理)
 ・カンテサンス(現代風フランス料理)
 ・小十(日本料理)
 ・ジョエル・ロブション(現代風フランス料理)
 ・すきや橋 次郎(日本料理 寿司)
 ・鮨 水谷(日本料理 寿司)
 ・濱田家(日本料理)
 ・ロオジエ(フランス料理)

○二つ星に選ばれたレストラン(25軒)
 ・石かわ(日本料理)
 ・一文字(日本料理)
 ・臼杵ふぐ山田屋(日本料理 ふぐ)
 ・えさき(日本料理)
 ・エメ・ヴィベール(フランス料理)
 ・菊の井(日本料理)
 ・キュイジーヌ[S] ミッシェル トロワグロ(現代風フランス料理)
 ・湖月(日本料理)
 ・さわ田(日本料理 寿司)
 ・サンパウ(現代風スペイン料理)
 ・鮨 かねさか(日本料理 寿司)
 ・醍醐(日本料理)
 ・拓(日本料理 寿司)
 ・つきじ 植むら(日本料理)
 ・つきじ やまもと(日本料理 ふぐ)
 ・トゥエンティ ワン(フランス料理)
 ・ピエール・ガニェール(現代風フランス料理)
 ・菱沼(日本料理)
 ・福田家(日本料理)
 ・ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション(現代風フランス料理)
 ・リストランテ ASO(現代風イタリア料理)
 ・龍吟(現代風日本料理)
 ・ル・マンジュ・トゥー(現代風フランス料理)
 ・●家菜(●は厂がんだれに萬)(中華料理)
 ・和幸(日本料理)

投稿者 jun : 2007年11月19日 20:11


研究を手短に説明する方法

 自分のやっている研究を、手短に説明してください。

 研究をやっていると、そのようなことを求められることが多々あります。ただでさえ研究のロジックは複雑なことが多く、それを数分でとか、1分でとか、ましてやワンセンテンスで、と言われると困ってしまう。

Nature論文を5分でプレゼンテーションする
http://harvardmedblog.blog90.fc2.com/blog-entry-147.html

 なるほどなぁ、と思いました。1)Relate、2)Story、3)Contextとまとめると、短くすむかもしれない。教育工学系の場合だと、下記のようにも表現できるかも。

1)Issue: 「教育」において解決すべき大問題。

2)Story:どうやって解決するか。ここはシステムの仕様を語るよりも、システムの「利用者」が、いつ、どこで、何をするのかを、小さな物語として語った方がよい。具体的に利用イメージがわかるように。

3)Context:「それで、いったいあなたの研究は、どのようなメリットをもたらすのか?」

 これから冬を迎え、卒論、修論、博論の発表会がいろいろなところで開催されますね。発表を控えている方は、チャレンジしてみるとよいかもしれません。

投稿者 jun : 2007年11月19日 07:59


大学生向けのシリアスゲーム!?

 IBMが、ビジネスとコンピューター技能を同時に教えることのできるゲームを開発し、無償で配布するそうです。

IBMが大学生に教育用ビデオゲームを配布へ
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/103075/

 大学生向けのシリアスゲームと考えればよいでしょうか。それにしても、ビデオゲームの「ビデオ」って何のことなんだろう?

投稿者 jun : 2007年11月18日 20:45


なりきりEnglish!公開ワークショップが終わった!

 昨日は、「なりきりEnglish!」の公開ワークショップでした。新日本製鐵社員の方々46名にご参加いただきました。学習は、スマートフォン「W-ZERO3」で進めることができます。「タイのお得意先にでかけ、商談をまとめる」というのが課題です。

title.jpg

system.jpg

 3週間後の12月8日、クロージングワークショップが開催されます。この日には、3週間学んだ成果をもとに、ネィティヴ相手にプレゼンテーションをするという課題が設けられています。

IMG_0100.jpg

IMG_0123.jpg

 この日のため、なりきりEnglish!プロジェクトの皆さんは、不眠不休の体制で準備を進めてきました。本当にお疲れ様でした。誰が欠けてもこのプロジェクトは、ここまで順調に進めることができませんでした。

 最後に、共同研究パートナーである、新日鐵株式会社Yさん、株式会社ウィルコムのNさん、そして本実証実験に参加いただいた新日鐵株式会社の社員の方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。

 はやくも12月8日が楽しみです。

投稿者 jun : 2007年11月18日 08:34


教える学べる?

 リクルートが「教えたい人」と「学びたい人」とのマッチングサイトを開設した模様。

おしえる学べる
http://www.e-uketsuke.jp/oshimana/index.html

投稿者 jun : 2007年11月17日 23:09


メールの内容がしょーもないイケメン!?

 先日、電車に乗っていたら、隣に立っていた女子高生たち(女子中学生かも!?・・・お化粧もしている?し、見た目ではわからん)数名が、こんな話をしはじめた。

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 究極の選択。
 メールの内容がしょーもないイケメンがいいか、メールはオモロイブサイクがいいか。どっちがいい?

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 彼女たちのしゃべり言葉は「書き言葉」で再現するのが難しく、本当はこんな風に言っていなかった気もするけれど、大枠は間違っていない、と思う。要するに、彼女たちが喋っていたのは、「あっちが立てば、こっちが立たない」式の「究極の選択」についてである。

 この「究極の問い」に対する彼女たちの意見はまっぷたつに割れて、半分の子たちは前者を選び、半分は後者を選んでいた。どちらかといえば、前者が多かったかな。

 でも、話の内容を聞いていてすごく思ったのは、「メールの内容」というのは、彼女たちにとってプライオリティが非常に高いのだ、ということ。「(つきあいが)長続きするかしないかは、メールにかかっている」と豪語する女の子もいた。

 話の中では、全員が同意したこともあった。

「メールのレスの遅い男はイケてない」

 これなんかは、別に「社会人」でも言えることだと思うので、あながち間違っていないかな、と思った。

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 今から1000年の昔、清少納言や紫式部が平安文学をしたためていた頃にも、女性たちの関心はそこにあった、ように思う。風流で粋な「文」をしたためることのできる男と、いなかびた「文」をしたためる男。

 「文」は「手紙」に変わり、「手紙」はやがて「メール」に変わったけれど、人々の関心はあまり変わっていないのかもしれない、と思った。

 もちろん、オモロイメールの書き方なんて、学校では教えてくれない。というか、本当に重要なことは、自分で失敗を繰り返しながら学ぶしかない。

 これから思春期を迎える男の子たちは、いろいろやることがあって大変だねー。

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追伸.
 それにしても、オモシロイメールというのは、どういうメールなんだろう。絵文字満載? タイミングがいいってことかな? ウィットとアイロニーに満ちている? そんな高校生はイヤだな。
 いずれにしても、「今帰る」か「了解」しか打つことがない僕は、間違いなくオモロナイメールの書き手であるようだ。

投稿者 jun : 2007年11月17日 07:44


村上春樹氏「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んだ!

