研究者とネーミング:岩永嘉弘著「すべてはネーミング」
問題.下記は「何」でしょう?
【グループ1】
花束
ドアドア
THE SLIM
シェイプル
TANTO
【グループ2】
王朝
世界
嵯峨
高雄
薔薇
・
・
・
・
・
わかりました?
答え。
グループ1は「ナショナル冷蔵庫の名前」。
グループ2は1970年代のテレビの名前です。
どうですか、わかりましたか? 懐かしいなぁ、と感じた方もいらっしゃるかもしれない。僕はほとんどわからなかったけど。
グループ2は、今から考えればスゴイね。「王朝」「嵯峨」「薔薇」・・・。おおよそテレビの名前とは思えません(笑)。「薔薇」はいかがなものか、と思うし、全体的に「場末のスナック」の名前のように感じてしまいます。ヘビーだ、ヘビーすぎる。
まぁ、それだけ、当時のテレビはドカーンとしていたんだろうね、フィジカルにも、エコノミカルにも。清水の舞台から飛び降りる覚悟で、「どかーん」と買ったのでしょう。で、お茶の間に「どかーん」と据えた。「あちょー、王朝」ぐらいの勢いで(意味不明)。
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ネーミング業界の第一人者・岩永嘉弘さん著「すべてはネーミング」を読みました。
岩永さんといえば、爆笑系エッセイスト原田宗典氏の師匠にして、下記のようなネーミングで有名な方です。誰もが、いくつかは聞いたことがある名前ですね。
からまん棒
IO-カード
ASTEL
saita
MyCity
からまん棒は「洗濯機」。IO-カードはJRですよね。ASTELは「明日のテレホン」ということで、電話会社の名前。saitaは、イトーヨーカドー系の女性雑誌。MyCityは新宿駅東口につながっているデパート?の名前。
本書は、岩永さんが、自身の仕事を振り返りつつ、「ネーミングとは何か」「ネーミングの作業は、どのようなプロセスで行われるか」について、軽い口調、口語体で語っている本です。2時間ほどあれば読めちゃう内容です。
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ネーミングについては、僕、ふだんから考えさせられることが多いです。といいますのは、仕事柄、よく名前をつけることが多いのですね。
研究者の仕事は、オリジナリティが核になる仕事です。ですので、「すでにある、名前の決まっているもの」のバージョンアップを考えるということは、あまり多くないのです。多くは「新しいもの」と関わります。だから「新しい名前」が必要になる。
開発したシステムやワークショップ、研修への「命名」、本の「命名」、イベントの「命名」、日々、ネーミングと向き合っているといっても過言ではありません。
そして、このネーミングが非常に大切だったりする。たとえば、システムだったら、間違っても、「暗記君」「問題解決君」とか、そういうベタベタな「○○君」ネーミングは避けた方がいい。
たとえば、ある学生さんが自分の開発した「教育システム」に名前をつけるとします。このネーミングいかんでは、その教育システムを誰かに使ってもらうときに行わなければならないインストラクションの量が半減することもある。
よいネーミングだと、「あっ、あれね」とすぐにわかっちゃうのですね。逆に悪いネーミングだと「なかなかやるべきことがわからない」。
ユーザーに使い方を説明しているうちに、「なんか、使うのめんどくさくねー」ということになりがちで、盛り下がっちゃう。だから、ネーミングは読んだだけで何をすればいいのかわかるものが必要です。
イベントなどのネーミングは、さらに重要です。同じイベントでも、そのタイトルの付け方で、全く人の入りが違ってくる。本当に不思議なものです。
余談ですが、でも、人の入りって、読めないんだよな。自分としては、イマイチだなぁ、と思ったネーミングのイベントのときに人が集まって、かなりひねったネーミングをしたときに、閑古鳥が鳴くといったことがよく起こります。ひねり過ぎだよ、それ、遠くてわかんねー。まぁ、修行が足りないのでしょう。
それと似ているのは「本のネーミング」ですね。本もタイトルの付け方次第で売れ行きが変わりそうですね。個人的にうまいなぁ、と思っているのは、上野千鶴子先生なのですけれども。
「スカートの下の劇場」
「女という快楽」
「<私> 探しゲーム」
なんかは秀逸だと思います。
これはネーミングではないけれど、そもそも考えてみれば、グラントのタイトルのコピーライティングほど重要なものはありませんね。
たとえば文部科学省の科学研究費は30字?だったかな、タイトルの文字数が決められていますが、この文字数の中で、ややこしい専門用語をいかに翻訳して、その研究がどんな価値をもっているかを表現しなくてはなりません。このあたり、いつも悩ましいところです。
その字数の中で、「専門家ではない人が読んでもわかる」タイトルをつける、なるべく簡単にするというのが僕の戦略ですけど。これがよいのかどうかはわかりません。
ネーミングとか、コピーライティグというと、「そんなもの、本質的じゃない、要するに中身だ」とおっしゃる方もいるかもしれないけど、僕はそれは違うんじゃないかなと思うんです。
うまいネーミング、コピーライティングができないと「その素晴らしい中身」さえ体験してもらえない、実現させてもらえないということがおうおうにしておこるのですね。
それに、うまいネーミングができる、コピーライティングができるというのは、要するに「中身で伝えたい内容がはっきりしている=コンセプトワークがきっちりできている」ということなのではないかと思うのです。
みんな忙しいのです。ある一定の認知的資源で、ものごとを判断し、意思決定しなければならない。そうだとするならば、彼らに「1行」でクリアな意味を伝え、判断材料をあげるのは、こちらの仕事ではないか、と思います。
ちょっと横道にそれるけど、あるテレビディレクターと話していて、彼女がこんなことを言っていた。
「番組の企画書はA4一枚が勝負。A4一枚で伝わらないものは、番組をつくっても、どうせ伝わらない」
この場合、スペースというのを敢えて制約にして、ディレクターに番組企画をエラボレートさせているとも考えることができます。
とにもかくにも、僕は、研究者にはネーミング、コピーライティングのセンスがなければね、と思います。新しいものの「とらえ方」を提案し、その「とらえ方」に人を魅了するネーミング、コピーライティングを行う。分野にもよるのかもしれませんが、そういうことが重要な分野は確かにあります。
自分には、生来、この手のセンスがないので、ため息混じりに、この手の本をよく読んで、勉強しているですけどね。
なかなか、なかなか、自分の気に入る名前さえつけられません。いわんや、他人をや。修行、修行。