学校の外に広がる世界

 中学生何名かとプロの雑誌編集者、地域の専門家、イラストレータなどが「チーム」になって取材を行い雑誌をつくる。そんな授業を外部から支援している方に、昨日お会いした。この試みは、「総合的な学習の時間」に20時間かけて実施されている。事業自体は、ある省庁から支援を受けている。

 雑誌は、どこから見てもプロ並みで非常に見栄えがよい。その内容も、中学生などが疑問に思うこと、将来のことなどを扱っており、なかなか興味深いものであった。そこには子どもがつくるものだから、あるいは、学校でつくるものだから、という妥協は感じられなかった。

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 しかし、何より印象的だったのは、この事業を支援している方の次の言葉である。

 この試みは、もしかすると、学校の先生のためにあるのかもしれません。ふだんはなかなか逢えないプロ、地域の専門家などに逢い、彼らと仕事をしていく中で、いろいろと見えてくる、学べるものがある。先生は、いったん「学校を出て」いろいろと見て欲しい。学校をでている人もいるけれど、マジョリティはそうではない。実際、教育の問題はもはや学校だけで引き受けられるものなんだろうか、と思います。

 おっしゃっていたことは一字一句同じではないが、おおよそニュアンスは、このような感じだった。

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 もちろんこう言ったからといって、すべての学校でこうした試みが可能なわけではないし、そうするべきでもない。特別な予算をかけて、ある場所で成功したモデルを、全体にそのままあてはめる愚弄だけは避けなければならない。

 しかし、彼女が数年間の授業推進の中で見つけたことの本質は、非常に興味深いと思う。それは「教師の発達を学校の中だけで捉えるべきではないのだろうか」ということに尽きる。

 かつてから教師教育の世界では、教師「同士」の協働や内省によって、教師は成長していくものだとされていた。その成長の機会は、学校に限局されていたと思う。

 そもそも、理論体系の中に、教師以外の人的リソースや(ありえるのは親、行政官など、いずれも教育のステークホルダーである)、学校以外の場所が想定されることはあまり多くなかったといってよい。

 彼女の主張は、これとは全く異なる。「先生は、先生同士で集まって学校だけにいてよいのだろうか」。

 ちなみに、教師以外の職種の場合、たとえば通常の社会人の場合、ひとりひとりの成長や発達を「ひとつの会社」の中の水平移動、垂直移動として見る味方は、あまりとられなくなってきているのではないかと思う。

 僕はキャリア論の専門ではないけれど、複数の会社や、その外に広がるコミュニティオブプラクティスを縦横無尽に行きつ戻りつして、キャリアを構築し、発達することが求められるのではないか、と思う。

 もちろん教師とそれ以外の職種を同列に扱うことには理論的飛躍がある。また、教師の専門性発達が、学校外部だけで完結するべきものとは思わない。「日々、授業を構築する力」「日々、学級を経営する力」 - そうしたものはやはり学校内部で培われるものだと思う。ということは、「学校内部と学校外部のback and forth」を前提にした成長モデルを構築しなければならないのかもしれない。

 しかし、なんだか、このあたり、ビビビときた。ここを追究すれば、なんかありそうだ、と思った。