 村上春樹の最新刊「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んだ。

 筆者自身がいうように、本書はメモワール(個人史)である。「走ること」を基調テーマとして、村上氏は「自分の人生」を語り、「老い」を見つめる。

 村上氏にとって、「書くこと」を支えているのは「走ること」である。「走ること」を通して、「精神と身体の健全さ」を維持しようとしている。

 ---

 誰かに故のない(と少なくとも僕には思える)非難を受けたとき、あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。

 いつもより長い距離を走ることによって、そのぶん、自分を肉体的に消耗させる。そして自分が能力に限りのある弱い人間だと言うことをあらためて認識する。(中略)

 黙って飲み込めるものは、そっくりそのまま自分の中にのみこみ、それを(できるだけ姿かたちを大きく変えて)小説という容物の中に、物語の一部として放出するようにつとめてきた。
(p36より引用)

 ---

 氏も文中で述べていることだが、「創造すること」「創作すること」は、自分をヴァルネラブルな立場に追いやる行為であり、ある種、不健康で、破壊的な行動である。

 かつての文壇には「小説家=不健康で破壊的な人間」というイメージが確かに存在していたが、それは創造という活動がもつ破壊的側面に由来するものと思われる。

 「創造」を行えば、いわれもない場所から、いわれのない角度で、いわれのない非難を受けることもある。「非難する方」は「数百万人いる読者の一人」であり、彼らの立ち位置は常に「安全なホカホカとした場所」にある。

 彼らは自分一人が何か異議を申し立てたとしても、「アイツは傷つかない」と思いがちである。しかし、それはウソだ。このことは、一度でもヴァルネラブルな立場に身をおいた人間なら、誰でもわかることである。

 氏は「走ること」で何とか精神のバランスをとってきたのだろう。「走ること」で肉体を追い込みつつ、「黙って飲み込めるもの」は、何とか自分の胸に抱きしめて。

 しかし、彼の「走ること」にも否応なく「老い」の影がしのびよる。老いは、平等に、静かに、かつ、じっくりと我々のもとを訪れる。

 ---

 四十代も半ばを迎えてから、そういう自己査定システムが少しずつ変化を見せ始めてきた。

 簡単にいえば、レースのタイムが伸びなくなってきたのだ。年齢を考えれば、これはある程度仕方のないことだ。人は誰しも人生のある時点で身体能力のピークを迎える。
(p24より引用)

 ▼

 僕は今、五十代の後半にいる。二十一世紀などというものが実際にやってきて、自分が冗談抜きに五十代を迎える事なんて、若いときにはまず考えられなかった。(中略)

 そして現在、僕はその「想像もつかなかった」世界の中に身をおいて生きている。
(p33より引用)

 ---

 年をとるということは、若いときには「想像もつかなかった世界」に、まるごと自分が「投げ込まれること」を意味する。「身体能力のピーク」を過ぎ、手をこまねいて見ていれば、「創作のクオリティ」にも陰りが見え始める。それは、ある意味で、致し方ないことだ。

 ゆえに、若いときには「意識すらしなくてもできたこと」に心を配らなければならない。どこぞの雑誌のキャッチコピーである「必要なのは若さではなく技術」ではないけれど、老いを迎えたあとには、生きるための「工夫」や「智恵」がどうしても、必要になってくる。

 ---

ただ、僕は思うのだが、本当に若い時期を別にすれば、人生にはどうしても優先順位というのものが必要になってくる。時間とエネルギーをどのように振り分けていくかという順番作りだ。

 ある年齢までに、そのようなシステムを自分の中にきっちりこしらえておかないと、人生は焦点を欠いた、メリハリのないものになってしまう。
(p49引用)

 ▼

 若いときなら、たしかに「適当にやって」いても、なんとかフルマラソンを乗り切れたかもしれない。自分を追い込むような練習をやらなくても、これまで貯めてきた体力の貯金だけで、そこそこのタイムは出せたかもしれない。

 しかし、残念ながら僕はもう若くはない。支払うべき対価を支払わなければ、それなりのものしか手に出来ない年齢にさしかかっているのだ。
(p79引用)

 ---

 若いときには「適当にやってやれたこと」も、年をとるとそうはいかない。しかるべき時に「支払うべき対価」を支払い、かつ、優先順位を決めて、時間とエネルギーを配分することが求められる。それは、長距離ランナーがペース配分をするのに、ちょうどよく似ている。

 誰かがそっと囁く。

「なぜ、そこまでして走るのか?
 あなたは十分に走ったじゃないか。
 もう歩いて楽になればいいのではないか?」

 しかし、村上氏はそれでも走る。「昔と同じような走り方」はできないかもしれないけれど、「少なくとも最後まで歩かずに」

 ---

 タイムは問題ではない。今となっては、どれだけ努力したところで、おそらく昔と同じような走り方はできないだろう。その事実を進んで受け入れようと思う。あまり愉快なこととは言い難いが、それが年を取ると言うことなんだ。

(p164)

 ▼

 もし僕の墓碑銘なんてものがあるとして、その文句を自分で選ぶことができるのなら、このように刻んでもらいたいと思う。

 村上春樹
 作家(そしてランナー)
 1949-20**
 少なくとも最後まで歩かなかった

(p233)

 ---

 僕はハルキストでもなければ、熱心な小説の読者でもない。しかし、本書は「走ること」への洞察を通して「生きること」について深い、だが、押しつけがましくない示唆を与えてくれた。

「走ること」を強制するのでもなく、かといって、その「虚無」を訴えるわけでもない。いつもながらに、筆致の絶妙なバランスには舌をまく。

「少なくとも最後まで歩かなかった」

 あなたなら、墓碑銘に何と刻むだろうか?
 何? まだスタートラインに立ったばかりだって?

