教育とお金
政治の現場において、「教育で対応しなければならない問題」が矢継ぎ早に「生み出され」、それを克服することが「まったなし」で要求されている。
もし、そうであるならば、「教育にお金がかかること」を前提として、その実現のため、経済的な側面からも議論を行わなければならないだろう。
やりたいことがあるならば、それにかかるリソースは準備するのが当然。無理が通れば道理がひっこむ。経済的裏打ちなしでは、どんなビジョンでも絵に描いた餅になる。
我が国の国内総生産(GDP)に対する公財政支出学校教育費の比率は、世界的に見て、非常に低い水準にある。効率化するにも限度はある(ちなみに、初等中等教育よりも悲惨なのは高等教育。高等教育に関しては、日本は世界で最も金をかけていない国の一つである)。
文部科学省
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/16/01/04011901.htm
「あれもやれ、これもやれ、金はないから、全部おまえたちの努力でやれ」では動かない。そもそも現場は、「教育現場に対する無理解」にモティベーションハザードに陥っている。
経済的裏打ちのないビジョンは、ビジョンとは言わない。それは、「絵空事」でしかない。