しばらく赤ちゃんでもいいよ
18の頃、それまで何一つ苦労せずに育てられ、比較的曇りのない学校生活を過ごしたにもかかわらず、僕は、一刻も早く北海道を出たくて出たくて仕方がありませんでした。
「陰鬱な長い冬」
「無表情な空」
旅行会社のパンフレットならば、「パウダースノーの大地」「どこまでも続く青い空」と形容されるものが、当時の僕には、そのような暗い陰影をもつようなものとして「見え」ていました。。
北海道は「克服するべきもの」であり、「立ち去るべき」ものでした。僕はここで、一生を終えたくない、そう思っていました。
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北海道を出ても、自分が動かなければ、取り立てて何も変わらない。
そう気づいたのは、東京にでて2度目の暑い夏が過ぎた頃でしょうか。クーラーのない古いアパートの一室で、僕は気づきました。結局、「パラダイスはない」のです。
「陰鬱な冬」を「パウダースノー」に変えるのも「僕」、「無表情な空」を「どこまでも続く青い空」にかえるのも「僕」なのです。それを決めているのは、結局、「僕のまなざし」なのですから。
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その頃からでしょうか、吹っ切れたように、自分が「動き始めた」のは。将来は「大学にのこって研究」をしたいと思うようになりました。
それまでの僕は、授業を教室の一番後ろで聞く学生でした。成績は「人並み以下」、それにもかかわらず、教員には厳しい批評をよせる、もっとも「イケてない学生」とは、「当時の僕」であったことを、正直に吐露しないわけにはいきません。
しかし、その頃からか、僕の受講姿勢は変わりました。授業は、一番前で話を聞くか、さもなくば受講登録しないか、に変わりました。
教室の「真ん中」や「後ろ」で話を聞くくらいなら、さっさと図書館に行って本を読むようになりました。
オモシロイものです。一度ふっきれると、すべての世の中の「見え」が変わります。
自分がアクティブに動きだすと、そのアクティブさに呼応して、いろいろなものが僕に働きかけてくれる感覚、というのでしょうか。そんな感覚を、僕は味わい始めました。
段々と今ある生活が楽しくなってきました。それまで2年間、どうしても覚えることのできなかった「東京の地下鉄の駅名」も、自然と口からでるようになりました。
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・・・それから15年・・・
実家の窓の外から、「当時と何ひとつ変わらない風景」を見ていますと、結局、「あの頃抱えていた感情は何だったのかなぁ」と思ってしまいます。
「出たくて出たくて仕方がない」
それは「季節もののはやり病」のようであり、「熱病」のようでもあり。
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いつか、タクも、年をとって、そんな「病」にかかるときがくるのでしょう。何一つ苦労せず育てられたとしても、、タクは、「僕とカミサンの家」を出たくて出たくて仕方がなくなるのでしょう。それはやむなきことです。否、そうでなければ困るのです。
「中原君、子どもはあっという間に育つよ。すぐに大人になるよ」
もう子育てを終えた世代の方々から、たまに、そんなことを言われます。
そんなに早く大人にならなくてもいいよ、しばらくのあいだ、赤ちゃんでもいいよ
彼の成長を願いつつも、どこかでそう思ってしまう自分がいます。