 ---

追伸.
 TAKUZO、いまだ熱下がらず。40.7度。カミサンは献身的な看病を続けている。僕もダウン。土曜日までは、何とか踏ん張らなければ。気合いだ。

 昨日は、朝、病院に早く出かけて並んだ。診察開始前だというのに、すでに5から6人の親子が並んでいた。

 前にも言ったように、幼い頃、僕は本当に病弱だった。父が、家をはやく出て、病院の受付に診察券をだす。それから母や祖母が、僕を抱いて病院にいった。もちろん、僕に記憶はないけれど。

 それから30年弱・・・そのとき親がどんな気持ちだったか、ようやく僕にはわかった。

 そして歴史は繰り返す。

投稿者 jun : 2007年11月16日 07:00


巨大な象を前にして

 どこで読んだのかはすっかり忘れてしまったけれど、かつて、何かの本で「はじめて象に遭遇した盲目な学者たち」のお話を目にしたことがある。

 細かいニュアンスや表現は原文とは異っているかもしれないが、(たぶん)大枠は間違っていないと思う。以下、僕の「創作・加筆」がかなり含まれているとは思うけど。

 ---

 あるところに「巨大な象」と、それとはじめて遭遇した「盲目の学者たち」がいた。

 学者たちは、「象」を一度も見たことがなく、かつ、それが「どのような姿をしているか」について確かめるための「手段」を持たなかった。結局、誰彼ともなく、自分の手で「象」に触れてみることを試み始めた。

 ある者は、象のしっぽを握り、それは「先に毛のついたブラシ」のようなものだとうそぶいた。
 あるものは、象の大きな足を調べ、それを「そそり立つ巨大な柱」に喩えた。
 学者のひとりは、象の「胴体」を触り、それを「絶壁」に似ているとした。
 ある学者は、象の前足と後足のあいだに手を置いたため、象とは「虚無である」と結論した。鼻に触った学者は、象を「ホース」のようなものだと考えた。

 どの学者も、「象」がどのようなものなのかについて、自分の体験したものにこだわった。

 彼らがこだわったのは、それぞれの「発見」が「正確かどうか」であった。学者たちのイメージは、それぞれ「正確」なものであり、「象」のある一面を物語っていた。

 学者たちは、決して譲り得なかった。「象」がなんたるかについて、それぞれの智恵を持ち寄り考える場は、最後までもちえなかった。
 手に手をとりあい、両手をともに広げ、象を把握しようとすることもなかった。
 中には、持説を「運動」に転換するものもいた。「運動」によって、彼は「熱心な支持者」と「弟子」を得た。「運動」は「内部」において盛り上がった。しかし、奇妙なことに「運動」の「外部」においては、「波風」がたつことはなかった。

 熱心な支持者や弟子たちの中には希に、師の持説に、一瞬の疑問を感じるものもいた。彼らは言った。

「他の場所から象に触れてみたいのですが」

 静かに、だがはっきりと学者は言った。

「裏切りはいけませんよ、場所を変えてはいけません」

 もはや、彼らにとっての問題とは、「象を見ること」ではなかった。

 かくして、盲目な学者たちとその熱心な支持者、弟子たちは、「象」がどのようなものかについて、最後までわかりえなかった。

 ---
 
 この寓話は、我々に何を語っているのか?

「学び」という、あまりに巨大で、かつ、複雑な現象を前に立ちすくむ我々は、このお話から、何を感じ得るか。

投稿者 jun : 2007年11月15日 07:00


ソフィー=ミルマンを聴く

 ソフィー=ミルマンは、ロシア生まれのジャズ・ボーカリストである。

 ホリー=コール、ダイアナ=クラール、ノラ=ジョーンズ的な力強い歌声。彼女は、最近、僕がすっかり魅了されている歌い手である。

   

 彼女のデビューアルバムである「ソフィー・ミルマン」には、彼女のfavorite songsが数多く収録されている。ジャズ、ロシア民謡など、そのジャンルは多岐にわたっている。

 下記にてReal playerで視聴もできるので、ぜひ聞いてみていただきたい。タイトルは知らなくても、一度は耳にしたことある曲が多いと思う。

おいしい水(Real player)
http://smil.jvcmusic.co.jp/naviram?cd=SE9-24128&sid=ATVE

MY BABY JUST CARES FOR ME(Real player)
http://smil.jvcmusic.co.jp/naviram?cd=SE9-24131&sid=ATVE

バラ色の人生(Real player)
http://smil.jvcmusic.co.jp/naviram?cd=SE9-24136&sid=ATVE

黒い瞳:ロシア民謡(Real player)
http://smil.jvcmusic.co.jp/naviram?cd=SE9-24138&sid=ATVE

 ソフィーの音楽は、正統的なジャズではないかもしれない。ロシアのウラル山脈に生まれ、イスラエルで育ち、カナダに移り住む。ロシア語とヘブライ語と英語のトリリンガルな彼女。僕は、彼女の「正統的ではない」歌声が好きだ。

 どうも、僕には「正統的なもの」よりも、むしろ「異端なもの」を好む傾向がある。そういう意味では、ダイアナ=クラールよりも、僕はソフィー=ミルマンに心惹かれる。

 生まれながらの「悪い癖」かもしれない。しかし、もうこの年になっては、人はそう簡単に変わらない。「悪い癖」は、それとして胸に抱えて生きる他はない。

 今の「修羅場」を超えたら、ジャズでもゆっくり聞きたい。そんな日がいつになったら来るのかはわからないけど、心待ちにしている。

 明日、というか、今日、また日は昇る。

投稿者 jun : 2007年11月14日 00:34


公開授業の台本づくり

 近日中に、マイクロソフト寄附研究部門で開発した「読解力育成ソフトウェア:e-journal plus」の公開デモ授業が、東京大学で行われる。望月さんがここ数週間作業を進めており、詳細なプレスリリースは、もう2~3日で出る予定だ。

 このソフトウェアは、望月さんが中心になって、佐藤ともみさん、大浦さん、西森さん、スパイスワークスの中村さん、シリコンスタジオのヨハンソンさん、松本さん、マイクロソフトの渡辺さんらが、開発を進めてきたものだ。皆様、お疲れ様でした!

