手離れの悪い世界の中心で
最近僕が覚えた「大人語」に「手離れがよい、悪い」というのがあります。世間では「アタリマエダのクラッカー的用語」なのかもしれませんが(死語)、アカデミズムの現場では全く用いられません。僕には、この言葉が、とても新鮮に聞こえました。
一般に「手離れが良い」とは、「売ってしまえばそれまでよ」的なビジネス、いわゆる「売り切り」のことを言うようです。
逆に「手離れが悪い」とは、売ったあとでも、いろいろとアフターケアやフォローアップ、メンテナンスが必要になる。いつまでたっても手がかかるけれど、それに対する対価はあまり期待できない場合をさすようです。
常識的に言えば、一般にビジネススクールなどでは「手離れのよいビジネスモデル」をつくるべきだ、と教えられるそうです。
正しくいいますと、「手離れの悪さで稼ぐビジネスモデル」というのもないわけではないですが、常識的には前者をめざすべきだと。手離れの悪さは、一般には敬遠されるもののようです。
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しかし、これをふまえて考えるに、実に「教育」とは「手離れの悪い世界」ではないかと思ってしまいます。教育においては「はい、さっき教えたでしょ、だからわかっているハズでしょ」的なノリは、どうしても通用しません。人はそんなに簡単に「わからない」し、そんなに安易に「学べません」。手をかえ、品をかえ、「学習効果」を向上させるために四苦八苦するのが教育ではないでしょうか。
しかし、同時に思うのです。このことは「手離れの悪さ」を「是認してよい」「安住してよい」ということにはならないのではないか、と個人的には思います。できるのだったら「より効果的な手法」を考えたいし、できるのだったら「普及」もめざしたいなぁ、と。
手離れの悪い世界の中心で、「手離れのよさ」を夢見る
そんなノリなんです、そんなノリ。