子ども、教材、そして親
先日から某幼児教育英語教材が気になり、週末、いろいろなサイトで口コミなどを見ていました。
うまく使えた、という感想。うーん、うちは難しかった、という口コミ。いろいろなものがありました。勉強になるね。
一度気になると、とことん調べたくなる性分です。好奇心にはさからえず、週末のお休みの日に、昔読んだ英語論文までひっぱりだして読むハメになりました・・・_| ̄|○・・・疲れた。
で、僕が至った結論。
結局、この手の教材のKFS(Key Factors of Sucess)は、
「教材を与えっぱなしにしないで、親が、うまいタイミングで、どれだけ子どもの学習に介入したり、見守ったりできるのか」
ということなのではないか、と推察します。
この結論は(とりあえずの・・・)、僕らの研究プロジェクト「おやこdeサイエンス」で出た結論と非常に近似していて、我ながら、「オレの研究も間違ったことを言っていないな」と思った(笑)。
(ちなみに、多くの調査で、親と子どもの家庭での会話量は、子どもの学業成績に正の相関を示します)
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結局、この手の教材は、「三項関係の媒介物としての機能すること」を念頭に開発されているのではないか、と思うのです。
三項関係とは、ここでは「子ども - 教材 - 親」をさすものとお考え下さい。要するに、子どもと親がインタラクションする際の媒介になるものとして、教材が位置づけられている、ということです。
あるいは、子どもが教材に向かうときに、親のインタープリテーション、トランスレーション、励まし(エモーショナルな支援)があって、はじめて効果がでまっせ、学習継続率が向上しまっせ、というかたちになっているのではないでしょうか。
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しかし、自戒をこめて赤裸々に語りますが、僕をふくめて通常、それはなかなか難しいことです。
一般には、「大枚をはたくこと」が「親の役割」で、「教材に取り組むこと」が「子どもの役割」、という風に考えてしますね。
そう思いたくなる、その気持ちは、実際経験してみれば痛いほどわかります。僕やカミサンも、子育てをしてみて、自分の時間をかなりの部分失いました。
もし大枚をはたいて子どもがそれに取り組まなかったら、絶対にこう言いたくなる。
「あんなに高かったのに、なんでやんないの?」
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でも、重要なことは、こういうことです。
「幼児教育教材を買う」ということは、お金をだすということだけで終わらないのです。それに加えて、「幼児教育教材を子どもと一緒に取り組む時間、子どもを見守る時間」も必要ということですね。これを案外忘れがちである。
つまり「お金をかけること」にプラスして、さらに「あなたの時間」を投資する必要があります。
「教材を買うぞー」と意志決定したのなら、それは「子どもと一緒に教材に取り組んだり、見守ったりする時間の投資」を、同時に意志決定したのだと思わなければならない、とになりますね。
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そういえば、昔、セサミストリートの話にこんなものがありますね。
セサミストリートは、もともとアメリカ政府が、プエルトリコ系の移民や黒人の子どもの学力向上、白人の子どもとの格差縮小のために開発した教育番組です。
アーバンエリアのスラムにすむ彼らの子弟が、小学校に入るまでに、せめてアルファベット、数字、簡単な会話などができるようになってほしい、そういう願いのもとで開発されました。
でも、教材を一度でも開発したことのある方ならわかるでしょう。低学力の子どもを伸ばす教材というのは、ハイエンドの学力をもつ子どもを伸ばす教材に比べて、数倍の努力と工夫が必要です
(だから、多くの教材開発では、少なくともミドルくらいの子どもをターゲットにするのです。そこがマジャリティであるのと同時に、効果も出やすいから・・・)
セサミも類にもれず苦労しました。努力は、血のにじむようなものでした。研究者、番組制作者が共同制作体制をくんで、数々の試行錯誤の果てに、現在の番組の構成 - モジュール式の教材 -ができあがりました。このことは、非常に有名な話です。
しかし、その結果は、アイロニーを含むものでした。
確かに、セサミストリートを使った子どもは、全体として確かに学力が向上したのです。が、しかし、その伸び率は、黒人の子どもよりも、白人の子どもの方がずっと高かったのですね。
結局、黒人と白人の子どもの学力格差を広げることに寄与してしまった、ということです。
(人によっては、結局格差を広げるくらいなら、そんな教材はいらないと非難しそうですね。でも、そう甘くないんだよ、低学力の子どもの学力成績をあげる、格差を縮小させるってのは。ここではあんまり詳しく述べないけれど、教材があろうと、なかろうと、いったん広がった格差は広がる傾向があります。同時に、教材には「できること」「できないこと」があるのです。教材だけで、格差の問題解消をはかることができる、と暗にかんがえているのだとしたら、とんだ見当違いだと思います。実際は教材があるとか、ないとか以前の問題なんだ)
なぜか。それは、彼らの視聴行動に問題があったと言われています。
移民や黒人の子どもは、テレビの前に一人で座って視聴していた。子どもは多く、親は仕事に家事に忙しいのです。忙しい親の「代替物=かわり」としてテレビが機能していた。
しかし、白人の子どもは、テレビを見ている子どもの傍らに親がいて、時に子どもに話しかけながら、テレビを見させていた。こちらにはそういう余裕があったということですね。だから、こちらの方が伸び率が高かった、と言われているそうです。
結局、そういことなんだね。
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それにしても、子育てって難しいですね・・・。
お金を投資するだけでもダメだし、時間もかかるし、かといって、無尽蔵にリソースを投資できるわけではないし。親だって、無限に元気あるわけじゃないし、時間があるわけじゃないからね。
リソースを投資しても、結果はすぐには見えないしね。いや、見えるならまだしも、見えない方が実際は多いしね(笑)。
タクは、3分以上モノゴトに集中できないのですが、その様子を見ていると、なんだかそう思っちゃうよ(笑)。何だか、今日はしみじみと考えさせられました。
でも、嗚呼、僕も、そうやって育てられてきたんだなぁ。
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追伸.
この領域もオモシロイですね。「こんな教材つくってみたいなー」と思うアイデアが、わいてきます。幼児は一度もあつかったことがないので、詳しいことはわかりませんが。もう既に実現されているのかなぁ。
(United arrowsのTシャツをもらいました。誰かが同じTシャツ着てたよなぁ・・・)