東京大学 大学総合教育研究センター マイクロソフト先進教育環境寄附研究部門
http://www.utmeet.jp/

スパイスワークス
http://www.spiceworks.co.jp/

シリコンスタジオ
http://www.siliconstudio.co.jp/

 公開デモ授業は25分、中原が行う。今学期駒場で開講している「映像で見る学力論」を下敷きに、その縮約版を公開する予定である。

 学力論は、様々な人たちが、様々な視点で、言いたいことを言っている言論K1的空間である。このK1的空間の中に広がるテクストを、いかに批判的に読み解くことができるか、それが課題だ。

 昨日の夜は、なりきりEnglish!をさわる一方で、e-journal plusをセコセコといじくって、授業案について考えていた。

 時間はかなり限られている。この限られた時間の中で、学力論のエッセンスを伝えなければならない。それも、学生たちには作業をさせながら、かつ、外部の人にも、わかりやすいかたちで授業を構成する必要がある。

 今から、その台本づくりを急がなければならない。
 嗚呼、どうしよう、どうしよう。

 ---

追伸.
 TAKUZOはまだ発熱中。今日の朝、イチゴ味のシロップ薬を飲ませたけど、激しく抵抗、僕の服の上にバナナゲロ。
 ちなみに、幼い頃、僕もものすごくカラダが弱く、年がら年中風邪をひいていた。イチゴ味のシロップ薬は、僕も嫌いだった。血は争えない。
 はやく良くなれ。

投稿者 jun : 2007年11月13日 13:00


なりきりEnglish!プレスリリース

 本日、「なりきりEnglish!」の公開ワークショップのプレスリリースがでました。今日は、最初で最後の全体打ち合わせがありました。いよいよ今週末から今年度の実証実験がはじまります。

「なりきりEnglish!」プレスリリース
http://www.nakahara-lab.net/press_release/20071109narikiri2.pdf

 加えて・・・マイクロソフト寄附研究部門の実証実験も、近日中(なりきり実証実験後すぐに)、実施することに決まりました。こちらも至急システム開発のツメ、さらには授業開発をしなくてはなりません。近々プレスリリースがだされる予定です。

 TAKUZO(愚息のことです)が発熱しました。真っ赤な顔をして、何かを訴えています。苦しいなぁ、つらいなぁ。さっき、救急病院に行ってきたところ。とりあえずは今のところ寝ておりますが。カミサンもプチ発熱です。

「修羅場」です。

投稿者 jun : 2007年11月12日 22:55


先生になりたい中学生のためのポータルサイト

 下記の7つの大学が主催となって、「先生になりたい中学生のためのポータルサイト」を開設したとのこと。

茨城大学教育学部
群馬大学教育学部
埼玉大学教育学部
千葉大学教育学部
東京学芸大学
山梨大学教育人間科学部
横浜国立大学教育人間科学部

教育学部へ行こう!
http://www.go-edu.jp/

教育学部サイト:国立7大学が連携、PR 人気低迷に危機感 中学2年向けに
http://mainichi.jp/area/chiba/news/20071026ddlk12100081000c.html

 ざっと見たところ、コンテンツは下記。

1.教育学部の紹介
2.教員免許の仕組み
3.教員をめざす先輩のコラム
4.現職教員の声
5.大学教員からのエール

 ---

追伸.
 ね、眠い。
 もう少しで徹夜を覚悟したけど、ちょっと眠れた。

投稿者 jun : 2007年11月12日 02:37


大学間で学部共同設置が可能になる!?

 ついに複数の大学が共同で、「学部」をもつことが可能になるようです。学校教育法が改正される予定だそうですね。

大学間で学部共同設置を可能に、文科省が法改正へ
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20071111i201.htm

 記事には、入学試験、学位授与を共同で行うことができるとしています。また、国公立大と私立大の組み合わせも可能になるかもしれません。

 個人的にはこの法改正は、大学業界に非常に大きな影響をもたらすような気がしています。大きな大学の影響力をもつ学部とのアライアンスによって、ブランド力を構築しようとする動きがでてくるのではないでしょうか。

 同時に「学部に所属する人材の共有」が可能になりますので、さらに大学教員、大学職員の労働市場は狭まることになるような気がします。

 離れた地域の大学が「学部」を共有するということになると、遠隔教育なども、より多く用いられるようになるのでないかな。

 将来的には、学部を共有して運営することを主にしている大学(ネットワーク型の大学)と、そうしたことには手をださない大学の二極化が進むことになるかもしれませんね。

 10年後の大学の「かたち」は、想像すらできません。

投稿者 jun : 2007年11月11日 09:45


Learning bar(ラーニングバー)雑感:西尾久美子先生「京都花街から学ぶ人材育成」

 今年最後のLearning bar@Todai(ラーニングバー)が、本日、東京大学本郷キャンパスにて開催された。

learningbar1.jpg

 今日のテーマは、神戸大学大学院 経営学研究科 COE研究員の西尾久美子先生による

「京都花街から学ぶ人材育成:
 芸舞妓さんはどうやって一人前になるのか」

learningbar2.jpg

 企業人材育成担当者、官庁の方、大学研究者、大学院生などから約100名程度の方々の参加者を得ました(教室のキャパシティの都合上、多くの方々のご参加をお断りさせていただきました。お詫びいたします)。皆様、仕事を終えた6時から9時まで、みっちりと濃密な3時間、本当にお疲れ様でした。
 
