ワークプレイスラーニング (Workplace Learning)とは:現場の学び編

 ワークプレイスラーニング=「研修での学び」×「現場の学び」

 ですよ、というお話をしました。

ワークプレイスラーニングとは:定義編
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/09/post_1005.html

 それは、企業における人間の「学習」を、「研修」と捉えるのではなく、より広く、「現場の学び」を含みこむものとして捉えるのでしたね。

 ワークプレイスラーニングの視点にたつと、「学習」とはイコール「知識伝達」ではないのです。学習とは「アタマの中への知識をどんぶらこ、どんぶらこと蓄積すること」だけではありません。

 人は、知識を集積するだけでなく、様々な機会や経験をとおして、日々、新たな知識を構築したり、既存の知識と新しい知識を統合しています。
 学習を、そういう「アクティブな活動」として捉えることが、まず重要です。従来の経営学では「知識創造」といっていた活動も、立派な「学習」です。

 じゃあ、次に「現場の学び」とは何か、という問いが生まれてきます。「現場の学び」とは「イコールOJT」なのか?

 そうではないのですね、違うんです。「現場の学び」も非常に広くとらえることが必要です。それは、「OJT」という単一の人材育成手法に還元されるわけではない。

(ちなみに余談ですが、もうそろそろ、OJT・OFF-JT・自己啓発という3種類で企業における学習活動を語ることを辞めた方がいいと思っています。企業・組織の中で教育や学習を語る言語を再構築することが必要です。これについてはまた別の機会で語ります)

 もちろん、OJTも「現場の学び」ひとつです。OJTといいますと、通常は「上司 - 部下間で実施される教育指導関係」ですよね。それも、ひとつです。

 しかし、それ以外もあります。たとえば、メンタリングというのもそうでしょう。これは、「ちょっと上の先輩 - 部下間で営まれる心理的かつキャリア的発達支援関係」でしょうか。

「タフなジョブアサインメント」というのも、立派な「現場の学び」のタネでしょう。
 タフな仕事=修羅場では、人は多くの経験をします。その中から経験学習をする機会は多い。従来の経営学では「一皮むける」といっていた経験です。
 もちろん、「ひー、忙しいー、ひー」って叫んでいるだけではダメで、ちゃんと「振り返り」と「概念化=持論作り」がなされなくてはなりませんね。

「ジョブローテーション」ももちろんそうです。ジョブローテーションとは、僕の見方からすれば「人の学びの軌跡をデザインすること」に見えます。教育を研究しているというのは不思議ですね、どんな現象を見ても、「それって、学習に関係するよね」と思ってしまうのです(笑)。

 ナレッジマネジメントシステム(情報システム:メールでも企業ポータルでも同じ)をつかった、ナレッジの共有なども、立派な「現場の学び」です。概念的知識から手続き的知識まで、いろいろな知識を交換しているじゃないですか。

 あるいは、休憩室での談話も「現場の学び」ですよ。だって、そういう場で、コーヒーを飲みながら、リラックスして、密かに一番大切な話をしていませんか?
 一番重要なことを学んだのは、決して「自席で孤独に」というわけではないでしょう。時には先輩、時には同僚、はたまた競合とか、いろんな人との談話の中で賢くなってはいないでしょうか。

 Orr(オール)という人の研究にこんなものがあります。
 コピー機修理工たちは、修理の方法を、会社の用意したマニュアルから学んでいるわけではない。いつもはクライアント先にいる彼らが、たまに集まるわけですね。そのときに、自分のやった「大修理」は「War story=こんなスゴイ修理をした」として語られる。

「オレは、こないだ、こんなヤツ(故障)をやっつけた」

 のようなかたちで。

 その「語り」の中から、コピー機修理工たちは、学んでいるのです。

 開放的ですぐにお隣同士で話のできるオフィス空間も立派な「学びの場」です。社員が縦にガーと並んでいて、それを監視するようなかたちで上司が座る。ミシェル=フーコー風にいうと、パノプティコンでしょうか。ほとんどの会社のスタイルはそうですけど、そういうオフィス空間では、なかなか情報の交換なんて起きないでしょう。

 先日のワークプレイスラーニング2007における(株)リクルートさんのご発表にもあったように、「社内広報誌」というのも、立派な学びのリソースなんですよ。

「社内広報誌だから教育なんて関係ないね、そりゃ、広報だろ」

 と思っていませんか?

 リクルートさんは、そういうのをよくわかっていらっしゃって、だからこそ、総務・人事・広報という3つを1人の役員の方が兼務していらっしゃる、とのことでした。

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 こんなことを言いますと、おいおい、それじゃ、何だって「現場の学び」じゃねーか、と言われそうです。
 だけど、「そうなんだから仕方がない」のよ、悪いけど(笑)。人は、どこだって学んでいるのだから、文句言ったって仕方ないの(笑)。文句言うなら、「学習」に言ってよ、もう(笑)。

 でも、このままでは無制限に話が広がってしまいますね。ので、2つポイントを指摘しましょう。

 まず1点目は、いわゆる「コントローラビリティ」という視点です。

 いくら人がどこでも学んでいるから、といって、学びの中には「外部からのコントロールしやすいもの」と「外部からコントロールしにくいもの」があります。別に上記にあげた例をすべてコントロールした方がいい、と言っているわけではないのです。

 じゃなくて、まずは視野を広くもちましょう、と。その上で、「外部からコントロールできるもの」をコントロールした方がいいのではないか、ということです。

 次に、じゃあ、「外部からコントロールする」として、どのように「コントロールするか」が問題になります。「手法」にはそれぞれ、「強み」と「弱み」があると思うのです。それらをうまくReMixして、学習効果を高めることが重要なのではないでしょうか。

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 うーん、今日は雑ぱくな話になりました(いつも?)

 でも、「現場の学び」のイメージをお伝えすることができましたでしょうか。今日の話に関連する研究分野としては「学習環境のデザイン」という研究領域になります。これを企業風に書きました。

 次回は(いつになるかわかりませんが・・・)、じゃあ、上記のようにワークプレイスラーニングの視点にたった場合、担当者は何をするべきか、という話をします。アクターネットワークの話ですね。

ワークプレイスラーニングとは:定義編
http://www.nakahara-lab.net/blog/2007/09/post_1005.html