「組織の中で働く大人」を元気にする学問
日本の大学に「足りてないもの」って何でしょうか?
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ひゃー、こんな問いを投げかけると、
「あれも、これも、それも、どれも、しまいにゃ、全部足りてない、イケてない、コルァ」
と口角泡を飛ばして怒り狂う人とかが、必ず出てきます(笑)。それだけ期待されているということなのでしょうね、その期待にはなるべくはやく応えられるとよいのですが。
あるいは、「アメリカの大学ではね・・・」「イギリスの大学ではね・・・」とかいう、いわゆる「ではの神」が、どこからともなく登場してきそうです。
まぁ、人によって、日本の大学に「足りてない」と思っているものは違うんでしょうね。隣の芝は青く見える的なところもありますので、どうしても、日本の大学はくすんで見えます。
しかし、話を僕の研究領域に限っていうと、やはり、「組織と学習」「大人と学習」に関する「大学院レヴェルの学位取得プログラム」が決定的に欠けているように、僕には思えます。ゆえに、同領域に関する専門的知見を有する人材養成が難しい状況になっているのではないでしょうか。
これらの領域は、心理学、社会学、経営学、教育学、すべての学問のメインストリーム「ではなく」、いわゆる「ザ・傍流」。管見ながら、現在の日本の大学では、複数の授業から構成される専門カリキュラムとしては構成されていません。また、専門学位に結びつくような教育プログラムとしては成立しないように思います。
よくて、教えることのできる先生が1人か2人いて、単体の授業がひとつかふたつあるくらい、ではないでしょうか。
もちろん、これらの領域の「傍流っぷり」は、日本の大学に限ったことではありません。海外の大学でも、同じような感じに思います。心理学や経営学では知りませんが、教育学では、似たり寄ったりのように思います。
ただし、僕も敢えて「ではの神」になってみますと、アメリカとかイギリスの場合、カリキュラムをもち学位をだしている大学が、「ない」わけではない。少なくとも「ある」のです。そこが日本と違うところのように違います。
たとえば、泣く子も黙るコロンビア大学ティーチャーズカレッジでは、MA of Adult Learning and Leadershipという学位取得コースがある。
コロンビア大学
http://www.tc.columbia.edu/academic/o&ldept/adulted/
ちょっと実務よりにはなりますが、組織開発の実務家のあいだでは、ケースウェスタンも有名だそうです。
ケースウェスタンリザーブ大学
http://weatherhead.case.edu/mpod/faculty.cfm
イギリスでは、ランカスター大学には、やはり「Department of Management Learning & Leadership 」というのがあるのです。そして、ここから数多くの「organizational learning」「management learning」のマスター、ドクターを排出している。
ランカスター大学
http://www.lums.lancs.ac.uk/Departments/DML/Research/
もちろん、これ以外でも、いくつかの大学で、「組織と学習」「大人の学び」に関する専門人材の養成が行われています。
話をまとめます。
僕は、「組織と学習」「大人と学習」に関する「大学院レヴェルの学位取得プログラム」が、この国の大学にも必要だと思っています。そして、それを修めた人材が、社会のいろいろな場面に出て行くことが重要だろう、と。
そうすると、長期的視野にたてば、日本の「組織」、日本の「会社」、日本の「学校」が元気になるのではないか、と本気で信じています。「子ども」も重要です。でも、同時に「大人が元気になること」も重要なんだろう、と思うのですね。
あまり賛成してくれる方は少ないのですが、まぁ、そのために今後も研究、社会活動を続けていきたいと思っています。
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追伸1.
9月7日(金)東京大学・安田講堂にて開催される「ワークプレイスラーニング2007:ミドルの学びを支援する」です。おかげさまで募集からわずか1週間で300名を超えるご登録をいただきました。ありがとうございます。
まだご登録がお済みでない方、ぜひ、この機会に東京大学にお越しください。
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http://www.educetech.org/test2/
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追伸2. 今日の興味深かった記事
今の男の子は強さにあこがれなくなった。「若者殺しの時代」などの著書がある堀井憲一郎さんはそう分析する。
昔は戦争や経済競争に駆り立てるため、男の子に対して「戦って、買って、強くなれ」という教育がされたが、「そんなことを言っても、女の子にモテなくてシンドイだけ」と思われるようになったという。
(8月9日朝日新聞27面「消えた男の子」より引用)
分析の賛否はともかくとして、僕が子どもの頃は、「ケンカして泣いてかえってくるな、やりかえしてこい」と言われて育てられた。「強さ」は男の子育てを語る中軸のひとつであったことは間違いないように思う。
今は、どのようにして育てればいいのだろう。モテろ? それも何だかなぁと思う。なんか、「勘違い男」を育ててしまいそうな予感。
男の子を育てるとき、どういうメッセージを送ればいのか?
そんな疑問を持ちながら、我が家では、一方で息子にネコミミをつけて喜んでいる。矛盾。誤解を避けるために言っておくが、僕もカミサンも「アキバ系」ではない。
投稿者 jun : 2007年8月 9日 08:29
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