西尾久美子先生のご講演スライド
http://www.nakahara-lab.net/blog/20071109learningbar_nishio.pdf

西尾久美子先生のご著書「京都花街の経営学」

 ---

 下記は、中原の雑感。

 芸舞妓さんは、学校や集中的な観察学習の結果、京言葉や踊りなどの「基礎的スキル」を短期のうちに獲得する。

 しかし、「基礎的スキル」を獲得しただけでは、もちろん、お座敷はつとまらない。「お座敷での空気を読んだ振る舞い=状況に応じた顧客対応力」の獲得は、やはり、「現場での学習」によるものである。いわゆる、OJTといったところか。
 
 しかし、このOJTは場当たり的、属人的、局所的、一時的に行われているわけではない。そこには花街独特の「巧妙な仕組み」が存在する。

 「現場での学習」を促進する仕組みは2つである。
 ひとつは、芸舞妓さんの生活の中では、彼女の「能力を顕在化(見える化)する仕組むや人工物」が存在していることだ。これを「シグナル」とよぶ。

 たとえば、新人は、「髪の結い方」などがベテランとは異なる。また、能力を顕在化する「イベント」や「行事」も多い。これらの機会によって、「自分は新人であり、能力が足りていないこと、フィードバックを必要としている」というシグナルを常に周囲に向かって発っている。

 このシグナルは、周囲の濃密な人間関係によって受け止められる。お茶屋さんのお母さんや、男師、さらには顧客までを含めた周囲の人々によって、彼女のパフォーマンスへの「即時フィードバック」が実現される。

 ここで注意しなければならないのは、即時フィードバックは、舞妓さんだけを対象に行われるのではない。評価をする顧客自身も、また他人評価されるといった具合に、舞妓さんの近くにいる人々は、評価を相互に行うネットワーク(mutual evaluation network)を発達させている。

 350年続く京都花街の人材育成が成功を収めている理由は、上記の仕組みが、組織構造的、制度的、人々のつながりの中に組み込まれていることにあると思った。それは、「場当たり的」「属人的」「局所的」「一時的」といった、一般的な「OJTの悪しき姿」とは対局にある姿のように見える。

 そんなことを考えながら、僕は西尾先生の講演を聴いていた。
 ご出席いただいた皆様は、どんなことをお考えでしたか? 今日のLearning barでも、恒例のピアディスカッションが開催されましたが、どのような意見がでていましたでしょうか?

learningbar3.jpg

 ---

 最後になりますが、お忙しい中、遠方よりお越し頂いた西尾久美子先生(着物を着てくださった!)、そして、Learning barの開催をいつも支援してくださっている大学院生諸氏(教育坂本君、ガッカン坂本君、山田君、牧村さん)、同僚の荒木さんに心より感謝いたします。本当にありがとうございました。

 次回のLearning barは、1月11日午後6時から、東京大学で開催されます。テーマは、日本ベーリンガーインゲルハイムの早川勝夫さんによる

「できるMRを育てる:
 OJTとOFF-JTを連動させる仕組み」

 です。

 日本ベーリンガーインゲルハイムは、循環器や呼吸器用薬などを主力商品としたドイツの製薬メーカー。同社ではMRの営業生産性を向上させるため、ワークプレイスラーニングの視点を取り入れ、「OFF-JTとOJTを連動させた人材育成」を2003年から試みています。

 その結果、2005年-2006年における売上、営業生産性の伸び率は2年連続で業界第一位を記録するまでになりました。

 本件、近いうちに募集が開始されますので、ぜひ、お早めにお申し込みください。募集のお知らせはメーリングリストを先行させていただきます。これを機会に、どうぞお申し込みください。

NAKAHARA-LAB.NETメルマガ
http://www.nakahara-lab.net/mailmagazine.htm

 それでは皆さん、よい週末を
 Enjoy!

投稿者 jun : 2007年11月10日 01:03


マルチレベル分析

 Workplace learning研究会。

 今年実施したアンケートの分析に少し時間をかけて取り組まなければならないことがわかった。

 北村先生によると、今回の分析には、「マルチレベル分析」というのを利用しなければならない模様。もちろんだが、使ったことはない。次回の研究会で下記の本を読み「勉強」をすることになった。

 読まなければならない本、論文が「山」のように増えていく。千里の道も一歩よりはじまる。ひとつひとつこなしていくしかない。

投稿者 jun : 2007年11月 9日 15:41


なぜ偵察隊は帰ってこられたのか?

 組織化の概念で有名なカール=ワイクが、著書の中で、こんな話を紹介しているのだという。先日、ある先生に教えてもらった。

 ある軍事演習での出来事。ハンガリー人の少尉がアルプス山脈に偵察隊を送り出した。しかし、折しもひどい吹雪に見舞われる。偵察隊は、2日間たっても戻ってこない。長い長い時間が流れる。

 3日目になり、もうダメかと誰もが考えたとき、偵察隊は戻ってきた。少尉は偵察隊の隊員に話を聞く。すると一人がこういった。

「私たちも、もう終わりだと思ったけれど、隊員の一人がポケットに地図を見つけたのです。わたしたちは、その地図のおかげで冷静になり、ここまでたどり着くことができました」

 ハンガリー人の少尉は、地図を見た。すると、地図は「アルプス山脈」のものではなく、「ピレネー山脈」のものだった。

 偵察隊はなぜ帰ってくることができたのか?

 ---

 途方もない混迷な境遇にあっても、「見通しがたつこと」、そのこと自体で、人は冷静になり、勇気づけられることがある。人は、そんな些細なきっかけで、自分を奮い立たせ、独力で道を切り開くことを決意する。独力で前に進み始めた人は、強い。

 もちろん「見通し」とは、あくまで「見通し」にすぎない。もしかすると、それは、この「地図」と同じように正しい位置を伝えていないかもしれない。しかし、「見通しに従うこと」よりも、「見通しが立つこと」が意味を持つことも少なくない。

 ---

 自分の取り組む教育研究は、未来の教育に「見通し」を描く学問でありたい。

投稿者 jun : 2007年11月 9日 07:51


寝室

 TAKU、寝グ●、しかもリーゲー系。
 きょえー。
 寝室にオイニー。
 嗚呼、、、眠りたいのに眠れない(泣)。

投稿者 jun : 2007年11月 9日 00:38


ヒドゥンカリキュラムとOJT

 教育学の専門用語に「ヒドゥン=カリキュラム(hidden curriculum)」という言葉があります。教師が何かを教えているときに、その「背後」で、「学習者に無意図的かつ暗黙のうちに学ばれてしまう内容」のことをさす言葉です。僕の記憶が確かならば、シカゴ大学の研究者、フィリップ=ジャクソンによって提唱された概念であるハズです(そのくらい調べろよ・・・でも、時間ないの、眠たいの、許して)。

 たとえば、ある大学での話。ある教授は、いつもゼミナールの冒頭で、こう学部生たちに言います。

「さぁ、皆さん、大いに今日も議論してください」

 しかし、その先生がゼミナールの途中で、自分の話をやめることは一度もありません。今日も、ジェンダーについて熱い持論を口角泡を飛ばして語っています。多くの学生は、それを黙って聞きながら、それについて熱心にメモをとっている。

 ここで、学習者が学んでいる内容は「A教授の語るジェンダー論」ですね。しかし、学生は同時に「もうひとつのこと」を学んでいる。

「大学での学びというのは、教授の話を一方公的に聞かせていただくことである」

 という「隠されたメッセージ=ヒドゥンカリキュラム」を学んでいる、ということです。

「教える場面」では、このような事が頻繁に起こる。学習者は、教授者が発話した表向きのメッセージ以上のことを、常に、無意識的に「学習」しているのです。それは教授者が意図しようと、しないとに関わらず、勝手に学ばれてしまうのです。

 ---

 先ほど述べたようにヒドゥンカリキュラムは、教育学の概念です。ですので、「企業教育」や「企業における人材育成」の場面では、あまりこの言葉が持ち出されることはありません。

 しかし、そういった現象が「企業では起こっていないか」、というと、決してそうではないように思います。企業人材育成の現場でも、立派にヒドゥンカリキュラムは存在するのではないでしょうか。

 たとえば、最近、よく「機能不全」に陥っていると評されている「OJT(on the job training)」について、ヒドゥンカリキュラムという「めがね」を使って考えてみましょう。

 ---

 最近、何名かの東大の研究者で実施した共同研究での調査結果を見ていたら「面白いなぁ」と思ったことがありました。SPSSをいじりながら、ふと指がとまった。

 この調査結果の詳細はまだ述べることはできませんが、その調査では「OJTがどの程度実践されているか」という質問項目があったのですね。

「OJTの実践度」に関する結果は、それほど悪いものではなかったように感じました。部下に権限委譲して仕事をまかせたり、折に触れて教育的指導を行なうどのことは、やっぱり、現場ではそこそこ実践されているのです。予想以上に、高いポイントでした。

 それなのに、多くの人々は「OJTが機能不全」に陥っているという認識をもつ。それまで「動いていたもの」が、「急に止まった」かのような認識です。これはいったいどういうことでしょうか。

 ここを読み解くひとつの鍵が、どうも、僕は「ヒドゥンカリキュラム」にあるような気がしているのです。

 つまり、「フォーマルカリキュラムとしてのOJT」は、忙しいながらも、そこそこ実践されている。しかし、OJTの「ヒドゥンカリキュラム」のパワーが、失われてしまったのではないか、という仮説を持ちました(あくまで仮説だよ)。

 つまり、こういうことです。

 かつてのOJTには、「アフターファイブに延々と続くコミュニケーション」「プライベートを共有する濃密な人間関係」というものが存在していた。その中で、先輩や上司」から「新人」に対して、密かに「伝えられていた裏のメッセージ」がたくさんあったのではないか。たとえば、仕事観、会社での世渡りの仕方、仕事の極意といったものが、実は、濃密で長期にわたる人間関係の中で、「ヒドゥンカリキュラム」として伝えられていたのではないでしょうか。

 しかし時代が変わり、上司・先輩と新入社員は、プライベートや濃密な人間関係を共有することはなくなった。ここで「フォーマルカリキュラムとしてのOJT」は残ったけれど、「ヒドゥンカリキュラムとしてのOJT」は衰退してしまったのではないか。

 もしそうだとするならば、最近「OJTの再構築」と称して、「フォーマルカリキュラムとしてのOJT」の技法をひたすら、上司や先輩にたたき込むようなカリキュラムが増えていますけど、これは、すこし筋が違うのではないか、とも思うのです。

 とまぁ、あらかじめ断っておいたように、上記は単なる仮説でしかないですが、「ヒドゥンカリキュラム」という概念を知っていると、こんな風に考えを展開することもできます。

 ヒドゥンカリキュラムという概念は、ふだん、我々が気づかなかったことを気づかせてくれますね。
 それにしても、人間が学ぶ過程というのは、かくも「複雑」なものなのですね。表でも学び、そして裏でも学ぶ。

 嗚呼、「学び」とはすさまじい。

 ---

追伸.
 昨日のやったことメモ。

▼午前、論文執筆+プレゼン準備

▼査読×2。

▼某社との共同研究。組織診断ツール開発プロジェクトのキックオフミーティング。大変勉強になった。楽しかった。集中的な議論で、方向性が見えた。2009年下期リリース予定。

▼編集者Iさん、Mさんとの打ち合わせ。来年出版したいと思っている3冊の本「育てる本」「物語本」「スマイル本」について打ち合わせ。

「育てる本」は、論文執筆を急ぎつつ、その分析結果を見ながら内容を12月にもう一度打ち合わせることに。
「物語本」は、オモシロイと思ってくださった模様。ご協力いただけること、大変嬉しい。まだここで詳細は書けないが、オモシロイです。中原は引き続き海外研究動向の調査。
「スマイル本」はいくつかの可能性を引き続き検討。Mさんと電話でステータス確認。来週、打ち合わせすることに。

▼論文指導

▼大学総合教育研究センター関連の仕事。予想以上に時間がかかった。

▼なりきりEnglish関連の打ち合わせ。11月17日に開催予定の「公開研修会」の件。ここ数日、やるだけのことはやった。

▼MS講座関連。11月30日に開催予定の「公開デモ授業」の件。望月先生と打ち合わせながら、プレスリリースをFIX。

▼R社関連。実証実験の監修を依頼される。来週、詳細な話をすることに。

 外が明るくなってきた・・・。嗚呼、「おはよう日本」がはじまった・・・明日は、授業&ゼミで、1週間でもっともハードな日。生き残ろう。

投稿者 jun : 2007年11月 8日 07:13


修羅場で粘りきれるか?:NHKプロフェッショナル:長崎尚志氏さんの仕事

 浦沢直樹氏らのマンガの編集者でもあり、いくつかの漫画の原作者でもある長崎尚志さんが、NHK番組「プロフェッショナル」で取り上げられていた。

 「プロフェッショナル」の資質に関して、長崎さんは言う。

 修羅場で粘りきれるか

 非常に印象的な一言だった。

 漫画家に限らず、どんな仕事であっても、「修羅場」は必ずやってくる。あっちをたてれば、こっちが立たない、それが世の中の常識である。

 「修羅場」はシンドイ。しかし、それは何かをなしとげようとする以上、それは必然でもある。

 修羅場で粘りきれるか?

 ---

追伸.
 毎年のことながら、11月、12月は僕にとって「修羅場」である。何とかかんとか、生き残りたい。

投稿者 jun : 2007年11月 6日 22:50


ネットでの講義ビデオ公開

 東大オープンコースウェアでも、ビデオ講義を増やしています。

教育機関での学習希望者、ネットでの講義ビデオ公開に高いニーズ示す
http://japan.cnet.com/marketing/story/0,3800080523,20360410,00.htm
 
 
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投稿者 jun : 2007年11月 6日 21:35


ヴィゴツキーを「実践」する!?

 ロシアの心理学者にレフ=セミョノビチ=ヴィゴツキーという人がいる。教育学をやっている人なら、知らないでいることが許されない学者の一人だ。ジャン=ピアジェと並んで、20世紀にもっとも影響を与えた心理学者の一人だろう。

 ヴィゴツキーの提唱したセオリーに最近接発達領域(Zone of proximal development)というのがある。
 この理論には様々な解釈があるけれど、一般には、子どもが「自分ひとりでできること」と「自分より有能な他者に助けられてならできること」の「間」のことをいう。ヴィゴツキーは、この「間」に「発達」や「教育」の可能性を見た。

 子どもは、より有能な他者に助けられ、支援を受けることで、この距離を縮めることができる。この心理的距離が徐々に縮まることこそが、「発達」ということになる。

 より有能な他者としては、対象者が「独力でできること」を見極め、適切な支援をしなければならない。「支援が足りない」のは困るし、「支援をしすぎ」てもいけない。この頃合いが難しい。

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 僕は、ヴィゴツキーのアイデアを、知識としては一応「知っている」。しかし、それを「知っていること」と「実践すること」とは、全く別のことである。

 たとえば、愚息の場合。
 フォークに食べ物を注意深く刺してやり、彼の手にもたせれば、それを使って、何とか食べ物を口に運ぶことができることを、僕は知っている。

 しかし、仮にそうすれば、彼は3回に1回は、フォークを振り回して食べ物を落としたり、フォークそのものを落としたりするだろう。「独力でさせること」はかえって面倒を生む。

「ええぃ、面倒くさい、オレが食べさせたるわ」

 生来イラチな僕は、つい手をだしてしまう。最近接発達領域の「距離」を無視してしまう。

 どこで読んだのか忘れたけれど、

「船長は血が出るまで唇をかむ」

 という格言があるらしい。
 上にたつ者(船長)は、手を出したくなる衝動を唇から「血」がにじむまで、こらえることが必要だ、という教訓である。人を育てる上で、イラチになってはいけない。

 もちろん、逆に「これくらいはできるだろう」とふんで、思い切ってさせたことが、全くの検討違いだったこともある。おかげで愚息はアタマを強打。大泣きされたことも一度や二度ではない。「ごめんね・・・」と平謝りである。

 子どもだけじゃない。職場でも同様。
 時に僕は「言い過ぎ」、時に僕は「言い足りなく」なる。

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「知っていること」と「実践できること」は違う。

 ヴィゴツキーの本を読むたび、ため息まじりにそう思う。「最近接発達領域」の含意するところは、本当に奥深い。

投稿者 jun : 2007年11月 6日 10:31


会議だらけの月曜日

 今日は会議だらけである。

 会議1・・・駒場。プレゼンテーションツールの仕様決定に関するミーティング。

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 会議2・・・地方公共団体の人材育成担当者向けの研修の設計。これはB先生と一緒にやることになっている。

 僕は地方公共団体の育成システムについては、あまり知らないことが多いので、担当者の方、前担当者の方とディスカッションしながら、計画をつめたいと思う。

 ちなみに、このところ、地方公共団体向けの研修にかかわる機会が何回かあった。実は、今月も、同僚のAさんと一緒に、人事院の若手職員向けのキャリア開発研修を実施する。

 人材の超売り手市場を背景に、地方公共団体は、地方公共団体で、抱える問題は深刻なようだ。

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 会議3・・・論文指導。

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 会議4・・・実証実験を2週間後に控えたプロジェクトに関する打ち合わせ。

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 会議5・・・ある書籍の執筆計画を、某社の編集者の方にレビューしてもらう。

 自分としては、考えに考えてきたつもりだけど、今出版する意味のある企画だろうか・・・。編集者Iさん、Nさんのご意見をお聞きするのが楽しみ。

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 会議6・・・来年10月31日に予定されている、安田講堂シンポジウムの企画。今年は、9月に実施し、多くの方々の参加を得た。来年は、今年の反省に基づいて、どのようなことをやるか?

 今日はざっくりとブレインストーミングをするつもりである。

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 そして人生は続く。

投稿者 jun : 2007年11月 5日 13:12


学問の基盤

 大学院ゼミ。

 学部時代に聞いた「教育史」の基礎のような章をよんだ。「教育学」「教育の専門家」といったものが、どのような歴史的過程をへて、立ち上がってきたのか、という話。

「内容に関する専門家」からは独立して、「教育の専門家」が、社会的に求められるようになったのは、20世紀に入ってからのことだという。

 日々増え続ける大量の知識を、多くの人に伝達するためには、どのように行えばよいか、という喫緊の課題に対応する人材として、「内容の専門家」からは独立して、「教育の専門家」が必要になった。
 もちろん、この背景には、産業革命以降の急速な社会システムの転換と、先の第二次世界大戦があることは言うまでもない。

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「教育学」も「教育の専門家」も、それほど長い歴史を有しているわけではない。教育学は、法や医などの他のディシプリンと比べて、その学問的基盤が脆弱だと言われているが、それは歴史的必然でもある。
 
 基盤は脆弱であることはいたしかたない。
 むしろ、「基盤のもろさ」というヴァルネラビリティを逆手にとって、激変する世の中の様々なイッシューに対応できる「しなやかさ」をもつべきだと、僕は思う。そのためには「世の中」との回路をオープンにするべきだ。内部論理だけで通用する自己定義を行えば、「脆弱な基盤の上に、世の中の問題にも対応できない」という二重苦を背負うことになる。

 まだ、はじまったばかりだ。

投稿者 jun : 2007年11月 4日 09:45


おはようのうた&おしりかじり虫

 Youtubeで、ほのぼのとした素敵な曲を見つけた。速攻耳コピーして、シンセで弾いてTAKUと歌った。

おはようのうた
http://jp.youtube.com/watch?v=QpOC4BctAXQ

 ちなみに、「おしりかじり虫」というのが、子どもたちのあいだで流行しているらしい。こちらは、うるまでるびさんの作品。

おしりかじり虫
http://jp.youtube.com/watch?v=G3m8Qje1e8Q

おしりかじり虫・誕生秘話
http://rn.oricon.co.jp/special/20070904_01.html

投稿者 jun : 2007年11月 3日 14:29


馬鹿げたアイデアを

 先週目にした名言。

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 思いついたアイデアが馬鹿げているものでなければ、それに望みはない。
(アルバート=アインシュタイン)

 私たちが考えたり、知っていたり、信じたりすることは、最終的にはさほど重要ではない。唯一重要なのは、何を「実行」するかである。
(ジョン=ラスキン)

投稿者 jun : 2007年11月 3日 07:27


「広場」と「すみっこ」のある会社

 午前、若手社員に対するインタビュー調査を行った。インタビューしたのは、去年まで研究室でアルバイトをしていたA君。

 某大手電機メーカーの関連企業で、エンジニアとして働いて、ちょうど半年。これまでの仕事を振り返ってもらい、「どのような機会に、どのようなことを学んだのか」を聞いた。

 インタビューの中で印象的だったのは、「自分を成長させるためには、一人になる時間を定期的にとることです」と言っていたこと。

 H君は、業務時間に、週に数回、エンジニアだけが入ることを許される「検証スペース」という部屋にこもり(製品の検証などを行う部屋)、業務とは全く関係のないことをしているらしい。

 修士時代の自分の研究にふたたび手をつけたり、自分の興味のある新しい技術を試したり、ここ最近で学んだ技術を振り返ってみたり・・・。

 おおよそ「製品の検証」とは全く関係のないことをやるのだという。それが、自分の専門性を高めることになるし、自分の成長につながる、と言っていた。

 H君の会社では、こうした密かな?活動を「机の下」という言葉で表現するらしい。「検証スペース」を「机の下活動」の目的で利用する人は数多く、みんな決して口にはださないものの、自分の好きなことをやっているのだとか。

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 検証スペースが、本来の「製品の検証」のために利用されないのは、いかがなものかと訝る方もいるかもしれないが、「机の下」で密かに?ひっそりと暖められたものが、ある時急に表舞台にあがり、莫大な利益をたたき出す商品になることは、少なくない。

 また、業務に忙殺され、業務をこなすことだけが優先されがちな日々において、こうした「ひとりの時間」は、よいリフレクションの機会になるのだろう。

 そういう意味では、検証スペースでの「ほんのひととき」は、無駄な時間では決してない。むしろ、必要な時間なのだ、と思った。

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 教育の世界で、よく言われることのひとつに、「快い学習環境は「広場」と「すみっこ」を両立した空間だ」というものがある。

「すみっこ」とは要するに、個人がひとりでリフレクションを行ったり、探求を行う場。広場とは「メンバーが全員で知恵をだしあい、交流する場」

「広場」と「すみっこ」の両立する会社というのは、いいなぁ、と思った。

 人は、一人では学べないこともある。
 しかし、一人でしか学べないことも、ある。

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追伸.
 年末に近づき研究プロジェクトも大詰め。さらに大学院生の論文指導も大詰め。今日だけで、3つの研究プロジェクトの、7種類の質問紙をチェックした。最後の方は、アタマが回らなかった。もうダメポ・・・。

投稿者 jun : 2007年11月 2日 18:53


願い

TAKU。
明日から 保育園だね
 
きのう ママと
保育園の準備をしたよ
おむつに TAKUの名前のはんこを押した
あんまりたくさんなんで 大変だった

明日から
朝 起きて 
保育園に出かけて
一日を過ごし
夜 帰ってくる
そういう生活がはじまるね
 
つい こないだまでは
一日中ベッドに寝ていたっていうのに

明日からは
ママやパパの 知らない間に
ママやパパの 知らない出来事を たくさん経験して
大きくなっていくんだね

TAKU。
明日から 保育園だ
いろんなおともだちや先生がいるぞ
おともだちの遊んでいるものを とっちゃだめだよ
みんなと仲良くするんだよ

なんだか不安で
ちょっぴり切なくて
でも、期待も希望もたくさん混じっていて
今日は眠りが浅い

TAKU。
明日から 保育園だ
思いっきり 楽しんで
パパとママも お仕事張り切るからね
いっぱい 楽しんで

それだけが パパとママの願い

takuto_kintarou.jpg

投稿者 jun : 2007年11月 1日 01:19